
- 下流社会 第2章 なぜ男は女に“負けた"のか (光文社新書)
- 三浦 展
- 光文社 2007-09-14
- おすすめ平均

煽るだけ煽り、終了。
自分の「ストーリー」に合うように、適当に事実を切り貼りしている
週刊誌の隅にありそうな記事の羅列
なんというか…
コレで研究か。
by G-Tools , 2007/09/23
買ってすぐ読み終わった。SPA!男とSMART男の対比が面白かった。SMART男はファッションに金を使い、部屋にもインテリアをそろえ、カフェでくつろぐのが好きで、貯金はあまりなく、仕事に対する意欲もあまりない、かつ自民党好きだという。街中にいるファッショナブルな男たちは、みな下流なのかと地味な読者は自尊心を満足させることだろう。メンズノンノの購読層も下流気味だという。これはなんだかルサンチマンの解消のように感じられる。
お嬢様のスタイルが変わったという指摘も興味深かった。昔は「深窓の令嬢」という紋切り型の表現が表している通り、お嬢様は家でお稽古事をやるだけで、企業社会で働いてはいなかった。最近の高収入の家庭に生まれたお嬢様は、おけいこごと、ファッションなどにも気を使いつつ、キャリアウーマンとして働き、高収入であるという。むしろ学歴やコミュニケーション能力のない下流の女性が、就職してもうまくいかず、フリーターやニートに甘んじているという。
前半は男性が女性に負けたという記述が多く、男性バッシングかと思いきや、後半はフリーターの若年女性こそ、下流社会の最先端を行っていると切り捨てる。それにしても、どんな雑誌を読んでいるかというアンケートの統計で、人々の性格傾向をさぐる古典的手法は、情報社会の現代でもう通用しないのではないか。雑誌の売上とか読者のライフスタイルへの影響力なんて格段に下がっているし、そもそも雑誌を買っていない人が大量にいるだろう。
それでも一番ためになったのは、「下流ほど歳をとっても自分を探し続ける」という断章だった。年輩の知識人、文化人に、若者の自分探しブームを批判する人はたくさんいる。「自分なんて探しても見つからない」と彼らは言うが、私はそうした言葉にやや反感を持っていた。しかし、自分探しの反対は、自分を探していない状態ではないのだ。自分を探している状態の反対語は、自分が確立している状態なのだと、アンケートの分布図を見て気づいた。
自己を確立することが、ドイツ文学的教養小説のテーマである。二十世紀になってアンチ教養小説画たくさん出てきた。教養小説が否定される一方で、ポストモダンの現在では、村上春樹のごとく自分探しおよび自分の無意識の探求がテーマとなるものが増えてきた。自分の深層を探し続けていると、社会的振る舞いが希少となるのは必然だ。自己が確立している人もまた、若い頃自分探しの経験を持ったろうが、書物を読み知識を積み上げつつ、社会経験を積むことで、自分の生きる目的や特徴を見極め、社会的自己を確立させたのだ。自己確立ができないと、社会的存在とはなれない。社会的存在で無い人は、必然的に労働から逃避した存在者となる。私自身いまだ自分探し、もしくは自分を磨いている状態だが、早く自己を確立させたいものだ。





