2012年10月02日

書評:『AKB48白熱論争』小林よしのり、中森明夫、宇野常寛、濱野智史〜ソーシャルメディア時代のアイドルとファンの新しい関係性

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AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)
小林 よしのり 中森 明夫 宇野 常寛 濱野 智史
幻冬舎 2012-08-26

意気地なしマスカレード (SG+DVD) (Type-C) 意気地なしマスカレード (SG+DVD) (Type-A) 意気地なしマスカレード (SG+DVD) (Type-B) AKB48 じゃんけん大会公式ガイドブック2012 (光文社ブックス 103) BUBKA (ブブカ) 2012年 10月号 [雑誌]

by G-Tools , 2012/10/02



恋愛禁止のタブーを起こした指原がHKT48に左遷された時、『ゴーマニズム宣言』の著者、小林よしのりがすごい反応しているのをツイッターまとめサイトで見つけて、笑った。小林よしのりがAKBファンだと知り、しかも最近、宇野常寛などとAKBについて対談している新書を出していると知って、息抜きのつもりで買ってみた。結果、とても刺激的な内容の本とめぐり合えた。

(印象的な箇所)
<ソーシャルメディア時代のアイドルAKB>
・AKBはマスメディアに頼らず、ソーシャルメディアを駆使して、ファンとアイドルの新しい関係を作った。
・AKBは、おにゃんこやモーニング娘。に似ていると言われるが、ガチの度合いが全然違う。
・おにゃんこもモー娘も、所詮フェイク・ドキュメンタリー。楽屋の生の様子を視聴者に見せているようでいて、製作者側が何を見せるか、繊細にコントロールしていた。
・AKBは、もうフェイクじゃない。ガチの人気競争をファンに見せている。毎日劇場で公演して、女子たちにGoogle+やブログを好き勝手に更新させることで、アイドルの日常をソーシャルメディア上にだだ漏れ状態にしている。
・あとはオタたちが、ソーシャルメディアにその感想を吐き出し、勝手に盛り上がっていく。テレビ前提のアイドルとは、ファンとアイドルの関係性が全く違う。

<米大統領選に近いAKB総選挙の公共性と正当性>
・AKBの総選挙の仕組みはガチだから、正当性の空気、公共性の手ごたえがある。
・総選挙の順位は、夢を持つことの罰、公開処刑である。夢を持っても叶わない、ガチで順位がつく。その残酷さ、ガチっぷりに正当性が生まれる。
・日本の政治には、選挙の正当性も公共性も感じられない。AKBの総選挙はファンの民意の積み上げ。アメリカの大統領選に近いシステム。
・今までは公共性と言ったら、ちょっと頭のいい市民が勉強して議論して公共圏を作るというイメージだったが、AKBのファンは、好きな女の子を応援して、ファン同士で議論して、CDをたくさん買うだけ。ファンのソーシャルメディア上の行動から、総選挙の順位という公共性、正当性が生まれている。
・現代社会は、アイロニーが支配している。アイロニカルな没入、「何かさめていて、本心ではばからしんだけど、あえて〜してみる」という行動様式が支配的だったが、AKBは複雑なアイロニーのシステムを不要にした。ファンの自意識のレベルでは、「推せばいいじゃん」「単純に投票すればいいじゃん」と自然と信じられるようになった。


<震災後も人気を増すAKB>
・震災後、人気が衰える芸能が多い中、AKBはいつか落ちると批判されながらも、逆に人気を増した。自衛隊に見守られながら、AKBは廃墟の避難民キャンプで、雨に濡れながら踊った。
・このイメージは、80年代SFアニメで繰り返し描かれてきた終末世界のイメージだが、震災で現実になってしまった。虚構が現実に追い越された。
・最早ハルマゲドン幻想は、批判力のあるファンタジーとして機能しない。核戦争は起こらなかったけれど、原発は爆発した。その結果出現したのは、核戦争後の未来でエキサイティングな未来が展開する世界じゃなくて、余震と放射能に怯えながら日常をシビアに生きていく世界だった。
・そうした世界で、AKBは人々をつなぐソーシャルネットワークとして、存在感を強めている。


<秋元康のビジネスは資本主義を超えるか>
・80年代活躍し、資本主義を超克しようとした思想家、文化人として、柄谷行人、糸井重里、秋元康の3名があげられる。
・柄谷は、資本主義に変わる地域通貨経済や、くじ引きの代表選出を構想したが、こけた。(くじ引き代表選出は、AKBのじゃんけん選抜に似ている)
・糸井重里は、「ほぼ日」で、消費社会に優雅にコミットしつつ、主流のがつがつしたビジネスから距離をおくライフスタイルの変革を実践したが、大きな波及効果はない。
・秋元康には柄谷や糸井のような思想はない。秋元のは単なるビジネスだが、大衆に一番売れており、色々批判されながらも、社会を動かしている。
・良い消費生活のモデルが資本主義に勝つとする糸井重里「ほぼ日」のコンセプトは、社会の全体的な構造に対する批判力がない。
・対して秋元康は、社会のシステムを直接批判するわけではないが、総選挙、じゃんけん選抜など色々面白い仕掛けを作っていくことで、結果的に「こんな仕組みもありえたのか」というショックを与えている。
・秋元は個人のライフスタイルではなくて、人やお金の集め方、動員のシステムについて新しいモデルを提示している。しかもあくまで商売として。
・糸井と同じような「良い消費生活」志向の村上春樹も、個人のマインドセットに関心が向きすぎており、オウム事件など前にしても、社会の仕組みを変えていこうという発想に行かない。
・秋元がAKBでやっていることは、資本主義の力を使って、世の中のシステムを自動更新していくモデルに近づいている。これは重要なこと。

(読後の随想)
・秋元康は80年代、テレビ局に散々お金を持っていかれたから、自分のところに利益が残るシステムを作ろうとした。そして、AKBというソーシャルメディアを活用したアイドルが生まれた、というストーリー。
・ソーシャルメディアの時代にアイドルとファンは直に交流する。ネットでもブログや、Google+(AKBファンの間では通称「ぐぐたす」)で直接コミュニケーション。握手会でも直接肌と肌の触れあいコミュニケーション。
・次世代センター最有力候補で、じゃんけん選抜でも偶然なのか何なのか、1位になったぱるるの活躍が気になる。(秋元さんが推したぱるるが、じゃんけん選抜でも1位になり、本当にセンターになってしまう。こうした物語が、ファンの間で更なる二次創作的物語を派生させる。僕がこうして書いたことも、AKBの物語の一部として、ネット上で繁殖する)


posted by 野尻有希 at 00:28 | TrackBack(0) | 読書論(哲学・現代思想) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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