2014年03月13日

パワースポット散策〜将門塚、湯島聖堂、神田明神、湯島天満宮

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平将門の乱 (岩波新書)
福田 豊彦
岩波書店 1981-09-21

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by G-Tools , 2014/03/13



3月2日日曜日、将門塚、湯島聖堂、神田明神、湯島天満宮、寛永寺、国立博物館を訪問してきた。まず前編、湯島天満宮まで。

まず大手町駅前、平将門の首塚へ。東京最大というか関東最大のパワースポットと言われる平将門の首塚。爆笑問題の太田がバカにする行動を取ったら、以降数年間仕事がなくなったというエピソードも近年では有名である。僕はファミコン版「女神転生II」をやった時から、将門に魅了されていたので、念願の初訪問である。

東京メトロ大手町駅から歩いてすぐ。読売新聞社の隣、皇居(旧江戸城)の目の前に平将門の首塚がある。西暦935年、反乱を起こした将門は平安京でさらし首になる。将門の首は空を飛んで関東に戻ろうとする途中、力尽きて落下。日本各地に首塚の伝説が残っている。その中で最も有名なのがここ東京都千代田区大手町にある首塚である。その歴史1000年以上。奈良・京都に比べて歴史の浅い東京都では、古参のパワースポットである。

将門塚はビルの合間にひっそりとある。他のいわゆるパワースポットは観光地と化しているが、ここは本物の聖地。日曜日の大手町。ビジネスパーソンは少ない。ランニングしている人、散歩している人などが時々立ち寄って、お参りしていく。看板を読む。将門が乱を起こした時は、平安時代、藤原家の全盛期。関東では悪政がはびこっていたという。将門は圧政に苦しむ庶民の味方として長年崇拝の対象になってきたと書かれている。江戸に幕府を開いた徳川家康もその霊力を恐れ、神として奉ったこと、GHQが工事で撤去しようとしたら次々祟りが起きたことなどは、当然書かれていない。

目を閉じてお祈り。心を正して、地下鉄に乗る。千代田線で一駅、御茶ノ水まで向かう。歩いて行ける距離だけど、過去の経験から、電車でいけるところは全部電車で行くことにした、神社や寺は敷地が広い場合が多く、途中歩き回ることになるからだ。

御茶ノ水についたら、まず湯島聖堂に向かう。もともとは孔子の霊廟。徳川綱吉が創建。江戸時代学問の中心地だったという。訪問当日は、筑波大学の彫刻展をやっていた。境内に彫刻が並ぶ。ツアー観光客もいる。孟子像、荀子像などもある。世界最大という孔子像をスマホで撮影して出発。

北に歩いて神田明神へ。神田明神は住宅地と雑居ビル街の真ん中にあり、敷地は小さい。現在の崇神は一ノ宮に大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)、二ノ宮に少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)、三ノ宮に平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)の3柱。

703年創設。14世紀初頭、疫病が流行、これが将門の祟りと言われて、将門供養がされる。1309年、将門がこの神社で相殿神として祀られることになる。

江戸時代は、江戸総鎮守として祀られる。明治になって、明治天皇が神田明神に行幸することになった。天皇に反逆した将門が祀られているのはよくないとされ、将門は神様から外され、茨城の神社に移る。戦後の1984年に本社の祭神として復帰した、とのことである。

訪問当日は合気道か何か武道の演舞が行われていた。平将門のお札を授かる。続いて、北に向かい、湯島天満宮へ。

神田明神から湯島天満宮までは歩いてすぐである。湯島天満宮では学問の神様、菅原道真公を祀っている。当日は梅祭り開催中ということで出店もあり、参拝客多し。試験合格のお礼参りの時期でもある。湯島天満宮では、御札と御守のセットを授かる。1年前の御札、御守を返す場所も確認。広島の厳島神社、埼玉の「らき☆すた」の聖地、鷺ノ宮神社の御守は1年以上たっているから、こちらに返そうと思った。(後編に続く)
posted by 野尻有希 at 00:16 | TrackBack(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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