2016年05月08日

NHK教育「SWITCHインタビュー達人達 落語家立川談春×禅僧古川周賢」より名言まとめ

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赤めだか (扶桑社文庫)
立川 談春
扶桑社 2015-11-20

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by G-Tools , 2016/05/08



NHK教育「SWITCHインタビュー達人達 落語家立川談春×禅僧古川周賢」より印象的な言葉のまとめ。立川談春は立川談志門下の落語家。古川周賢は東大哲学科大学院を出た後、禅僧になった異色の経歴の持ち主。山梨県の恵林寺で住職を務める。働くこと、ものを作ることについて、ためになるお話満載。

古川:1回しかない人生。1回しかない朝、昼、夜を毎日過ごして、だんだん人生が減っていく。一挙一動の中で自分自身を見つけて、まっとうできなかったらあっという間に終わってしまう。夢のように終わってしまう。どうでもいいことに悩む。本当に自分に大事なことなんか気づかないうちに終わってしまう。だから(人生は)夢でしかない。だから『覚めろ』って言うんです。覚めなきゃいけないんです。

<ズルと知恵の違い>
立川:禅の修行では無理なことをやらされる?
古川:1時間かかる掃除を45分でやれと言われる。死にもの狂いでやっても間に合わないから、知恵を使えという世界になる。

古川:掃除の目的はきれいにすることじゃない。修業。毎日拭く必要ないのに毎日拭く。修行。普通にやったらどうやっても終わらない。私は知恵を使うことイコールごまかすと思っちゃった。知恵とズルの違いは何か。ズルは手抜きをすること。手抜きと認定するかどうかは本人が決めること。手抜きじゃなくて、時間の中で最大限の修行をすると自分で割り切って、自分の枠ができれば、その瞬間にスキップしようが何しようがズルじゃない。
立川:枠を自分で決めて、手抜きをしたかどうかは自分でわかりますよねって言いましたけど、これは本来わかりませんよね。何故なら、結局自分で決めるわけですよね。
古川:ズルとどこまでがんばるかの基準は結局人によって違ってくる。それがその人の持っている生き様。この程度で折り合いをつける人は所詮そこまでの人。ここまで頑張ろうと思う人は、ここまで頑張れる人。

立川:本当に45分でできたりする?
古川:できたというのがどういう状態か像ができれば、完成する。
立川:45分でできるようになったと、なったと思う心を得るために修行をする?
古川:45分でできるようになったとする。でも、杓子定規でやっていたら、ぞうきん1回も拭けてない。できてないのと一緒。目的をわかっていないから。形だけで拭いていたら、ぞうきんがいくら濡れていようと、一拭きも拭けていない。修行になっていない。
立川:大変だね。言っていることはわかるよ。拭けてるのと拭けてないのでは、拭けてる方がいいわけじゃん。拭けてる方がいいけど、拭いただけじゃだめだって言ってるわけでしょ。なんでそんな面倒くさいことやってるの。

立川:なんでそんなことをしているのかの意味がわからない。最終的には枠組みは自分で決めろ。自分の心で決めろ。意味がわからない。
古川:最初道場入ったら「はよせ、ああだこうだ言わずにさっさとやれ」と言われる。早くできるようになったら、「アホ! 早いだけじゃないぞ」って怒鳴られて、今度は丁寧にやることを覚えて、丁寧にやるようになったら「バカ! 先のこと考えてやれ」と段取りを覚えさせられる。
立川:ああそうか。段階があるのか。

<禅問答>
古川:禅問答は最初から課されている。例えば、片手で音を出してみろと言われる。答え何てない。答えがないから息詰まる。最初は手をぶらぶらさせる。「風切ってる音じゃないか」と言われる。ひざを叩いたら「同じじゃないか」と言われる。最後、本当は聞こえないのに聞こえる聞こえるとやったら、「嘘つけ」と怒鳴られる。10も20もやったらパニックになる。
(音は耳で聞くものという思い込みを捨てるための考案)

古川:何もやらないというのは一番怒られる。毎朝毎晩やる。表面上の内容は違うけど、つかむことは一つ。
立川:入ってすぐに一番難しいことを教えている。後は枝葉。何故だろう。禅も落語も伝統芸能はみんな同じ。

<絶対的なもの>
立川:29歳で修業初めて13年修行した。13年かかったのは?
古川:いつ終わるかどう終わるかは自分で決めるものじゃない。師匠が決めるもの。その先に見えて来る世界が、お坊さんの場合は個人を消す世界。私は個人である前にこの寺の住職。

立川:自分を乗り越える弟子が出るということは、自分と同等、またはそれ以上の悟りを後進に伝えることができる。
古川:誰もが到達できる悟りはない。お釈迦さまの弟子に記憶力が悪い弟子がいた。お釈迦さまは「お前は心のちりを払え、ちりをほうきで払え」と言った。その弟子はほうきでちりを掃き続けた。頭のいい人はずっと同じことをやれない。一つのことをやり続ける人には誰も勝てない。
立川:何か悔しい。頭のいい人には禅問答。頭のよくない人にはこのやり方があるよって、みんな救っている。みんな頑張れって言っているだけで、何も教えていないのと同じじゃないか。
古川:それはそのとおり。
立川:ええ? 認めちゃうの?
古川:今の社会は「何のために」がわからなければ、駄目だと思っている。ところが、わかることなんて知れている。なんのためですかって聞かれても、わからない。でもぞうきん持って拭くしかない。自分でやってる中で見つけるしかない。ぞうきんを持った人間だけが前に進める。本人はやらされてると思っているなら、拭いていないのと同じ。でも雑巾を持って拭かない人間は、その先にも行かない。気づいた人間はいつか自分でぞうきんを持つ。だから、どんなダメな奴でもお前がんばれよ、がんばれよと言わないと。
立川:自分もダメだったけど、頑張れよってみんなに言ってもらった。
古川:談志師匠の門下になったのは、根拠ない。絶対的な決断。金稼げるとか、この仕事でやっていけるとか根拠がない。俺がいいと言ったらいいんだ。そこまで強弁しないとしても、無意識に絶対的な道を選んでいる。絶対的なものは根拠がない。今の社会は絶対的って言っちゃうと、それぞれ絶対的なものが違って社会が困るから、説明して根拠を示せとなる。絶対性を排除する。
立川:自分の選択は正しかったと言ってもらったよう。談志の弟子になりたかったし、なってよかった。
古川:そういう人に出会えたのは奇跡に近い。そういうものに対する感性をみんなが開くべき。だから開くための仕事をしたい。
立川:話を聞いて、いろんなことが楽になった。50になって師匠死なないとこういう縁が出ない。
古川:必要がない。師匠がいれば考えなくていい。師匠だけ見ていればいい。師匠がいなくなって初めて考える。

<芸について>
古川:芸のよしあしは瞬時にわかる。
立川:落語の世界ではフラという言葉がある。なんだかわからないけどこいつ面白い。それを「フラがある」と言う。

古川:古典のものは時代が違う。廃れていくものもある。音楽でも、古い慣習などは、今の観客に伝わらない。
立川:談志は「うまいやついっぱいいる、面白いやつもいっぱいいる。だけどな、かっこいいやつがいねえんだよな。これが難しいんだよ」と言っていた。旋律として、声音として、聞いていて気持ちいい。お客さんに疑問を感じさせない。古くて内容は伝わらなくても、聞いていて気持ちよかったよって言われるのが好き。音楽的な要素を大事にした方がいいと思っている。落語の話それぞれにチューニングがあると思う。もう一つ、お客さんに合うチューニング。
古川:さっきと矛盾したことを言うけど、窓辺で手を取り合って、嬉しくて仕方ないという感性はなくなったらいけないと思う。今はみんな難しいこと言っているけど、底の方まで掘っていくと、とても単純なものになる。


立川:人生における失敗のパターンは落語の中にある。
古川:与太郎(古典落語によく出て来るだめな男)を肯定しないといけない。

古川:私たちが魅力を感じるのは無条件に自分の道を行く人。

古川:自分の道を行くのはある種の業。

古川:教育者と師匠は違う。師匠は自分が修業する人。

古川:談志ほど落語に命がけだった人間はいない。
posted by 野尻有希 at 23:00 | TrackBack(0) | 創作技術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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