2016年03月31日

「おそ松さん」最終回の不人気を分析〜永久の第二次性徴期を生きる



「おそ松さん」最終回はネットで不人気だった。その理由を分析してみる。最終回ストーリーのネタバレを含みます。

おそ松に手紙が届く。手紙は松野家センバツ出場の告知だった。「嘘だろ選ばれちゃった、俺達があのセンバツに選ばれちゃった」。「自立とか就職とかんなわがまま言ってる場合じゃない。だってセンバツだよ」とおそ松は松野家一同を集める。就職したチョロ松も会社を辞め、センバツに出場することになる。センバツ優勝は、就職よりも重要であり、ニート精神から卒業するために必要なプロセスのようである。

一体センバツとは何の大会なのか。センバツに続く文字はモザイクで隠されており、内容は不明である。21世紀枠として呼ばれた松野家は、抽選の結果、大会4日目第3試合の登場となる。

センバツの開会式で、謎の仮面の男が異国の言葉を語る。「何言ってやがるんだ、わけわかんねえぞバカ」と言って走り出したチームは、銃で撃ち殺される。

大会4日目の第3試合、松野家の試合が始まる。単なる野球のようである。トト子ちゃん、デカパン先生、チビ太、イヤミなども応援にくる。「さんざん負けっぱなしだった俺達だったけど、センバツに優勝すればなんかチャラになると思うんだ。だから絶対に優勝しようぜ」とおそ松が言っても、他の六つ子はリアクションなし。優勝する気力を持っているのは、おそ松だけのようである。

そんなおそ松がピッチャーとして球を投げるが、フォアボール。トト子に「何やってんだ童貞こら!」と突っ込まれる。六つ子はいつも通りそれぞれの個性を発揮して暴走。チョロ松は女子に気を奪われ、十四松は敵の打球をバットで打ってホームランにし、試合は前に進まない。一切セリフのない敵チームにホームランを連発され、69点取られて、チームは仲間割れする。「母さんこいつらやっぱりだめだ。新しい子供を作ろう」と松野家父が言う。松野家は一回の表でコールド負けする。

一年後、松野家はものすごく強くなって選抜に帰ってくる。とげだらけのボールを敵にぶつけ、バットで敵を叩き、下半身に暴力を振るい、乱闘で敵を倒す。

「こうして俺達は工夫をこらして勝ち進み、センバツ××大会の決勝進出を決めた」とおそ松の語りの後、場面は夕暮れの墓場になる。コーチ松という最終回に突然登場し、何の台詞もない謎の男の特訓のおかげで、おそ松たちは決勝に進めたのだとわかる。

コーチ松の存在が謎すぎるのはおいておくとして、銀河の果てで決勝戦が行われる。敵はセリフも何もない「第四銀河大付属高校」の宇宙人達である。宇宙人たちはおそ松らをビームで攻撃する。チビ太はビームで黒焦げになり、ハタ坊は燃やされ、トト子ちゃんの脳天には巨大な魚のとげが突き刺さる。逃げようとするイヤミのロケットもビームで撃ち落とされる。

最後の助っ人として、溢れ出すねたみと性欲によって強力になったダヨーンとデカパン先生がやってくるが、彼らもまたビームですぐ撃ち落とされる。逃げようとする六つ子。スタンドに立ったトト子が「待ちなさい!」と呼びかける。

「まだいける。だって、この試合に勝ったらトト子と××できる権利をあげるから!」と、トト子が全裸になって絶叫する。性欲が盛り上がった六つ子はスーパーサイヤ人のようになる。巨大化したバットが黄金に光り出す。宇宙人が紫色のビームに包まれた剛速球を投げてくる。六つ子は光るバットを振るう。

「やりたい」
「やらせてくれ」
「卒業したい」
「せめて見るだけでも」
「おっぱい」
「いや、へそのしわ」

六つ子が童貞的な心の叫びとともに、バットを振りきろうとする。「でも、無理なものは無理〜」。六つ子は全裸になって銀河の彼方に飛ばされ、ゲームセット。トト子は切腹する。

最終回のラストは、第四銀河大付属高校の校歌斉唱である。

「ブラックホールが卑猥に見える
月面着陸 なんかエロイな
嗚呼、無重力の パイスラ乳袋
嗚呼、無抵抗な パイスラ乳袋
我ら 四銀 四銀
永久の第二次性徴期」

敵の校歌が鳴り響く中、宇宙を漂う全裸の六つ子が「おわり」の文字を作って、最終回は幕を閉じる。エンディングの歌は、最終回特別バージョン。六つ子を中心にメインキャラが全員登場して、二期を予感させる大団円となる。

さて、放送前は松ロスなどと騒がれていた。放送終了後は、夜遅くまで見る必要なかった、最終回一番面白くなかったなど、ネット上では批判の声が飛び交った。エンディングの歌の演出だけは好評だったようだが、何故このように最終回の評判は悪かったのだろうか。

それまで、意味のない日常を繰り返していた六つ子が、最終回で初めてセンバツという大きな物語に参加した。六つ子はセンバツに優勝することで、モテないダメダメなニート的日常からの脱出を試みる。当初はすぐに敗れ去るが、卑怯な手段を使いまくって、競争社会を勝ち上がる。

最後の敵は宇宙人である。台詞はない。何を考えているかわからない。最近のアニメは、敵が不要であり、仲間内だけの小さな物語に終始しがちである。「ガンダム」ではアムロの敵としてシャアという強大なキャラがいたが、「エヴァンゲリオン」においては、敵である使徒は正体不明で謎の生命体だった。「ラブライブ!」においても、ライバルのアイドルグループはほとんど描写されていない。現代アニメファンにとって敵のキャラはほとんど不要なのだ。むしろ仲間内の協力とか小競り合いとか、ひたすらウチを描くのが、現代アニメの特徴である。「おそ松さん」もそういう意味では、典型的な現代アニメだった。六つ子のごく小さな生活を綿密に描くことで、ファンを獲得した。その「おそ松さん」が最後の最後で大きな物語に挑戦する。敵は宇宙人で、会話が成立しないのもまた、現代的である。

さて、理解不能な絶対的な他者である宇宙人たちは、本当に他者だろうか。実は、彼らは松野家の鏡像ではないだろうか。

第四銀河大付属高校の校歌は、「永久の第二次性徴期」という言葉でしめくくられる。日本語で意思疎通できなかった彼ら宇宙人もまた「永久の第二次性徴樹」を生きていたのだろう。決勝の相手は、松野家の鏡だ。もし言葉が通じたなら、ビームを出しまくっていた宇宙人は、六つ子同様、第二次性徴期的な単語を連発するだろう。

モテようと努力した主人公達がモテずに、もとの非モテ状況に戻る。これが「おそ松さん」の物語のパターンである。最終回もパターンをなぞった展開だった。全裸になったトト子ちゃんとの結合は成就されなかった。六つ子にとって永遠のヒロインであり、同時に内部の敵でもあるトト子は、しかしながら地元限定の売れないアイドルである。トト子をとりまく厳しい現実が最終回の一つ前の回で描写されていた。トト子も六つ子もそろって永久の第二次性徴樹を漂流している。そして「おそ松さん」を楽しむ私達もまた、永久の第二次性徴樹を漂っているのである。

さて、最終回は何故さんざん否定されたのだろうか。その原因を解明してみよう。最終回でおそ松さんたちは皆殺しになった。最終回でハッピーエンドにならないアニメ、きっちりと完結しないアニメは、最近異常なまでに叩かれる。二期に続けるために完全な終わりにしない、そういう姿勢もまた、徹底的に叩かれる。「魔法少女まどか☆マギカ」や「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」のように、テレビ版だけで完結するきれいなエンディングが評価される。たとえテレビ版で完結しても、人気なら、その後総集編の劇場版ができるし、続編もできる。

日常においては、ハッピーエンドなど皆無である。自爆テロが続く。経済格差は拡大する。難民は増え続ける。それでもアニメは放送される。フィクションの中では、完全で秩序だった展開が喜ばれる。そのような美しい完結は幻想でしかないだろう。

現代社会に生きる私達は、永久の第二次性徴期を生きていかざるを得ない。世界には不幸や争いが充ちているとしても、私達には解決する手段を持っていないし、解決策を想像することもできないでいる。故に私達は、永久の第二次性徴期を生きるしかないのである。
posted by 野尻有希 at 23:58 | TrackBack(0) | マンガ・アニメ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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