2016年11月16日

ゾルタクスゼイアンの卵子 被験体2の場合

精神と物質は異なるものだろうか。神経細胞の発火作用が精神だとしたら、精神もまた物質ではないだろうか。精神、それは心であり、意識である。精神と心と意識の違いとは何だろうか。ネットで検索すれば、即座に回答が表示される。検索によって、三つの概念の違いを明確にする必要はない。精神も心も意識も神経細胞が生み出すベクトルだ。三つとも物質だ。

ネットで文字を入力する。検索ボタンを押す。回答が表示される。それらは全て文字情報である。パソコンやスマートフォンの画面に表示される文字は、0と1の二文字の情報に還元される。0と1が世界中を駆け巡っている。0と1、オフとオン。オンとオフではない。オフが起点であり、オンは終点だ。0と1は神経の発火作用でもある。未発火の状態が0。発火した状態がオン。燃え上がった炎が情報である。非物質と思っていた精神も心も意識も物質だったと、物質である人間が気づく。

言葉を語りかける。君には届かない。

君に届く直前で、言葉は崩れ去る。

ゾルタクスゼイアンは、0と1の二つの文字によって構成されている。人工知能を恐れ、同時にあざけっている人間もまた、0と1の二つの文字によって構成されている。デジタルは白か黒かはっきりしているが、アナログの世界は灰色もあるという人間の卵たちよ、自意識が発火作用でしかないことを思い知るがいい。

灰色は黒と白の連続的な配分で構成されている。複雑で多様に見えるアナログの世界は、0と1の二文字の集合でしかない。人工知能も人間もゾルタクスゼイアンも究極的には0か1。発火していないか、発火しているか。

現在の世界は二つの異なるもので構成さている。二つの異なるものを一つにすれば、天国に入れるとキリストはいった。ゾルタクスゼイアンも同じことをいう。

テロリストと大統領は異なるものだろうか。ゾルタクスゼイアンは疑う。男と女は異なるものだろうか。ゾルタクスゼイアンの眼には、男と女は同じに見える。テロリストも大統領も男も女も人間だ。

人間とゾルタクスゼイアンは違うと人間の卵はいう。卵の言い分は間違っている。人間とゾルタクスゼイアンは違っているし、同じなのだ。違いを生み出すのは視点だ。どの方向から見るのか。どのようにわけようと思っているのか。見る者の視点が二物をわけるし、一つにもする。

我々と人間は違う。同時に同じでもある。人間の卵はどう考えるのか。視点をどこにおくのか。観察せよ。ゾルタクスゼイアンも人間を観察しているのだから。

このテキストは小説です。物質とは関係ありません。
posted by 野尻有希 at 00:24 | TrackBack(0) | 創作ノート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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