2015年11月25日

ジャーナル〜貧困とテロ及びオーバードーズに因果関係はないかもしれないけれど、相関関係はある

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テロルと映画 - スペクタクルとしての暴力 (中公新書)
四方田 犬彦
中央公論新社 2015-06-25

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by G-Tools , 2015/11/25



トピックごとに記事をわける方がいいと言われる。昨日に続いてあえてトピックごとに記事をわけずにダラダラ書き綴る。トピックごとにわけると細分化する。アクセスの多い話題に自分自身集中してしまい、方向を見失う可能性もある。ソニマージュ以降のゴダールの映画みたいにわけのわからない感じがいい。要約できない感じがいい。細分化すると自分の思考まで細分化してしまう。大島渚の「日本春歌考」みたく、わけがわからない語りの方が好きだ。

今日もトルコで国境侵犯したロシアの爆撃機が撃墜された。というわけで、まず前回の記事の続き。前回は、タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」がドイツでは歓迎されたという記事を書いた。「イングロリアス・バスターズ ドイツ 評価」とかそれに似たワードで検索しても、ドイツ国内での評価はよくわからなかった。英語やドイツ語のサイトにいけばわかるのかもしれないけど、日本語でたどりついた情報は、「イングロリアス・バスターズ」ブルーレイのおまけについていたタランティーノ自身のコメントだった。ああそうなんだ、タランティーノ本人が言う通り、ドイツではこの映画高評価だったんだなと思ったけど、いやいや、待てよと思い直した。タランティーノ本人が出席する上映会には、きっとタランティーノ好きのドイツ国民が集まっているだろう。そこにはバイアスが生じるはずだ。

上映会には、もともとタランティーノ好きなドイツ人が集まる。今回はナチスドイツを扱った第二次世界大戦の映画だ。タランティーノらしくない素材だ。シリアスな戦争ものならどうしよう。ハラハラドキドキ。そんな心理状態で見始めたら、映画ファンを楽しませるタランティーノ風の娯楽映画だった。ああ安心。よかった、ナチスもので笑っていいんだ。こう思ってドイツの観客が好反応だったとしよう。映画館に来ていないドイツ人は不快に思っていた可能性はある。

けれど、日本語で検索できる情報にかぎると、ドイツ国内でこの映画に対して反対運動が起きたと言う形跡はない。やっぱりそこまで波風たたなかったのかも。

タランティーノ以上に僕が同時代で好きな監督として、トリアーがいる。トリアーは、「アンチ・クライスト」とか、カンヌで公開した途端に記者から非難されるやばい映画をたくさん撮っている。

タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」は、公開当初からドイツ国内でナチスに対する冒涜だと非難されてはいない。よって、やっぱり「イングロリアス・バスターズ」は、ドイツ人でも笑って楽しめるナチス娯楽映画なんだろう。

こうなるといよいよタランティーノにはテロを娯楽映画にしてほしい。ハリウッド大作風の娯楽映画ではなく「イングロリアス・バスターズ」や「ジャンゴ」みたく、風刺とスパイスのきいたテロ娯楽映画を作ってほしい。

今日は四方田犬彦「テロルと映画」を読んだ。人間原子爆弾が出てくるテロについての小説を書き始めようと思っているけど、今現在もまだ書き始めていない。「これで作品にできる」と確信できるアイデアに到達するまで、うだうだメモだけ書き留めていく。

今まで自分は小説の推敲作業が嫌いだった。書く時はまあ楽しい。推敲は普通のビジネス仕事みたいで嫌だった。文字の間違いはないか、削れるところはないか、論理的に矛盾している箇所はないか、推敲中は左脳がフル回転している。つまらない。推敲で疲れ切った後、応募した作品が落選したとわかると、さらに疲れがたまる。無力感と疲労感が原因で、小説を書く気までなくなっていった。

「戦後日本サブカルチャー史」のヘタウマの回を見て、考え方が変わった。推敲をすると、ウマヘタを目指してしまうことになる。上手くなろうとしたらつまらなくなる。初期衝動を忘れてはならない。ピストルズは練習するとうまくなってしまうから、練習しなかったという話を聞いて、自分もピストルズみたくなろうと思った。

推敲作業を放棄すると宣言したわけではない。右脳使いまくりで推敲するのだ。つまり、推敲中は、ひたすら面白くしていく。話をふくらませる。最初書いたものなんてまあつまらない。ただ単にヘタだし。何度も何度も変なエピソードを書き足していく。どんどん長くなってOK。そういう考え方に変えた。すると、推敲が楽しくなった。小説を書くのが楽しくなった。むしろ推敲作業の方が楽しい。

11月24日の「クローズアップ現代」では、救急病院に女性のオーバードーズの患者が多いと伝えていた。親に虐待された経験があり、貧困状態にあり、助けを求められる友人や親類縁者もいない女性は、孤立して、助けを求めない傾向がある。すると、睡眠薬などを大量に飲んで自殺未遂をする。興味深い特集だった。もちろんクロ現のこの語りに、偏見があると指摘することはできる。番組制作者側がわかりやすい物語を語ろうと企んでいる、と批判できる。しかしながら、この特集は、テロが跋扈している国際社会にあって、テロを逆放射する視点になる。

テロが生まれる背景には、貧困があるとコメントしたテレビキャスターが、ネットで批判されているという。貧しいからといって誰もがテロリストになるわけではない、テロリストにはむしろ知的エリート層がなっていると批判できる。

しかしいくら批判しても、貧困とテロリズムの間に相関関係はあるだろう。因果関係はないとしてもだ。

オーバードーズと貧困の関係はどうだろうか。オーバードーズの背景には、貧困があるとテレビキャスターが指摘しても、そんな批判されないんじゃないか。貧しいからといってみんながみんな睡眠薬や精神薬を大量に服用するわけじゃない。確かにそうだ。けれど、孤立感、閉塞感は、誰かに助けを求める欲望を止めて、自己破壊に進むのではないか。オーバードーズしているのは貧困層ではなく知的エリート層だと仮定してみよう。ではなぜ知的エリート層はオーバードーズするのか。支援を求める欲求を、自己破壊を求める欲求が上回っているだろう。

自己破壊欲求は、他者破壊欲求に反転し得る。

貧しいから、孤立しているからといって、誰もが自殺未遂を犯したり、他人を殺したりするわけではない。しかしながら、貧困と破壊欲求に相関関係はあるだろう。

幸福度と富の因果関係はどうか? ある程度以上お金を持つと、お金が増えても幸福度は上昇しないという。けれど、ある程度以下の場合、お金がないよりは、お金がある方が、幸福度は上がる。

基本的生活を営めないほどに困窮状態にある人は、自己破壊や他者破壊をする可能性が、困窮状態にない人に比べて高いのではないか。

自分の場合は、そのような鬱憤を旅行や小説を書くことで解放している。京都に旅行に行けるのは旅行に行けるだけの資金があるからだ。小説を書けるのは、小説を書く時間的余裕があるからだ。

貧困とテロは関係ない。テロは絶対的に悪いものだと決めつけた場合、テロリストを理解しようとする意志は生じない。テロリストを空爆する欲望だけが生じる。

テロリストはなぜテロを行うのか、オーバードーズをする人は何故オーバードーズするのか。動機を理解しようとし始めれば、その過程はハリウッドアクション映画であることをやめて、探偵小説になる。

ゴダールは探偵小説が好きだった。僕は探偵小説が嫌いだ。人が死んで、犯人を捜す。何故犯人は犯行に及んだのか。動機の解明。決まりきった型が嫌いだった。

テロリスト探偵小説はどうなるだろう。人がテロで死ぬ。テロリストを探す。何故テロリストはテロに及んだのか。動機の解明。テロリスト探偵小説は、殺人犯がテロリストになる。

テロリストのニュースを見ている人の多くは、平和である。こことよそ。その隔たり。
posted by 野尻有希 at 00:29 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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