2016年08月29日

庵野秀明脚本・編集・総監督『シン・ゴジラ』MX4D上映感想〜リアリティーとオマージュとブランドの大量投入

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シン・ゴジラ音楽集
鷺巣詩郎
キングレコード 2016-07-29

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by G-Tools , 2016/08/29



ツイッターで盛り上がっていたので、六本木ヒルズのTOHOシネマズに『シン・ゴジラ』のMX4D上映を見に行った。本当は巨大ゴジラがいる新宿歌舞伎町で見たかったけれど、良い座席が取れなかったので、六本木にした。

MX4Dは、上映中に座席が動く。上映前の映画宣伝の時点で会場が湧いた。よくありそうなハリウッドのアクション映画の宣伝で座席が揺れる、水が飛び出す、煙が出る。動く度、若い女性の観客たちがはしゃぐ。『ミュータント・タートルズ』も、戦車の映画の宣伝でも座席が上下左右に振動しまくり、盛り上がった。割引なしだと3000円もしたが、テーマパークのアトラクションだと思うと楽しい。

『シン・ゴジラ』本編が始まる。最初は座席が動く都度みんなはしゃいでいたが、数分もすると笑わなくなった。作品世界に没入したのである。

脚本術の本では、リアリティーが大事とよくいわれる。リアリティーとは何か。『シン・ゴジラ』を見ると理解できる。(以下ネタバレありです)

作品冒頭、進化途中のゴジラを原因とした災害が起きると、ニコニコ動画やツイッター風の画面が表示される(ネットの映像は、昔の映画によくあった新聞作成場面の早回しと同じ役割を持っている)。

首相の会見時のニュース映像再現場面では、首相の脇に手話をしている人の小さな映像が現れた。未確認巨大生物の到来を告げるニュース映像は、複数のテレビ局に次々切り替わっていく。テレビ局が変わるごとに帯の色、書体、音響が変わるのも、リアリティーの追求である。

ゴジラという大いなる虚構以外の全てにリアリティーがあるから、物語が嘘っぽくならない。ゴジラという虚構の存在も信じられるようになる。

かといって、ゴジラ以外の全てがリアルなわけではない。リアルに政治家が会議している様子を流したら、退屈な映画になる。内閣総理大臣、官房長官、官房副長官、防衛大臣、米国大統領特使など、それぞれの登場人物にはデフォルメされた役割を与えている。登場人物は役割にふさわしい発言をする。それぞれがいかにもいいそうな発言を、与えられた役割の順番ごとに話していく。発言、行動、服装、大道具、小道具の隅々に真実らしさがあるから、観客は会議の様子をリアルに感じつつ、物語を楽しめる。現実の退屈さを完全再現したわけではないけれど、現実らしく感じられ、かつ楽しく観劇できる虚構。これこそリアリティーであり、『シン・ゴジラ』である。

今作は、情報が圧縮されている。物語がテンポよく進む。ゴジラの出現からその打倒まで、2時間の枠の中にきっちり、丁寧に物語をおさめている。無駄なセリフ、不要な繰り返しはない。「作品の中には必要なものだけを入れる」という創作技術のセオリーに本作は忠実である。

かといって、余剰が全くないわけではない。先程の主張と真逆だが、この作品は余剰だらけである。例えば、ツイッター風のSNSには、庵野秀明総監督の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカの顔のアイコンが一瞬表示されるし、庵野監督の妻である安野モヨコのキャラも作中に時々出現する(主要登場人物の名前には安野モヨコの漫画作品の人物が流用されてもいる)。ゴジラを生み出した牧博士の遺影は、庵野監督がリスペクトする岡本喜八監督の写真である(岡本喜八監督の『日本の一番長い日』は、中年男性が早口で会議をする映画であり、『シン・ゴジラ』とよく似ている)。

ゴジラが体中からビームを出す様子は、冨野監督『伝説巨神イデオン』のオマージュだという指摘があるし、ゴジラのビームの効果音は、ウルトラマンのスぺシウム光線と同じものだと指摘されている。このように『シン・ゴジラ』は、庵野監督ほか製作陣が敬愛する先行作品の引用、オマージュに溢れている。ツイッター民らは、『ガールズ&パンツァー』劇場版と同じレベルで、作中のこまかすぎるこだわりを次々発見していく。オマージュを理解できると、作品に親近感がわく。鑑賞者自身もオマージュが好きだと、作品に愛着がわく。オマージュとパクリは違う。オマージュには尊敬の念と先行作品に対する礼儀がある。リアリティーとオマージュの幸福な合体こそ『シン・ゴジラ』である。

作中には、300名近い人物が登場する。ちょっとした人物にもテレビや映画でよく見た俳優がキャスティングされている。エンドロールを見て、「え? 前田敦子も出ていたの? 一体どこにいたのか」と筆者は驚いた。既知の豪華キャストをこれでもかと投入するのは、視聴率絶好調なNHKの朝ドラ、大河ドラマと同じ手法である。20代以下の若手俳優で重要な役を与えられたのは、高良健吾(28歳)くらいではなかったか。ネットで大人気の尾頭ヒロミ役の市川実日子も、高橋一生も三十代中盤である。石原さとみも29歳だし、登場人物の大半は30代以上の制服を着たおじさんばっかりだった。子供はほとんど出てこなかった。

超高齢化社会の日本では、注目の若手俳優をたくさんそろえても、フジテレビみたく視聴率が取れない。完全オリジナルのドラマをやっても、フジテレビみたく視聴率は取れない。みんながよく知ったなじみの俳優をそろえて、みんながよく知ったブランドをやる。グローバルSNS社会では、認知的優位がなければ、大ヒットは生まれない。その点『シン・ゴジラ』は、製作陣も俳優もゴジラという存在も有名ブランドであり、同じく有名ブランドを使用した『ポケモンGO』並みのヒットもうなづけるのだった。

リアリティーとオマージュとブランドの大量投入。これが筆者の見た『シン・ゴジラ』の一面だった。(連載続く)
posted by 野尻有希 at 21:54 | TrackBack(0) | 映画論(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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