2016年02月28日

NHK教育『ニッポンのジレンマ元日SP反響編 承認のジレンマ』堀江貴文VS小池龍之介まとめ



NHK教育『ニッポンのジレンマ元日SP反響編 承認のジレンマ』より印象的な内容のまとめ。出演は社会学者・古市憲寿、実業家・堀江貴文、僧侶・小池龍之介、思想家・先崎彰容。

(元旦スペシャルより)
堀江(VTR):これからはシェア・エコノミー、評価経済になる。
小池:堀江さんは評価経済と言っていた。それは地獄。承認を得るためにみんな偽善者にならなければならない社会になってしまう。幸福度が下がると思う。

2人の意見の対立が反響を呼んだので、今回直接対決。テーマは承認。

<承認社会とどう付き合う>
堀江:僕は地獄にならずにやれる方法があると思っている。
古市:隣の人に部屋を貸すとか、評価経済は村社会に似ていないか?
堀江:グローバルで、世界規模で村社会になっている。
小池:村社会の人目を常に気にして、評価を気にしていた人達が、東京や大阪に行って、隣の人は全く関係ない生活を始めた。一時期は幸せ、他方ではつながりの喪失、孤独があった。再び他人の目を気にする社会に戻るのは、昔の少年少女が逃げ出した場所にもう一度舞い戻ることになる。

古市:堀江さん村社会嫌いそう。
堀江:僕は村社会嫌なわけでもない。村社会でも生きていく。ただ本音で生きる。
小池:堀江さんは、偽善者になりたくない人ではないか。
堀江:他人の目を気にせずに正直に生きていればいい。何故そんなに評価を気にするのか。どんなことを言っても批判する人はいる。例えばベッキーさんとか絶対アンチがいる。それまでクラスで人気者だった子が、ボスに「あの子気に入らないわね」と言われて、途端にいじめられ始める状況。評価を気にしてどんどんいい人イメージを積み上げていくと、不満がたまり、いつか不満がドバーっと出る。結論として、何やっても結果はそんなに変わらない。
先崎:野球選手にイチローがいる。イチローの打ち方は普通に考えると変な打ち方。10人も20人もコーチが「こうした方がいい」、「ああした方がいい」といろんな意見を言う。それを真面目に全部聞いた人ほど打てなくなる。イチローは、俺はこうした打ち方をすると曲げなかったから、イチローになれた。堀江さんはイチローのような強い方だと思っている。一方で、他人の評価を敏感に感じる人がいる。自分を奪い取られる人もいるし、乗り越える人もいる。現在の状況をどう評価したらいいのか?
古市:堀江さんは持っている人だから、人の評価気にしないと思う。持っていない人は評価を気にする。堀江さんのところに行く前に折れてしまう人がいる。そこをどうするかが問題。
堀江:ツイッターやフェイスブックは自分でフォロワー選べたり、ブロックできる。逆にどんどんタコツボ化する。僕は自分とあい入れない人の意見をノイズとして取り入れている。そういう意見があることも知らないと。
古市:心が強くないとできないのでは?
堀江:2ちゃんねるの前に「あめぞうBBS」というのがあった。滅茶苦茶。ものすごいディスられる。あの頃は心が折れそうになった。
古市:経験して心を強くしていくしかないのか?

<諸行無常の承認社会>
小池:ほめられることを喜ぶこととけなされることを嘆くことは、完全に表裏一体。一旦喜んじゃうと次に同じように評価されなかった時、嘆くことになる。堀江さんみたくタフになりたければ、承認されたりほめられたりすることを喜ばない姿勢が必要(アドラー心理学、仏教的見解。他者評価を気にしない)。そもそも承認された時、誰が承認されているのだろう? 自分が持っている色々な要素のうち、人にほめられそうな情報をピックアップして出している。仏教の用語を使うと、それは諸行無常。永続しないもの。今しかないものを評価してもらっても、自分の一部が認められただけ。冗談を言って受けたとしても、いつも明るくいられるわけではない。一部が評価されても、その一部は常に変化する。そう考えると、自分が評価されたわけではない。本質的には、評価することはできない。
古市:誰からもほめられない人生は辛くないか?
小池:私に本質があると思っているから、ほめられないと辛くなる。本質はそもそもないとわかると、自分をほめることは原理的に不可能。自分が言ったこと、ファッションセンスをほめられると、嬉しいと思ってしまう。自分の本質はファッションセンスだと思ってしまったり、自分の本質はみんなの前で楽しく冗談を言ってみんなを楽しませることだと思い込んでしまう。もともとそういうキャラではなかったのに、そこに比重を置くキャラになる。それは自分の本質ではない。常に流動している。いつもそれを出せるわけではない。だからそこに苦しみが生まれるし、「本当は自分などいない」という真理から離れていってしまう。
堀江:秋葉原の連続殺人犯の加藤さんみたいな人は、そんな感じになっている。彼は勉強が中途半端になって、親からもガー言われて、ネットの掲示板見つけたけど、そこでもディスられて、ワーッとなっちゃって事件を起こした。承認欲求を求めずに日々生きられたらいい。ほめられたらうれしいけど、それは諸行無常。
小池:嬉しいのは気のせい。
堀江:ほめられたらむずがゆくないか。

<堀江貴文の生き様>
堀江:僕はほめられて育っていない。勉強が無茶苦茶できて、いつも百点だった。百点じゃないと怒られるイメージ。中学受験して、その後パソコンにはまったら、成績急降下。無茶苦茶怒られていた。
古市:堀江さんと恋愛したら難しそう。ほめられても嬉しくないのに。
小池:その場合の恋愛は、自我を承認し合うということではなくて、単に面白いことを共有するとか、素敵なアイデアをどんどん生み出していくと、とても楽しくなるのでは。
古市:堀江さんみたく毎日パーティーやればいい?
堀江;毎日楽しいことがないと嫌だ。
古市:毎日楽しいことを詰め込むか、毎日ありもしない承認欲求を求めるか?(この二択が現代人の行く末か)
先崎:自分ひとりの中で幸福感を持つことができるのは、お二人の中で共通している。人間の社会は、嫌な奴ともつき合っていかなければならない。そうした時、承認の問題は、赤の他人とどういう距離感でつき合っていくかという問題になる。人間関係における承認は不必要であって、幸福度を高めればよいという結論になってしまうと、社会を見る視点を失う気がする。
堀江:嫌な上司は、嫌な上司だとはっきり言った方がいい。「おめえ嫌な上司だよ」って面と向かって言われるとすごい困る。(出た堀江理論。みんなそれが言えたら困らない)。言うと嫌がらせをされるんじゃないかと思うかもしれない。僕はずっと上司的な立場にいた。部下から嫌な奴だと言われるとすごい困る。ジャイアンは自分が嫌な奴だと気づいていない。意外と小心者。面と向かって嫌な奴だというと、すごい落ち込む。あと、嫌だったら逃げてもいい。逃げられないと思い込んでいるだけではないか。マイホームのローンがあるとか、家庭があるとか、それはいいわけ。本当は逃げたくないだけ。(ここもアドラー理論。いいわけは自分を守るために行う)
先崎:僕は違うと思う。人間はもっと単純かつ弱い生き物。ある状況に陥った時、簡単に自分を相対化できない。会社でノイローゼに陥った人は、僕が辞めたらあの仕事誰がやるんだろうと思っている。そんなの普通に誰かがやる。会社はあなたなんか必要ない感じでグルグル回っている。もう少し多様な選択肢があるのに、選択できていない。
堀江:そう思う。プライド、自意識が高い人は、俺がいなかったから会社まわんないよと絶対思っている。
小池:今のお話は、承認欲求の問題。誰かに承認されたいのではなくて、自分が自分を承認できるのかという問題にかかわっている。「本当の自分はすごい人間なんだぞ」と何故言わないといけなくなるのか? 私は私のことを承認できない。心配と思っている。人からこれだけ承認されているんだから、自分を承認してもいいよね、いいよねと、毎日黒魔術のように語りかけている。(ここもアドラー的問題)
古市:堀江さんと小池さんが同じことを言っているように聞こえた。
小池:全然対立していないでしょう(笑)

<小池さんは小さい時からそういう考えだったのか?>
小池;小さい頃はガリガリ勉強していた。何故勉強するのかと考えた。例えば、親の笑顔が見られるとか、級友達がうらやましそうにしているとか、そういったことによって承認感覚が刺激される。苦しそうにやっているが、まさにあれは快楽。いい成績をとっても、その次またいい成績を取らなければいけない。そういうことをやり続けて、得られた快楽はすぐ消えていく。面白い人間としてのキャラを作ってもいた。みんなが喜ぶならそっちにと洗脳されていく。それって自分のやりたいことじゃなかったのになと気づく。わけわからない地獄に引きずり込まれていた。
古市:喋り方は昔からこうだった?
小池:昔は大阪弁だった。すごい早口でまくし立てていた。下手に哲学を専攻していたので、人の思考の粗を見つけて、コテンパンに論破することで、俺様ってすごいぜってやる。コミュニケーションがうまくいかない。
古市:ある瞬間から変わった?
小池:修行始めて2年くらいしてから、声のトーンも変わった。

<お金がなくても幸せになれる?>
小池:当然なれる。上下が上がっても、幸福度は本質的な意味では変わらない。自分が生きている身体性の軸がゆれなければ、幸福に生きていられるのを知っている。知っているというのは、先程申したようなパラメーターが変わると、強烈な快感が生じて、たくさんドーパミンが出る。でも、ドーパミンこそまさに諸行無常のさいたるもの。もしドーパミンが出て、一生気持ちいいのであれば、仏教は必要なくなる。ドーパミンは絶対に永続せずになくなる。脳内麻薬と言っても過言ではない。依存性をはらんで、なくなった後に欠落感が出る。とすれば、それを幸福の定義としてしまうなら、ジャンキーになるのが幸福だと言っているようなもの。
堀江:お金がなくても幸せになれるというのは、もう聞き飽きた質問。どうだっていいじゃん。幸せは、食欲、性欲、睡眠欲。人間の三大本能。そういうのは毎日リセットされる。しかも忘れる。結構毎日幸せ。
小池:そのように食欲がリセットできる人は、まあ幸せ。リセットされない人が多い。
堀江:え? そうなの?
小池:過食症に陥ってしまう人とか。食べても満足感が得られなくなってしまって。性欲も実は同じこと。リセットしない人は、どんどんエスカレートしていかないと、気持ちよくならない。恋愛ジャンキーもそう。
堀江:僕はどちらかというと、恋愛ジャンキー。お金にこだわる人も同じなのかな。
小池:みんなが最高に欲しがっているお金を得るということは、「みんなが欲しがっているものを得る僕ってすごい」という承認の話。
古市:お金は人類の中で最も普遍的な欲望の一つ。じゃないと資本主義はこんなに発達しなかった。
堀江:お金をみんなありがたがりすぎている。お金は人の価値を媒介するための便利な道具に過ぎない。人間が発明した中でも優れた概念。ただ砂上の楼閣。みんなお金なんていらないんじゃないのと言いだしたら、価値が崩壊する。それに気づかずに偶像崇拝している。
先崎:二人が同じように見えるのは何故か。二人とも承認欲求から降りることができている。だけど僕はそこまで悟ってもいないし、お金について経験もしていない。普通の人はもっとお金について苦しんでいる。それをどういう方法で解決していくか。一つは、言葉によって自覚する。自分はそうかもしれないと自覚する。もう一つ、堀江さんが言う身体の欲求にすこやかに答えていくのは、東浩紀の『動物化するポストモダン』に書いてあることに引っかかるかもしれない。『動物化するポストモダン』では、人間の欲求が満たされた日本みたいな社会では、欲というものしか人間性を保証するものはない。ほとんど動物に化しているのではないかという議論があった。その議論に引っかかる気がする。もう一つ、貨幣に踊らされているのは、僕達個人がある社会の大きな流れの中で、踊らされていることの一つの象徴に過ぎない。僕達個人が自己責任としていいとか悪いというよりも、資本主義社会のあり方、病理的な部分が僕達一人一人に具体化しているといえる。

<スローの価値>
小池:現代社会派、欠落感が常に暴走していて、全く埋まることがない。社会的なシステムのレベルでいえば、インターネットで実現している。私は人とやり取りする時、手紙を書いたり、和歌を書いたりスロー。一週間後に返事が来たら、ちょっと嬉しい。
先崎:本来手紙は、明治時代においては早く情報が伝わる技術であり、ツイッターより便利だったかもしれない。それが今、ツイッターで好きだと告白されるより、手紙で書いた方が伝わるとしたら、この社会において遅くすることに意味がある。社会の流れを相対化する方法に価値を見出している。
堀江:手紙に価値があるのは、時間を使うから。時間はみんな共通。お金を持っていようがいまいが、一日二十四時間しかない。お金がない、何もないと言っている人は、時間持ち。時間があればいろんなことができる。インターネットのおかげで、時間を幸せやお金に変換できる。時間さえあれば何でもできる。
小池:メールやSNSは、俊足でやり取りできる。自分がどう思われているか瞬時にわかる。繰り返し、脳の快楽を感じる場所を刺激し続けて、麻痺させてしまう。中毒化。本当はしたいことがあるはずなのにネットばかり見てしまうとか。飛行機に乗っていても、そろそろ電波を使う機械を使ってもいいですよとアナウンスがあると、皆さんパッと機械を出してしまう。機械がご主人様みたいになってしまう。

<承認の問題はテクノロジーと不可分なのか>
堀江:百年前の人からしてみたら、今僕らがやっていることは仕事じゃない。ただ好きなことを言って、だべっているだけ。
古市:仕事の領域はどんどん広がって来たし、これからも広がっていくということ?
堀江:嫌なことはやめたらいい。楽しいことだけやったらいい。そういうことは今でもできるんだけど、何故できないか。教育の問題。働くことは素晴らしいことです、汗水たらして働くことは素晴らしいことですという価値観が、今も続いている。今の教育制度は、明治5年にできた。明治5年は汗水たらして働かないと死んでいた。社会が成り立たなかった。今なんて、人口の3パーセントが専業農家。彼らだって、田植え機とかコンバインとか仕事はほとんど機械がやっている。農薬の散布は最近ドローンがやっている。そうなると、僕達が生きていくために必要なものは、全部ロボットが作ることになる。教育された価値観と合っていない。現実と価値観のかい離を埋めていく作業が必要。仕事がなくなった、鬱だ死のうとならないようにするため、僕は色々な活動をしている。エンターテイメントは大事。バンドマンが食えなくて、普通の会社に就職して結婚しようなんて話が昔からあった。そうじゃなくて、好きな音楽で食える場所を作りましょうと。例えば、バンド生演奏ができるカラオケ。あれが全世界に広まったら、音楽で食える人が一気に増える。好きで生きられる人が増えていく。僕はロボット増加に楽観的。滅茶苦茶楽しくなる。
先崎:何もかも幸福になるとぶちあげられちゃうと、僕の中に必ずノイズが入る。昔やっていたものが機械に代替して、それをハイブリッドするという考え方は、戦前の前衛芸術の考え方に近い。結果的にどうだったか? いいとか悪いとか言うつもりはない。新しい何かを提出するのだから、むしろいいことだと思うが、それによって何が起きるのかは懐疑的。

<好きな生き方ができない人の居場所は?>
小池:好きなことをしなければならないという新たな洗脳ではないか。
堀江:しなければいけないとは言っていない。
小池:そうですか? 承認の問題と深くかかわっている。今苦しんでいる人が多いのは、好きなことをやって、自己実現しなければ承認されない社会になっているから。昔はそんな好きなことをやっていなくても、結婚して、妻子を養っていたら、社会は承認して、自分を承認することもできた。現代の最強の承認ツールは、他の人と違って、いきいきして、好きなことをやって自己実現して、クリエイティブに、楽しんでいなければならないという強迫観念。社会が昔は単純なことで承認を与えていた。今は単純なことだと、そんなのレールに乗ってるだけじゃんと言われて、承認してくれなくなった。堀江さんのような楽しめている人の発言を聞いた人達は、自分も堀江さんみたいに自己実現してがんばらなきゃいけないと洗脳されちゃう。でもそのようになれる人は、一万人に一人くらいしかいない。残りの人は、承認感が下がってしまう。
堀江:それは、そうでもないと思う。
小池:本当に?
堀江:うーん、その問題が起きるのは、他人と比べちゃうから。僕は多様性で担保できると思っている。売れないミュージシャンは、バンドカラオケで、ある程度救済される。
小池:楽しくないものは価値がないという方向により近づいていく。
堀江:アイドルの世界だって、多様化が進んですごい。地方の地元アイドルとか、さらに進んで、ショールームっていうネットでライブができるシステムがある。ショールームに出ているアイドルの人達は、投げ銭ができる。まあすごい。ちづるっていう50歳のアイドルがいる。ちづるは下手すると月100万くらい売りあげたりするらしい。
古市:もともとアイドルになりたくて、結婚して旦那もいるんだけど、アイドルの夢忘れられないって。
堀江:結婚して旦那もいるんだけど、50過ぎて、これからアイドル目指しますってがんばってやってる。
古市:アイドルって概念変えましたよね。
堀江:あれはアイドルじゃない、昔の感覚で言ったら。意外と何でもありなのかなと。ショールーム見てたら、誰でもアイドルになれるんじゃないかと思った。
小池:誰もがアイドルにならなければいけないという雰囲気の社会は、すごく苦しい。そのようにうまく参戦できない人は、たくさん出てきてしまう。今話していた流れがさらに加速すると、承認されるための条件が複雑化する。より細かくなる。それらを満たすのは、あまりにも難しくなるだろう。
堀江:周りを気にしないようにするしかない。
小池:そう。でもそれをするためには、中々の訓練が必要。
堀江:承認欲求に負けない訓練を教育プログラムの中でやっていくしかない。
小池:タフになる教育とか社会的援助とか、こうした発言をする人を増やすとか、社会的装置が必要になる。
堀江:ケアする方法はいくつかある。手あたり次第にやっていくしかない。
古市:堀江さんは宗教家的。自分がより良いと思う価値観を人に伝えたいと。
堀江:僕は教祖になった方が
古市:儲かる?(笑)
堀江:楽。洗脳した方が簡単。でもしたくない。僕は宗教っぽくやりたくない。宗教っぽくやっちゃうと、いい意味で誤解するから、僕の言っていることを。
小池:洗脳したくないと言われてしまうと、見ている人は、「あ、この人の言う通りにしても自分は大丈夫だ」と思って洗脳されてしまう。「私は宗教じゃありませんから」と近づいて来る人の手口が、最も宗教的な場合がある(面白い論理展開)。宗教が生まれる理由は、宗教を生んでしまう人の心の弱さだったり、自分をごまかしたくなる時の心の弱さだったりする。その瞬間にふっと気づけば、堀江さんに洗脳されることも解毒できるし、私に洗脳されるることも解毒できる。何かに洗脳されない道を教えてくれたのは、ブッダ。釈迦はあらゆる宗教から脱洗脳されるための方法を教えてくれた、というふうにお返しします。

<会場質問>
質問:仕事柄本音で仕事をする立場だが、仕事が少なくなると、本音を言えなくなる。アクセルを踏む、踏まないの分岐はある?
堀江:僕は絶対フルスロットル。曲げない。周りから見たら、大変な生き方に見える。「何故あの人ここで突っ張るの」とか言われた。「やりたくないことは絶対やりません」とやるしかない。収入すごい減るかもしれない。でもそれはそれでいっかと。俺はお金持ちじゃなくて時間持ちになったぜと。本をたくさん読めると思ったり、パイロットの勉強したり。不幸な出来事にも何かいいことがあるはず。朝いつもパンを食べていた人は、朝ごはんを変える。人間はアホなんで、慣れる。常にそういうことをやると慣れてくる。

<まとめ:承認社会を生き抜く術は?>
小池:私の本質はなんですか? 顔か? 髪の毛か? 思想ですか? 思想なんて、議論している最中はそう思っていても、遊んでいる最中は忘れたりする。だったらそれは本質ではない。何も本質はないというのが本質。具体的なものが、星として瞬いている。あの人嫌いとか、自分はすごいとか、ほめられたとかけなされたとか、何かを得たぞとか失ったぞとか、それらは瞬いて、生じては消える。でもその背景に瞬きもせず、何も生じもせず、生じないからこそ滅さないただの背景がある、宇宙空間というその部分は何も生じていないので批判することができないし、ほめることもできない。生じては滅していくものの背景にある心そのものにふっと心を戻すことができれば、深い安心感がある。他者の承認に頼る必要もなく、ただ自分がここに生きているだけで満足感があり、問題は終わってしまう。自分の中の空白地帯が、最強の、絶対に壊れないよりどころ。それを私の寺の修行僧で、『ジョジョの奇妙な冒険』というマンガが好きな方は「なるほど、ダイヤモンドは傷つかないということですね」と、ジョジョのセリフを用いて説明してくれた。そもそも根源は本当は傷つかない。
堀江:僕はよりどころをあまり考えない。川の流れに逆らわずに行けばいい。川が流れていると、みんな上流に向かわなければいけないと思い込んでいる。川はやがて海に流れていく。ただ川の流れに乗っかっていったら、無駄な労力必要ない。みんな割と頑張って流れに逆らっている。家持たなきゃとか、車持たなきゃ、家族作らなきゃ、子供作らなきゃって承認欲求。それを維持するのは大変。無駄な労力が必要。僕は全部捨てた。家すらない。ホテル住まいとか人の家に行ったりとか。自分のものは、スーツケース3、4個。
小池:私と同じ生活ができそう。意外と近い。
堀江:なくしていくと、ミニマムな暮らしができる。ミニマムな暮らしは強い。
先崎:今日分かったのは、僕が圧倒的俗物だということ(笑)。今の社会はニヒリズム。ニヒリズムには、否定的なニヒリズムと能動的なニヒリズムがある。小池さんのニヒリズムは、能動的なニヒリズム。あらゆる価値を疑って捨てていく。そこから何かダイヤモンドのような傷つかない本質を掴みだすという話をしていた。否定的なニヒリズムになると、相手や自分自身を攻撃する。世の中何にも楽しくないと否定していく。小池さんは、能動的なものに作り替えていった。今の社会はニヒリズムが大きな課題なのだなと思った。
古市:意外と村社会的になっている。前近代的になっている。すごい苦労して近代社会を作ったはずなのに、一つ前の社会に戻っているのが面白い。これから社会どうなっていくのか。堀江さんはたいてい人より早いことをやっている。5年後はみんなホテル暮らしになっていくのかな?
堀江:そういう人は増えると思う。
古市:失うことが怖いなら、持たないことが確かな方法。
posted by 野尻有希 at 14:49 | TrackBack(0) | TV論(ドキュメンタリー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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