2014年03月14日

パワースポット散策〜寛永寺清水観音堂、上野大仏、東京国立博物館、開山堂

photo
とんぼの本 こんなに面白い東京国立博物館
新潮社
新潮社 2005-04-21

国宝 (とんぼの本) 東洋美術をめぐる旅: 東京国立博物館 東洋館 (コロナ・ブックス) 国立西洋美術館 公式ガイドブック 自然科学30のなぜ?どうして?―国立科学博物館の展示から 博物館へ行こう (岩波ジュニア新書)

by G-Tools , 2014/03/14



3月2日日曜日、将門塚、湯島聖堂、神田明神、湯島天満宮、寛永寺、国立博物館を訪問してきた。今回は後編、寛永寺から国立博物館まで。

湯島天満宮を出た後、歩いて上野公園に向かう。上野公園の入り口のパラシオビル内のイタリアンで昼食。その後、ヨドバシカメラ上野で仏像フィギュアを鑑賞。フィギュアはそんなよくないと思った。やっぱりフィギュアより仏像の方がいい。

上野公園、階段を登ってすぐ、寛永寺の清水観音堂がある。寛永寺は、天台宗の関東総本山。江戸時代は、東京タワー近くにある増上寺と並び、徳川家の菩提寺であった。寛永寺には徳川歴代将軍15人のうち6人が眠っている。江戸の鬼門が寛永寺、江戸の裏鬼門が増上寺。都市の鬼門には寺をおいて、バリアを張る。京都(平安京)も鬼門には比叡山延暦寺が置かれた。当時の人々のネガティブ情報対策である。

寛永寺は、明治維新中の上野戦争で、多くの建築物を失った。明治維新後は領地を没収。第二次世界大戦の空襲でも貴重な建築物を失っている。この歴史は増上寺も同じだ。廃仏毀釈運動や東京大空襲で、都内の寺社は貴重な建築を失っている。京都や奈良の寺の保存状態に比べて、東京の寺社は条件が悪い。明治以降というか近代化以降は政権の移り変わりとともに、過去の建築物や文化が攻撃される傾向にある。

清水観音堂に入ったら、比叡山延暦寺の建物と雰囲気が似ていると感じた。同じ天台宗、様式や働いている人の服装が同じだ。今日は鞄に御朱印張がある。神田明神と湯島天満宮では恥ずかしくて「ご朱印ください」と言えなかったけれど、寛永寺では素直に鞄から出せた。何も言っていないけど、窓が開いて、係りの女性の方が手を差し出してくれる。御朱印の記入は3分以内に終了。「千手観世音」と毛筆で書かれた立派な御朱印を頂いた。人生初の御朱印である。

続いて上野大仏へ。顔だけの大仏様。太平洋戦争中、体は軍に献上したとのこと。ここでも戦争の傷跡を感じる。上野大仏はもともと木の大仏だったそう。寛永8年(1631年)、 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立したと看板に書かれている。村上は僕の出身地なので、不思議なゆかりを感じた。堀直寄はwikipediaによると、秀吉、家康、秀忠ともつながりがあり、戦国時代では有名な武将みたい。全然大河ドラマなど出て来ないけれど、高野山には村上藩主内藤家の墓もあったし、戦国時代、江戸時代、越後村上藩はそれなりの影響力を持っていたんだなと感じた。

大仏殿から途中稲荷神社に参拝しつつ、国立博物館に向かう。人生初の東京国立博物館。もっと早くに来ておけばよかったと後悔。

まず東洋館から。中国、インドの仏像多数。中国の仏像は目が細く日本の仏像に近い。インドの仏像は目がぱっちりしており、全然別人の形相だった。

本館は古墳の時代から近代まで、日本文化の歴史をたどれる。重要文化財の仏像多数。写真撮影禁止の仏像以外は写真撮影可能。何体かスマホで撮影させて頂く。

法隆寺宝物館では、法隆寺から政府に寄贈された仏像を見る。小さな仏像ばかりだが、千年以上前の貴重な文化財。

思ったより見るもの多く、階段の上り下りでも歩き疲れる。国立博物館を出た後は、隣にある寛永寺の開山堂へ。入口付近のお堂にかなり古めの仏像3体があったので参拝。本殿にもあがり、参拝。参拝途中に若い女性2組、男性一人が来る。結構寺めぐりしている若者多いなと思う。

そのまま歩いて寛永寺の根本中堂に向かう。途中墓多数。東京大空襲の死者が眠る慰霊碑もある。お寺では葬式をやっていたので、根本中堂には入らず。ただ、今振り返って考えると、根本中堂は重要文化財だし、葬式会場は根本中堂ではなく別の建物だったのかもしれない。なにしろ寛永寺は建物が多い。今度また上野に行く時は、根本中堂に行こうと思った。
posted by 野尻有希 at 23:01 | TrackBack(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック