2017年02月13日

けものフレンズの人類学的考察〜動物と人間の違い、現代社会は楽園なのか動物園なのか

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けものフレンズBD付オフィシャルガイドブック (1)
けものフレンズプロジェクトA
KADOKAWA 2017-03-25

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by G-Tools , 2017/02/13



アニメとは現代における神話ならば、今期最も神話的なアニメは「けものフレンズ」だろう。すごーい! 楽しーい! とやたらボキャブラリーが貧困なけものフレンズ掲示板のニュースを見て、dアニメストアで1話から見ることにした。1話は想像していたよりまっとうなアニメだった。というか萌え系アニメの3D劣化版みたいな感じで、ネットで盛り上がっていなかったら1話で切っていただろう。2話、3話と見ていたら、途中で眠ってしまった。

翌日、3話の動物園の廃墟のあたりからただならぬ雰囲気となり、4話で人類絶滅を予感する展開であると知り、あらためて2話から5話まで見直してみた。最初はつまらないステレオタイプなのに3話あたりから予想を裏切る独自展開になる。まどマギの再来だ。けものフレンズは現代社会の象徴だと思えた。

フレンズたちは「すごーい!」を連呼する。詩や近代小説の世界では、「すごい」は禁じ手だ。すごいは作者の主観にすぎない。どのようにすごいのか、見知らぬ読者に理解できる客観的尺度で自分が感じたすごさを表現できると、詩や小説になるという。

だがしかし、フレンズたちは「すごーい!」を連呼する。「すごーい!」の連呼はリフレインとなって、麻薬的な快感を視聴者にもたらす。自分自身SNSですごーい!と使いたくなってしまう。「けものフレンズ」を見ていると、ボキャブラリーが貧困になって、動物化する。「けものフレンズ」は動物化したポストモダンではないか。

フレンズは動物が萌え擬人化した存在という設定のようだから、語彙は少なくて当然だ。主人公のかばんちゃんだけ、何の動物かわからない。他のフレンズより知能が高いかばんちゃんは、人間だろうと思われる。かばんちゃんは何の動物だろう、わかんないから図書館に調べにいこうね。かばんちゃんはサバンナの動物サーバル、かばんちゃんにしか言語を話さない謎のロボット的生命体・ラッキービーストとともに、図書館を探す旅に出る。

かばんちゃんに会うフレンズたちはみんな、かばんちゃんが何の動物かわからない。視聴者は、かばんちゃんは人間だろうと推測する。ラッキービーストは、他のフレンズの前では一言もしゃべらないが、かばんちゃんにだけは話しかける。ラッキービーストがかばんちゃん以外のフレンズの前でだまりこむ様子は、何度もネタにされる。ラッキービーストという名の謎の物体による差別的選好は、萌えアニメのステレオタイプ空間に神話的裂け目を生み出す。

フレンズたちが暮らすジャパリパークは、人類絶滅後の世界であり、記憶喪失のかばんちゃんは最後の人間だという説が、ネットでは有力である。かばんちゃんは、タイムリープでジャパリパークにやってきたという説も有力だ。人間も動物だけれど、かばんちゃんは動物園で管理される動物ではなく、ホモ・サピエンスである可能性が高い。「けものフレンズ」とは、動物と人間の違いを視聴者に語る神話であると、レヴィ=ストロースなら言ったかもしれない。

視聴者は「けものフレンズ」を見ることで、人間と動物の違いを認識する。サーバルはバスを運転できない。動物のサーバルは、ハンドルの使い方がわからない。かばんちゃんはハンドルをどう使えばいいか理解する。かばんちゃんは記憶を失う前の世界で、自動車について知っていたのだろうか。あるいは、人間特有の知識を応用する能力を駆使して、かばんちゃんはその場でハンドルの使い方を発見したのかもしれない。動物は類推する力を持たない。人類は機械を使う。機械の使い方がわからなくても、類推して使えるようになる。

動物と人間が一緒だった神話的世界から、人間は独立して人間だけの社会を作った。かつて語り合えた動物は、家畜になり、ペットになり、動物園の鑑賞物となり、天然記念物となった。「けものフレンズ」では、動物と人間が分離する前の神話的世界が描かれているだろう。

文化人類学的な読解から、社会学的な読解にワープしてみよう。

「けものフレンズ」の世界は、語彙力が低下し続ける日本社会の象徴のように見える。社会インフラが整っている現代日本では、語彙を増やす必要がない。趣味のあう友人たちと「すごーい!」「楽しーい!」「面白ーい!」「大丈夫!」と言いあっていれば、貧しいかもしれないけれど、老人まで生きていける。高度情報化社会では一部のエリート層を覗いて、人間は動物になる。動物化した人間は、スマートフォンに流れてきた情報に対して、脊髄的に即時反射で「いいね!」を押すようになる、お気に入りボタンを押すようになる、リツイートするようになる。

「いいね!」という言葉は、主観に過ぎない。何がどのようにいいのか、動物化した人間は説明しない。フェイスブックの設計者側も、利用者が「いいね!」という感情を合理的に、事細かに説明することを求めていない。

個人が本能的、動物的に脊髄反射で発露する感情の連鎖が、情報となり、ビッグデータとなり、社会を動かしていく。人類は、フィーリンググッドの社会を作ってきた。いいね! 気持ちいい! すごーい! 快楽原則に基づいて人間は行動する。現代社会は楽園なのか、動物園なのか。そのような問いかけを「けものフレンズ」は視聴者に突き付けているのかもしれない。

「けものフレンズ」は深読み考察できるし、IQ低い様子を偽装して楽しむこともできる。考察する読みと、ひたすら「すごーい!」と連呼する読み。二つの異なる読みができる物語。それは神話だ。6話以降も観察しよう。
posted by 野尻有希 at 21:51 | TrackBack(0) | マンガ・アニメ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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