2016年10月02日

「SWITCHインタビュー達人達 ソングライター 水野良樹×映画監督 西川三和」より印象的な言葉のまとめ



NHK教育で『SWITCHインタビュー達人達 ソングライター 水野良樹×映画監督 西川三和』が放送された。水野はいきものがかりのリーダーでソングライター。西川三和は映画監督で小説も書く。以下印象的な箇所のまとめ。

西川:どうして自分達の音楽は、マスに受け入れられたと思っているか? 大衆歌という言葉を使われる。どうやったら大衆を惹きつけられるのか?
水野:なるべく多くを書かない。器になることを大事にする。
西川:器? 中身ではなくて?
水野:中身じゃない。中身は多分わかりあえないので。大前提として、人間と人間はわかりあえないところからスタートするべきだと思っている。共感する歌はある程度まではいくけれど、広く届かない。その人が、これは自分の言葉だと思った時、届く。

水野:弁当屋で惣菜を選んでいた時、隣で自分と同じくらいの世代の夫婦が、自分と同じように惣菜を選んでいた。有線で「ありがとう」が流れてきた。奥さんが「あ、これゲゲゲの曲だ。私この曲好きなんだよね」といって、だんなさんが「ああ知ってる知ってる」といって口ずさんで、夫婦の会話が生まれた。旦那さんがふざけて歌っているから奥さんは笑っていて楽しそう。隣に作曲者がいるなんて二人は思っていない。このように、日常生活の何気ない瞬間にすっと入っていく場面に遭遇すると、受け入れられている。曲が届いていると実感する。

水野:結婚式で、お父さんお母さんから花束が贈られる時、「ありがとう」が流れていることが多い。その時の新郎新婦の気持ちは複雑なものがある。親子関係なんて色々あって、反抗期もあったり、複雑なものを経た上でのありがとうになる。それはその人達だけの共通理解のありがとう。そこに「ありがとう」という曲が寄り添う。もしかしたら、器として大事な気持ちを入れているのかもしれない。そういう時、誰かの生活に曲が届いていると思う。
西川:『「わかりあえない」他者とつながるためにこそ、僕は大衆歌を書いています。』と番組出演依頼のメールに書かれていた。他者とわかりあえる瞬間はあるのかなと思っていたけど、そういう瞬間にあるのか。
水野:ごくたまに。

西川:水野さんは客観的。社会性も高いパーソナリティーの中に絶対的な自負を感じる。自分が一番になれるはずだという。
水野:見抜かれていたか(笑)。自分を信じてあげられるのは、自分しかいないというあきらめがある。自分がどれだけみっともないかとか、ダメな人間だと一番知っているのは、自分自身。
西川:みっともないんですか?
水野:みっともないです。

西川:自分の作曲した歌を吉岡さんに歌われて、どう思う?
水野:自分が思っているのと違うものになったとか、狭いものになったと思うことがないわけではない。ただ彼女に歌ってもらうことによって、広くなったことの方が多い。僕個人が歌うと、狭くなる。水野という個人が作った曲を水野という個人が歌うと、水野良樹という人間にどうしても結びついてしまうので、狭くなる。

西川:水野さんは、ネットリサーチしたことも作曲に使う?
水野:大衆歌なので、なるべくすべての感情につながるようにするのが、歌の作り手がやらなきゃいけないこと。どんなに汚い言葉でも、それは一つの要素だから見ておきたい。空気を感じておかないと、大衆歌としてはダメなんじゃないかと思う。

水野:映画の中に描く別れのテーマは、年齢を経るごとに変わった? 震災とかあると、失った後に生きなきゃいけない。
西川:20代の頃は、別れが終着だと思っていた。歳をとると、別れた後も人生は続くことに気づく。立ち直れないけど、立ち直ったように装わなくてはいけない。ああ、絶望的に長いとみんなが感じたのではないか。

<水野良樹から西川三和への質問>
水野:西川さんは、自分を紹介する時、小説家ですとはっきり言う?
西川:言わない。背負う覚悟がないから。映画は下手でも背負っている気持ちでやっている。小説は背負っていない。小説の方が、自分が自由になっている感じがする。自由を感じるのは、私がプロじゃないから。
水野:判然としないもの、モヤモヤとしたものを書けるのが小説の世界だと思う。自分は判然としないものを書ける小説に魅力を感じている。映画にすると、俳優の肉体を通して判然としてしまう。そこに恐怖を感じないか?
西川:俳優という具体的な肉体が入ってくると、自分がイメージしたものとはずれがある。
水野:1人で完結できるのに、映画はたくさんの人が関わる。自分がイメージしたものと違うものになる可能性がある。何故映画を?
西川:他の人を入れてやるということは、妥協と落胆の連続だ。それを崩壊ととるか、変化と受け取るか。
水野:映画を作る人との関係性があるから好きなのか、作品として好きなのか。
西川:振り返ってみると、自分が完璧に支配して作り上げた箇所よりも、色々な偶然が重なった箇所、場所や天候、俳優が出してくれた、自分の思いつかないシーンの方が、後々好きになる。
水野:撮影が終わると寂しくなる?
西川:寂しくなるというより、場所自体を非常にいとおしく感じる。あんないい場所があったのに私は毎日うまくいかないうまくいかないといってるばっかりだったなあと気づいてしまう。次こそは人を活かして、もっとコミュニケーションをとってと思うんだけど、またうまくいかない、目の前の人を大切にしない、終わる、終わるとまぶしく見える、その繰り返し。
水野:夫婦みたいだと思う。好きなところを百個いえるけれど、嫌いなところも百個いえて、けれど手放せない。全部混ざっている。
西川:手放しにほめられない。けれどそれが、血の通った関係性。人との関係性も映画という表現手段そのものも、自分の家族のように近いものになっている。愛憎うずまく。全部入っている。

(最後)
水野:メモを持たれているのがすごい怖くて。
西川:そうでしょ。これはね、武装だから、私の。
水野:ノートを持っている時が一番怖い表情になりますね。
西川:カメラを構えているのと同じように、ノートを持っているとこっちが優位に立てるんです。
posted by 野尻有希 at 01:08 | TrackBack(0) | 創作技術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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