2017年04月12日

セシウムとバリウム

会社の健康診断があった。待ち時間は吉野弘の『詩のすすめ』を読んだ。最後の診断項目は胃部レントゲン検査だった。常識を疑う詩人の思考に触れたせいかバリウムを飲むのが苦痛だった。

「自分のペースで飲んでいいですよ」と検査員に言われた。途中何度も休憩しながら、白いクリームを飲む。

検査員の視線が気になる。無言のプレッシャーを感じる。けれど気持ち悪い。急いで飲むとげっぷが出そうになる。吐き気をおさえつつ甘い白濁液を飲み干す。

「機械が動き出しますよ。手すりにつかまってください」

自分の体を乗せた機械のアームが動き出す。台座が回転する。写真撮影が始まる。被験体になった気持ちになる。

「お腹を少し右に向けてください」

「そのままおじぎをしてください」

「ゆっくり右に二回回転してください」

動く度に吐きそうになる。何故こんなことをしているのだろう。非人道的な扱いを受けていないか。心の中に疑問が次々湧き出る。詩人の書いた本なんてバリウム検査の前に読まない方が良かったと後悔する。

胃部エックス線検査が終わる。下剤のカプセルを飲み、歯磨きする。口元から垂れている白いバリウムの跡をティッシュで拭き取る。

健康センターの最上階で、栄養バランスのとれた食事をする。食後、コーヒーを飲みながら、吉野弘の本を読む。高村幸太郎の戦争協力詩が紹介されている。道程と智恵子抄の詩人の戦争協力は、教科書ではあまり語られない。

食堂のテレビでは、豊洲の地下水のベクレルが報道されている。テレビは豊洲の地下水のベクレルを報じたがるけれど、東京湾で獲れる魚のベクレルはあまり報道されない。

ふいに便意がわいてくる。トイレに向かう。尻から白いバリウムが大量に出た。

数年前、初めてバリウムを飲んだ時は、バリウムが出なかった。胃腸の襞にバリウムがこびりつく感触が何日も残った。食べ物を口にすると、バリウムを思い出して吐きそうになった。食べる欲望が減退して、体重が五キロ減った。

あれはちょうど震災の年だった。テレビではセシウムやベクレルという言葉が飛び交っていた。放射性物質の残留恐怖とバリウムの残留恐怖が、心の中で重なったかもしれない。

震災の翌年の健康診断では、バリウムを飲むのを拒絶した。

「今年は中止にしますね。バリウムは胃カメラに変えられますんで、来年は内視鏡検査を受診してください」と面談医に言われた。

震災の翌々年からバリウム検査を再開することに決めた。飲んだこともない胃カメラを体の中に迎え入れるくらいなら、バリウムの残留恐怖を我慢する道を選んだ。

バリウムを僕は受け入れた。震災四年目、五年目も大丈夫だった。検査当日は不快極まりないけれど、翌日以降は食べる欲望が回復した。慣れてしまえば日常に組み込まれる。

セシウムとバリウムは似ている。どちらも体に滞留する。心にべっとり痕を残す。

原発再稼働論議が続いている。廃炉作業も続いている。除染作業も続いている。多くの人は受け入れた。我慢する方法を学んだ。

健康診断の後、電車で会社に戻った。車内で見かけた新聞にも、豊洲の地下水の記事が載っていた。会社のビルに着いてすぐ、地下のトイレで白い便を吐き出した。

戦後、詩人は何を書いてきただろう。バリウムを胃腸から除去した後、僕は何を書くだろう。放射性物質を除染した後、詩人は何を書いていくだろう。除染作業がいつ終わるのか誰もまだわからないけれど、セシウムとバリウムは似ている。

posted by 野尻有希 at 22:11 | TrackBack(0) | エッセー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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