2014年10月08日

小説家になるために必要な「構成力」という武器を意識した日

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ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)
ウラジーミル ナボコフ 野島 秀勝
河出書房新社 2013-01-09

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by G-Tools , 2014/10/08



10月4日土曜日。某小説教室の初日。オリエンテーションの講義で「何が何でも作家になるぞという想い、魂を持っているか」という問いかけがあった。「今まで持っていなかった」と答えるしかない。

自分にも最初は強い思いがあった。新人賞の落選を繰り返すうち、意欲をなくしていた。ネットで発表できればそれでいいかなと思ったり、脚本家になってみようかなと思ったり、迷走していた。何が何でもプロの小説家になる、そう決意することにした。それくらいの意識を持てば、新人賞で落選した時、「自分より小説家になりたい切羽詰まった人が受賞するなら、自分は落選してもかまわない」などと言い訳を考える必要がなくなる。

教室の受講生選考用に応募した作品の講評を受ける。多くの人が構成面の不備を指摘されていた。自分は逆に構成力を評価された。

応募作品は、かつて雑誌『ダ・ヴィンチ』の文学賞に応募した作品をもとにしていた。5年ほど前に書いた作品で、今の自分から見たら内容はぼろぼろだ。刺激的なシーンの単なる集まりで、有機的なまとまりがない。作品の意味が通るように全体を構成し直した。

シナリオ・センターのゼミではよく、人物の行動動機が不明だ、何故こうなるのか? 作者の都合で無理矢理展開させているのではないか? 展開が自然じゃない、などとゼミ生や講師から指摘を受けていた。そのおかげか、今の自分には、人物の行動動機について説明をつける癖ができていた。と言っても提出した小説は、渋谷のスクランブル交差点で女子高生がいきなり裸になって、銃を連射して男を殺す話である。秋葉原の駅前で無差別殺傷テロが起きた前後に書いた作品で、執筆当時は、彼女達が何故そういう行動をとるのか、理由を説明していなかった。今回は応募前の推敲で、理由づけをしっかりしたし、いらないシーンは徹底的に削除した。本当はいらないんだけど面白いから見せたいシーンがあれば、そのシーンが後の展開の伏線になるよう工夫した。そのように伏線を張るのは、作者のご都合主義なのだが、理由づけを明確にしていけば、ご都合主義もご都合主義でなくなる。登場人物達の意思で、作品が動いていくように見える、多分。

人物の動機を大切にする。面白いと思えるシーンでも、物語のそれまでの進行と無関係に突然シーン展開させるのはNG。観客を納得させるだけの理由と動機づけがあれば、過激なシーンをほうり込んでもいい。ただ作者がやりたいからやるのは、ご都合主義のマスターベーションである。シナリオ・センターでそう教わって来た。

小説教室でも、動機付けができている点、人物の行動に理由がある点、起承転結の構成ができている点が評価された。自分はどちらかというと、シーンとしての面白さを重視する方だったから、苦手にしていた構成力や動機づけを評価されたのは嬉しかった。

だいたい小説の初心者は、面白い展開を作ろうとする。展開が強引だったり不自然だったりすれば、読者は作り物だとわかって離れていく。ドラマのプロデューサーも小説の編集者も、ストーリーの展開が自然か、登場人物の行動の動機が納得いくものか見ている。ドラマも小説も見ている点は変わらない。そうわかったのが収穫だった。あまりにもでき過ぎた展開だと嘘くさくなるから、ある程度の意外性は必要なのだが、突拍子もない展開の連続はNGなのだ。

講師の先生からは、裸の女子高生が銃を撃ちまくるなどアイデアに頼り過ぎている面がある。作品を書く力はあるから、今後は突飛さがない作品でも、読者をひきつける力を持つといい、とアドバイスを受けた。この指摘に共感した。自分は、シーンのインパクトを重要視しすぎる傾向がある。設定にインパクトがない作品でも、読者を引き付けられる作品を次回提出しようと決意した。

夕方からレギュラーの講義を受ける。他の人の作品を読み、評価を聴くのは刺激になる。できるだけ他の人と違う作品を書こうと思えるし、他の人が指摘されている弱点が自分にもあれば、それを直す。

飲み会の席で先生と話した時も、提出作品はよかったとほめられた。結構な自信になった。何せ新人賞落選を10年以上続けて来た身だ。受講応募の原稿を送った時も、当時のトラウマがよみがえってきて、どうせ落選するだろうと思っていた。新人賞に落ち続けていた頃の自分と、今の自分で何が違うかと言えば、登場人物の動機、作品展開の理由を明示する意識があることだ。理由を明示しないのは、作品を読む人に失礼だと思う感覚ができた。何度もシナリオの短編を書いたこと、ハリウッド映画やドラマの三幕構成法分析を繰り返したことが、力になったようだ。

自分の武器はいまや構成力である。新人賞を通過するためには、構成力が武器になる。

知人やツイッターで見知らぬ人から文章について褒められても、本当か、嘘じゃないか、僕は新人賞に落選し続けているんだぞと、ネガティブ思考で疑心暗鬼だったが、プロの作家や、何人もの作家志望者の作品を評価してきた人に、一定の評価をもらえたことは励みになった。講義初回だから、モチベーションを上げるために御世辞を言っているのだとしても、実際激しく自信喪失していた自分が小説を書いていく自信を取り戻したのだから、それでいいだろう。

自分はセールス・プロモーションの力がない。そんなアピール力があれば、小説なんて書いていないと思う。セールス・プロモーションはその道のプロフェッショナルに任せて、自分は書くことに集中したい。そのためには、プロの目利きに評価してもらって、きちんとマーケティング面でのサポートを受ける必要がある。サポートを受けるためには、しっかりと起立した作品を書くことだ。

脚本家は、プロデューサーとまず関係する。小説家は編集者とまず関係する。脚本家とプロデューサーの関係と、小説家と編集者の関係は、大きく異なる。脚本家はプロデューサーに対して弱い。ドラマ作品は、脚本、演出、役者に加えて、カメラ、小道具、大道具、メイクなど様々なスタッフの協力があって、初めて成り立つ総合芸術である。一方小説作品は、作家が書けばそれで完成する。役者が演じる必要もない。監督が演出する必要もない。ドラマ製作において役者、監督、スタッフが担っていた役割は、全て小説家がこなすことになる。創るのは大変だが、書き上がった時の対価は相応のものだ。

元々自分は小説家になりたかった。脚本家になるために学んだ技術が、小説にも役立つ基本技術だとわかったのだから、これからは小説一本に絞り込んで、書いていくことにする。小説家になろうと志してから、13年間くすぶってきた日々を取り戻すことにする、構成力という武器を手にしたのだから。
posted by 野尻有希 at 00:23 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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