2016年09月11日

NHK教育「SWITCHインタビュー達人達:新海誠×川上未映子」より印象的な言葉のまとめ

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あこがれ
川上 未映子
新潮社 2015-10-21

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by G-Tools , 2016/09/11



NHK教育で「SWITCHインタビュー達人達:アニメーション監督 新海誠×小説家・詩人 川上未映子」が放送された。以下印象的な箇所のまとめ。

<技術と水源>
新海:川上さんの初期の作品を読むと、文体のアクロバティックさなど技術の方に見えた。同時に僕達の知らない水源から水を汲んでいるようにも読めた。ご自身は、どちらに立っている?
川上:書き始めた当時は技術がないので、インスピレーションや身体性を乗りこなす感じで書き始めた。一作書くと、自分に何ができていないかがわかる。次は絶対同じことをしてはならない。そうは思わない作家もいるが、私の場合、とにかく技術をつけなきゃいけないと、一作目書いた時に思った。両方がうまく両輪としてまわって一つの作品を創りあげていくのが理想。
新海:最初は技術がない自覚があった?
川上:書いてみると全然書き方がわからなかったし。それが逆に良かったのかもしれない。
新海:どこまでも技術的なものに読めたのだが。

川上:わからないなりには、あれこれ考えて技術を発揮したが、技術というより、経験がない。感覚だけで書いていると絶対言われてはいけないと、最初思ったのをよく覚えている。

新海:最初に小説家になると決心した瞬間は?
川上:作家になりたいというモチベーションで小説を書き始める人もいる。私の場合は、すごく熱中できるもの、病みつきになるものが、今はたまたま小説だというだけな気がする。
新海:今でもですか?
川上:そう。書くのはすごく難しい。書いても書いても終わりがない。でも創作ってそうですよね。ずっと続いていくんだろうなと思う。
新海:病みつきって何故?
川上:自分ではあまり説明つかない。書くのは難しいから、難しいことにチャレンジしたい。
新海:書いている時に進まなくなることは?
川上:ある。そこはあまり苦しくない。書く前が苦しい。今日もまた敗れ去るだろうみたいな気持ちがある。完璧な文章、絶対的な文章はないけれど、理想だけはある。それは常に敗れ去る運命にあるから、書く前はすごく気が重い。始めるまでがすごく長い。書かなければ、自分の非力さを直視することもない。書く前はいつも臆病。
新海:書かない状態にい続けるのは辛くないですか?
川上:辛い。そっちの方が辛い。

川上未映子『ヘヴン』より引用
「『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ。自分がされたらいやなことなんて、みんな平気でやってるじゃないか。肉食は草食を食うし、(中略)いつだって強いものは弱いものを叩くんだ』

川上未映子『あこがれ』より引用
『眠っているおばあちゃんと、これから死んでいってしまうおばあちゃん。このふたつは、おなじおばあちゃんなんだろうか』

ナレーション:川上は、大人がふたを閉じてやり過ごしていることに疑問を差し込んでいく。

新海:川上さんの作品を読むと「何でこの人はこんなことをクリアに覚えているんだろう」ということがたくさんある。それをキープしているのがすごい。どういう子供時代を経てここまで来たんだろう。
川上:インスピレーションと技術、というか理屈がぐちゃぐちゃしている子供だった。
新海:すごくしゃべるこどもだった?
川上:おしゃべりだった。いつかみんな死ぬということが、絶対こっち(違う場所)から、自分を見ている気がした。みんな忘れているけど、子供の時怖くなかった?
新海:覚えていない。
川上:何で私は生まれてくると決めてないのに、生まれてきたのかみたいなことが気になる子供だった。そういうのを親に聞くと、「走ってきて」といわれた。「そんなごちゃごちゃ暗い話はもうええから」みたいな感じで。
新海:すごいマッチョな解決法。(笑)
川上:よくいえば繊細だし、悪くいえば理屈っぽいというか、くよくようじうじしている子供だった。
新海:自分で何かの経験があったからとかではなくて、生まれつきだった?
川上:生まれつき。自分の手をじっと見て、これがいつか焼かれるんだと思って、みんな遊んでるけど、すごい怖くなった。リカちゃん人形で遊んでいて、「はいおしまい」って閉じる。閉じた私はご飯を食べれる。私、実は閉じられる方だと思った。いつか閉じられて、息もできなくなる。すごい怖かった。誰かと示談して、死なないことをないことにはしてくれない。全員死ぬんですよ。

ナレーション:川上が子供の頃持っていた感覚は、周囲に受け入れられなかった。例えば誕生日、「死に向かっているのに何故喜ぶの?」というと、まわりがひいていったという。自分の考えを言葉に出してはいけない。そんな思いを抱えていた小学4年生の時に転機があった。

川上:小学校の時、なんでもいいから作文を書く授業があった。いつか死んでしまう、だったら誰よりも先に死にたいと作文に書いた。それまでは「死ぬ」とか「何で産んだの?」とか作文にすると、大人は嫌がる。でも、すごいほめてくれた先生がいて、「先生にもそれはわからへん。でも考え続けるのはいいことだ」と拍手してくれた。
新海:川上未映子さんが誕生した瞬間かも。
川上:本当に思っていることは言葉にしていいし、共有してくれる人がいるんだ。肯定されたということの方が大きかったかも。トイレですごい泣いたのを覚えている、嬉しくて。恥ずかしいし。例えばイノセンスというと、監督はいつのどの景色を思い出す?
新海:12、3歳かもしれない。
川上:季節は?
新海:冬、田舎の高原に育ったので、夏も肌寒いくらいだった。
川上:それは監督の創作においてすごく重要なこと。
新海:寒さと、寒さの中で見る星の瞬きみたいなものがよりぎらぎら見えて。届かないぎらぎらというものが、世界の本当の姿であり、あるいは片想いをしている相手であり……あの時に一番大事なもの、何かを受け取って、それを今、作品の中にどう移そうかと思っているような気がする。
川上:私も10歳前後に見ていたもの、その時に見ていた世界は、世界の感じと自分のあり方が等価である、みたいな。あれはかけがえのない一瞬。現実には辛いことがたくさんある年齢でもあるけど、一番ものがよく見える。何もかもがよく見えた。
新海:カメラの解像度が高かった。一枚の葉っぱ、葉脈みたいなものまで。
川上:あの余韻が残っていて、何か書く時に出て来る。レンズがかしゃんと入るというか。
新海:思春期を迎えると、男の子も女の子も変わる。どうだった?
川上:すごいポエムを書いている子供だった。
新海:僕もポエム書きましたね。絵とかは?
川上:絵も好きだったけど、言葉の方が親和性が高かった。自分が死ぬことに対する驚きをポエムにする。ある時からもっと明確になってくる。輪郭がはっきりしてくる。死んだ人がいないのに死って存在しているといえるのかとか、そっちの本を読み始めたのが、10代の終わりごろ。理屈をつけていく。
新海:それが今の技術のバックボーンになってる?
川上:言語化するということでは、あったのかも。
新海:僕はあまり泣かないタイプだけど、『あこがれ』は泣いてしまった。ヘガティーが走り出すところが、アニメーション的な疾走感に満ちているなと思いながら読んだ。でもそこでヘガティーが思うことは、小説じゃないと書き得ないことになっている。

川上未映画子『あこがれ』より
「そうだ、かわいそうなのは、ひとりぼっちなのは、わたしなんかじゃないんだ、お母さんなんだ、みんなが生きているなかで、お母さんはひとりで死んでいってしまったんだ。お母さんはたったひとりで、死んでいってしまったんだ、わたしは、お母さんと一緒に死んであげなきゃいけなかったんじゃないのか、お母さんと一緒に、わたしが一緒に、お母さんだけが今もひとりで、お母さんだけがずっとひとりで、お母さんだけが」

川上:女の子が走るのは、自分にとってすごい重要。
新海:お母さんに外走ってこいって言われたんでしょ(笑)
川上:私もよく走っていた。逃げ出す、次の場所に行く、全力で走ることが、焼きごてみたいに入っている。絶対走らずにはいられない。
新海:走らないと出てこない気持ちがある。走っていると、気持ちが一瞬内側に向かう瞬間がある。
川上:身体的にも息が苦しくなる。限界、ぎりぎり、ばらばらになる感じ。あとちょっといったら全部がばらばらになってほどけてしまう一瞬をいつも書きたいと思っちゃう。
新海:この次は川上さんは
川上;長いのを書く。今まで全部決めていた。シーンを一個一個決めて書くタイプだった。今回は初めて出たところで、自分を信用して書いてみようと。歳を重ねてくると、話がくどくなる。もう60枚書いてるとか、120枚書いてるとか長くなる。だんだんシャープさがなくなって、同じこと喋る人いるじゃないですか。小説でもだんだんああいう風になっていて、焦っちゃう。くどいの、とにかく。

<後半は舞台をスイッチ。新海の仕事場で、川上が新海にインタビュー>
新海:合成作業が一番楽しい。
川上;『君の名は。』を拝見して、アニメーションを普段見ない人も、ティーンも、自分達の問題じゃないと思っている大人も、見たら絶対に自分の問題がある。自分のよく知っていること、大事なことというか。
新海:絵空事にならないように、同時代の人に見てほしいと思ったし、見た後に自分達の何かとつながってると思ってほしかった。
川上:あの歳と同じくらいの子達がみれば、この夏の忘れられない思い出になるだろうし。今回は、この映画を誰に向けて作った?
新海:そうだな……
川上:その時、ないんですよね。自分の中の何かが偶発的にかたまって、何かができるんですもんね。
新海:想定している観客の一つは、十代の自分。
川上:十代の自分に見たかったものを作っているのか。
新海:そうだな、本当にそうなのかわからない……
川上:わかんないね。言葉にすると嘘になっちゃうから。
新海:『君の名は。』は夢の中で出会う男女の話。アニメでは、夢の中で出会って入れ替わる。現実の中でも僕達は、明日誰か知らない人に会うかもしれない。何年後かにもっと大事な人に会うかもしれない。そういう人が未来にいるということを強く信じていいのかなと。特に過去の自分とか、思春期あたりをうろうろしている子達とか。まだ会っていない人達の中にすごい大事な人がいるかもしれないと言いたい。僕はいたから。

新海:とにかく作りたい衝動だけだった。同時にいろんなことがうまくいっていない時期だった。
川上:ぎりぎりの感じ?
新海:何か言いたいことがあるんだと。デビュー作『ほしのこえ』は「僕はここにいるよ」という言葉で終わる。もしかしたらとても単純な気持ちかもしれない。深夜まで仕事しても、誰にも見られていない気持ちもあったし、誰にも届いていない気持ちもあったし。でも、何かいるんだと。何か言えることがあるし、届けられることがあるんだと。

新海:会社辞めて、一本『ほしのこえ』を作って、持って行ったのが下北沢の単館の映画館。初日の挨拶で下北沢にいったら、行列ができていた。この行列は何かな、自分と無関係と思いながらいったら、自分の映画を見に来てくれた人の列だった。上映22分終わったら、すごい拍手が起きた。それが本当に大きな経験だった。あの拍手の残響みたいなものが、今でも映画作りをしている原動力になっている。川上さんが先生から褒められた時と同じような感じ。
川上:ようこそって、スタート。プラスじゃない。マイナスだったものがゼロになった。やっと水面から顔が出た。
新海:湖の底に顔を沈めていたのが、やっと外に出た。
川上:絵は得意だった?
新海:クラスで2、3番目くらいにうまいなという気分はあった。
川上:何が好きだった?
新海:背景を描くのが好きだった。風景画
川上:色? 輪郭?
新海:僕は雲の形と雲の色。雲の絵を水彩絵の具で描いていた。雲は漠然と描くと本当に漠然とした絵になる。雲は気象現象の総体。上空はどれくらいの強い風が吹いているのかなとか、寒いのかなとか、そういう体感があると、いい雲になる。
川上:技術プラス想像力、感覚と情報があると、いい雲になる。

ナレーション:新海は天候、背景を人間の心模様として描いている。

新海:自分の過去作見るんですか。辛いな。
川上:辛いですか? 何見せられている気分になる?
新海:昔のラブレター読み上げられている気分になる。
川上:『秒速5センチメートル』めっちゃ雪ふるじゃないですか。主人公が、時間は悪意を持っている」とおっしゃってましたけど、このシーンが好き。動けないでしょ。もうたまらないです、動けない状況が。雪ふるっていったらとことんふるのがすごいよくて。先程、イノセンス思い出す時にやってくる気候が「寒さ」であると聞いて、監督の創作の身体性として寒さがあると思う。
新海:小学生の時、ずっとスピードスケートをやっていた。朝日がやってくるのを湖で毎日見ていた。自分の体が朝日の中に入ると、自分の体が朝日の中に入ると、体感で何度かあがる。寒いけど温かくて、何か熔ける感覚があった。
川上:幼い時から見てきた体感とか光の感覚とかそういったもの、今創作される時に新海監督にしかできない表現だったというわけで、高く評価された。

ナレーション:新海はモノローグによって、見る者を忘れかけていた思春期にいざなう。

神木隆之介:間が大事なんだなとすごく思った。監督の好きなリズム、モノローグの言葉一つ一つ、あ、ここで切るんだというところだったり、台本で改行されてるけど、つなげていくんだ、食い気味に入っていくんだとか。台詞の終わりをいかに曖昧にいうか、かすれていくか。

川上:モノローグ載せるのは、選択の余地がないほどぴったりした方法?
新海:言葉、リズム、音が好き。モノローグはダイアローグと違って、音楽に近い。詩のようなもの。アニメなんだからモノローグなんていらない、絵で表現すればいいという指摘をたくさんいただくが、欲しい。1本の映画が、長い時間軸での1曲みたいな、1曲を聞いた後みたいな感じになってほしい。
川上:『秒速5センチメートル』で、「僕達は似ていた」とか、「どこか似ている」とかじゃなくて、「僕達は精神的に似ていた」と主人公がいう。これって、スルーする人はスルーすると思う。珍しい言い回しではないけど、「僕達は似ていた」という言い回しでは終われないんだと思った。
新海;サバイブなのかもしれない。モノローグで彼らは俯瞰して、自分達の共通点を見ている。ただ似ていたんじゃなくて、何が似ていたのか。一生懸命よく見て、引っ張り出している。状況を少しでも客観視して、未知の巨大な悪意を持った人生に立ち向かったり、乗り越えたりしようと。そういう気持ちをモノローグに入れているのかも。
川上:絵、声が肉体だとしたら、言葉、モノローグが精神に相当すると思った。ただ過ぎ去っていくアニメーションに精神に相当するもの、監督の場合は言葉。
新海:初めて言われた。
川上:大事なのは精神というか。境遇でも顔でも感じ方でもなくて、精神が似ているってすごい言葉。印象的な言葉で、監督を表しているセリフだなと思った。

(所感)
両方のファンなので、対談が嬉しい。新海さんは川上未映子の創作の秘密に鋭い質問を連発しているし、川上さんも新海監督の創作の特異性を突いている。自分だけが持っているはずの水源を刺激される対談だった。


posted by 野尻有希 at 21:47 | TrackBack(0) | 創作技術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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