2010年09月14日

小説創作論:コピーするのと技を盗むのは全く異なる行為

コピーするのと、技を盗むのは、全く異なる行為だ。

・コピーしても、それを書いた人と同じように、別の文章を書くことはできない。技を盗めば、それを書いた人と同じような書き方で、何個も文章を生産することができる。デジタルのコピーと技を盗むことは、全く違う。

・技を盗むためには、文章の有機的つながりを意識する必要がある。コピーする時は、その文章がどのようにできているのか、意識する必要はない。コピーしてペーストして終わり。それだけでも小説はできるけれど、技を盗めば、コピー元の作者と同じように、かつ作者が創造したのと異なる文章を、自分自身で生産できる。

・習字の手本の文字を上からなぞって、一見きれいな文字ができても、習字の先生は評価してくれなかった。僕は手本の文字をコピーしていた。習字の先生はおそらく、筆の有機的な運びを見ていただろう。かたちは手本の文字と一緒でも、筆の運びはいつもの自分。それではいつもと同じ評価になる。文章がどうつながっていくのか。それは手本をいくらコピーしても身につかない技法だ。盗むしかないのだ。コピーすることと技を盗むことは、微妙にニュアンスが違うだけ。けれど決定的に異なる。
タグ:小説創作
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小説の新人賞に応募する人のために〜必要な心構えと注意点

昨日の夜、自分でも新人賞をとることができると数年ぶりに思えることができたので、忘れないうちにメモしておきます。きっかけはグレンラガンの視聴でした。「自分を信じるな。俺はお前を信じている。俺の信じるお前を信じろ」

・何故新人賞に落選し続けると、絶望感が増していくのか。適切なフィードバックがないから。どうすれば受賞するようになるか、自分で考えて変えていくしかないけれど、絶望ばかりが増えてしまっていた。

・読書中、要点をつかもうとする読書は、小説家になろうとしている人の場合、おすすめできない。ビジネス書的、国語の授業的に要点をつかむのでなく、小説の1文1文、一言一言、助詞のつながりを丹念に精読する読書が必要。自分が書くとしたらどう書くのか。常に創作者の視点で小説を読んでいくべき。

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2010年03月29日

小説論:小説を書くということは、命と向き合うということ


文字情報の集積を通して、日本語の文字を読む人に何を伝えるのか。言葉で何かを伝えることが、僕の仕事だ。

経済的利益を生みだしてはいない。社会的影響力も持っていない。しかし、情報を伝えることは僕の仕事であり、毎日継続している。

何を伝えているのか。平和な日本で生きている意味について。日本は一時的に平和だし、平和憲法を持っている国だけれど、世界には紛争の続く国が無数にあるということ。また、紛争の続く国ばかりでなく、日本以上に幸福で精神的に豊かな国もたくさんあるのだということ。つまり、現代世界のパワーバランスはどこかしら不公平であり、何らかの方策が必要であるということ。続きを読む
タグ:小説論 生命
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2010年01月13日

ネットの時代に小説書きは仕事になるのか

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名づけえぬもの
Samuel Beckett
白水社 1995-08

by G-Tools , 2010/01/13



世界にはたくさんの素晴らしい言葉が残っている。今の時代、写真もあれば、映画もテレビもネット動画もある。小説なんて不要ではないか。小説が最も輝いていた19世紀には、写真も映画もテレビもネットもなかった。

もう小説は必要ないのだ。過去描かれた素晴らしい小説が残っているし、対抗メディアがたくさんある。今小説を書いている人は、動画を撮れない人だ。
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タグ:小説
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2009年12月11日

日本は平和か不幸か、世界は平和か不幸かという質問に答えはない

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坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
文藝春秋 1999-01

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫) 坂の上の雲〈3〉 (文春文庫) 坂の上の雲〈4〉 (文春文庫) 坂の上の雲〈5〉 (文春文庫) 坂の上の雲〈6〉 (文春文庫)

by G-Tools , 2009/12/11



司馬遼太郎原作のNHKドラマ『坂の上の雲』のポスターが地下鉄に貼られていたのを見て、そういえばプロジェクトジャパンはどうなったのだろうかと思った。台湾を特集した回で、台湾関係者から抗議殺到、街宣車もプロジェクトジャパンの自虐的歴史観を批判していたけれど、あれからドキュメンタリーの放送は中止になったのだろうか。

満州事変以後の日本の歴史は、暴力的で不幸なものだったのか、それとも自虐的に反省する必要のないものだったのか。こうした歴史の反省意識をめぐる問いは、現代日本の社会状況をめぐる問いにすぐ変換できる。続きを読む
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2009年11月15日

新人賞応募原稿を書き始める前の心得

自分の権威を高めるためでなく、
みなのために書く。

みなとは誰か。

小説を読む人のためだけでなく
地球に生きている人みんなのために。

地球に生きている人だけでなく
地球に生きている動物や植物のために。

生きている動植物だけでなく
人間が生き延びるために死んでいった動物や植物のために。続きを読む
タグ:心得 新人賞
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2009年07月06日

SF総論〜ヴォネガットからマクロスFへ〜秋葉原カルチャーの再肯定

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SFはこれを読め! (ちくまプリマー新書)
谷岡 一郎
筑摩書房 2008-04
おすすめ平均 star
starドブッテル
starSFファンなりたての方、ちょっと気になる方、必読
starSF俺のランキング

SFが読みたい! 2009年版―発表!ベストSF2008国内篇・海外篇 (2009) 日本SF全集・総解説 竜の卵 (ハヤカワ文庫 SF 468) あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF) 20世紀SF〈4〉1970年代―接続された女 (河出文庫)

by G-Tools , 2009/07/06



全然読む気のなかったSFをここ数ヶ月何故集中的に読むようになったのか。きっかけは池澤夏樹の世界文学講義だった。池澤夏樹が講義の中で、ヴォネガット『スローターハウス5』にある「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある。だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」という言葉を引用してくれた。池澤夏樹が、僕がSFに目覚める最初のとっかかりになった。

ヴォネガットからクラーク、アシモフ、ブラッドベリ、ヴェルヌ、ウェルズ、ディック、バラードとSF世界が広がる。アシモフのロボットものを読んでいる時は、手塚治虫の火の鳥シリーズによく似た話がたくさんあったと思った。SF映画を撮っているスピルバーグも見てみる。スピルバーグの映画と藤子不二雄のマンガは、家族向けな作風がよく似ていると感じた。SFというジャンルの創始者、ヴェルヌの『海底2万里』は、『不思議の海のナディア』の原作だし、ナディアからエヴァンゲリオンへ、エヴァからガンダム、マクロス、アクエリオン、攻殻機動隊へとつがなる。長い遍歴を終えて(まだ途中だけれど)、結局SFの現時点最終到達地点は、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」だと思えた。別の経路として、オーウェル「1984年」から村上春樹「1Q84」へとつながる道も見えたけど。

初期SFは文明批評であり、社会、歴史、政治とつながっていた。現代のSFはキャラクター重視、偏愛の対象、オタク化、タコツボ化して、社会批判の威力を失ったと思ったけど、「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」は現代日本で作られているどんな他ジャンルの作品よりも、社会的問題意識を放っていた。萌え系SFアニメの代表格的マクロスシリーズも、単なる萌えではなかった。アイドルが歌うラブソング、カルチャーが、殺し合いを終結させる。結局、真面目な議論、革命、クーデーター、暴力では平和は生まれない。ベルリンの壁の崩壊は、自由な文化から生じた。音楽が世界を愛で包み込む。マクロスが提示した解決の仕方はすごい。

音楽は戦争を終わらせるけれど、同時に戦争に利用されもする。争いや征服とは何も関係ない神秘の歌が、戦意高揚のため、軍歌化される悲劇。音楽及び萌え文化と政治、戦争の関係性を問題意識化するマクロスF(フロンティア)はやっぱりすごい。SFの旅を続けてみて、秋葉原の萌え系カルチャーは、世界史的にみてもとても大切な文化変動だということがわかった。秋葉原的なカルチャーが何故世界中の人に愛されるのか。何故水木一郎が世界で知られる日本人となるのか。カルチャーが世界を平和にする。そうした意識を持ちつつ、カルチャーの創造に向かうこと。カルチャーを広めることで、世界中の様々な問題が解決するのではないか。青臭い理想論だけれど、未成熟な人間は、理想を追い求める。ただひたすら、求めて。

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マクロスF(フロンティア) 9 <最終巻> [Blu-ray]
中村悠一, 中島 愛, 遠藤 綾, 神谷浩史, 河森正治
バンダイビジュアル 2009-04-24
おすすめ平均 star
starまずFから入りました。
star気合の入った新時代のマクロス!
starFしか見てない人は他のも見よう
star最高のラストバトル
star全話通して同じ画質なので安心感

マクロスF(フロンティア) 8 [Blu-ray] マクロスF(フロンティア) 7 [Blu-ray] コードギアス 反逆のルルーシュ R2 volume09<最終巻> [Blu-ray] マクロスF(フロンティア) 6 [Blu-ray] 機動戦士ガンダム00 セカンドシーズン 3 [Blu-ray]

by G-Tools , 2009/07/06

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2009年03月28日

海外作家140人ソート実行結果

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新潮選書 世界文学を読みほどく (新潮選書)
池澤 夏樹
新潮社 2005-01-15
おすすめ平均 star
star「世界文学」という物語
star小説の読み方を学ぶ
star「読みほどく」というよりは、「はじめての世界文学」という感じ
star小説を読む楽しさを教えてくれる
star受けてみたかった池澤さんの講義

スティル・ライフ (中公文庫) 巨匠とマルガリータ (世界文学全集 1-5) (世界文学全集 1-5) (世界文学全集 1-5) アブサロム、アブサロム! (世界文学全集 1-9) (世界文学全集 1-9) アフリカの日々/やし酒飲み(世界文学全集1-8) (世界文学全集 1-8) 存在の耐えられない軽さ (世界文学全集 1-3)

by G-Tools , 2009/03/28



「ラシュディ インタビュー」でグーグル検索している途中に、(「読者その他の悪癖について」さん制作)、「海外作家140人ソート」というページを発見した。

海外文学の有名作家二人の名前が並ぶうち、好きだと思う作家の名前をクリックしていく。621回クリックして、僕の作家ランキングが出てきた。

ナボコフ、フィッツジェラルド、ラシュディ、クッツェー、マキューアン、モリスンらの名前が選択肢にないのは心外だったけれど、結果には納得。ソート結果94位ルブラン以下の作家は、作品を読んでいない、名前も知らない作家が多い。せめてこのリストに出てくる作家の作品各一冊くらいは、読んでおこうと思った。


順位 名前
1 レフ・トルストイ
2 プルースト
3 ジョイス
4 ドストエフスキー
5 ムージル
6 ボルヘス
7 ベケット
8 メルヴィル
9 フォークナー
10 ヘンリー・ジェイムズ
11 サリンジャー
12 ヘミングウェイ
13 バタイユ
14 バルザック
15 フローベール
16 ピンチョン
17 サド
18 セルバンテス
19 カフカ
20 クンデラ

(21位以下は「続きを読む」をクリック)続きを読む
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2009年01月03日

全裸の女子高生がテロリストとなるイマージュ I

2009年になったことが、めでたいことかどうかはわからない。正月に一つ小説を書いた。このまま書き続けていこうかと思ったけれど、別の書き出しで小説の続きを書くことにした。今もJR山手線が人身事故で停まっている。人身事故と言って、実際は死傷者が出ているのだろう。去年一年間、人身事故によって亡くなられた全ての人の冥福を祈りつつ、この小説を発表します。


○全裸の女子高生がテロリストとなるイマージュ I ○

 僕は新宿駅前を歩いていた。
 道路向かい側の歩道に制服姿の女子高生が一人歩いていた。女子高生は鞄を路上に下ろすと、ブレザーとカーディガンを脱いだ。暑いのかなと思っていたら、ワイシャツを脱ぎ、ブラも外した。スカートを下ろし、パンツまで脱いだ。靴と靴下も脱いで、彼女は全裸になった。
 歩いている人の何人かは立ち止まって彼女の奇行を眺めた。ほとんどの人はちょっと見するだけで、何事もないように素通りしていた。僕もAVの撮影かなんかと思った。
 全裸の女子高生は鞄からピストルを二丁取り出し、両手で構えた。
 彼女は笑いながら、通行人に向けて銃を撃った。銃声が鳴って、中年のビジネスマンが血を吹いて倒れた。悲鳴が上がった。
 全裸の女子高生は続けて銃を何発か撃った。ホスト風の男、私服の若者、ビジネスマンが弾に当たって倒れた。驚いた通行人たちは、駆け足で全裸の女子高生から離れていった。車の流れも止まった。
 僕はビルの陰に隠れて、顔だけ出して女子高生を眺めた。弾が尽きたのか、女子高生はピストルを鞄に戻した。彼女がしゃがむと、風に煽らせて茶色のロングヘアーがふわっと舞い上がった。女子高生は鞄からライフルを取り出して、立ち上がった。
 誰が呼んだのか、警察官三人がやってきた。女子高生は警察官に向けてライフルを乱射した。警察官は拳銃を構えようとした姿勢のまま、ライフルの弾に当たって倒れた。遠くからまた悲鳴が聞こえてきた。
 無差別殺傷を狙ったテロなのだろうか。
 彼女は何故裸なのだろうか。
 やっぱりAVの撮影なのだろうか。
 黒いワゴン車が新宿駅前から猛スピードで突っこんできた。全裸の女子高生はワゴン車めがけてライフルを乱射した。弾が車体にあたったが、ワゴン車は止まらない。
 ワゴン車は歩道に乗り上げ、女子高生の体をひいた。黒いワゴン車は女子高生の体を数十メートルひきずった。そのままワゴン車は道路の向こうに走り去っていった。
 道路の真ん中に女子高生の遺体が残った。
 彼女に銃で撃たれた人はみな、男性だった。
 僕は就職面接の時間が迫っていたので、急ぎ足で現場を後にした。
posted by 野尻有希 at 13:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

小説「児童買春のビデオキャプチャー」HONなび人気ランキング(R18)で5位

このサイトの製作者である私
拾百間亮の小説『児童買春のビデオキャプチャー』が、
オンライン小説登録サイトHONなび
の人気ランキングベスト100(R18部門)で、
本日5位に入りました。

HONなび経由でアクセスしてくれた読者の皆様に、
この場を借りて御礼申し上げます。

児童買春のビデオキャプチャー』のリンクは、こちらです。

ポルノのようでいて、ポルノではありません。

性的満足を得るために読もうとすると、
意図を打ち砕いてくる小説です。
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2008年12月10日

小説「児童買春のビデオキャプチャー」HONなび人気ランキング(R18)で12位

このサイトの製作者、私拾百間亮の小説『児童買春のビデオキャプチャー』が、オンライン小説登録サイトHONなびの人気ランキングベスト100(R18部門)で、本日12位に入りました。HONなび経由でアクセスしてくれた読者の皆様に、この場を借りて御礼申し上げます。

『児童買春のビデオキャプチャー』のリンクは、こちらです。

『児童買春のビデオキャプチャー』と同日に登録した『絶望した女のキス』は、全然ランク入りしていません。『児童買春のビデオキャプチャー』は、R18登録、『絶望した女のキス』は、一般小説に登録しました。

R18の大人向け小説を書くと、単純にアクセス数が伸びることはわかっていました。成人小説は検索サイトでもヒットしやすいけれど、自分は、一般の小説、というか純文学で勝負したいと思っていました。「成人小説なんて書きたくないのに書いている。労働とは、自分のやりたくないことをやるものなのか」という葛藤……

しかし、よくよく考えれば、自分のやりたくないことと、人様が望まないことが重なるわけではありません。自分のやりたいことと、人様が望むことが重なることも稀有です。

成人小説を書けば単純に人気が出る、こんなの嫌だと今まで思っていたのですが、「自分には実は、成人小説を書く才能があるのではないか」、というか「自分が神様から授けられた役割は、成人小説を書くことなのではないか」と想い始めました。

普通に成人小説を書いても人気が出ない人も多いと想います。僕が普通に小説を書いてもヒットがあがらないのと同じように。自分が書く成人向け小説は、ネット上に溢れている成人小説よりも、ひょっとしたら面白いのではないか。そう思って、真面目に成人向け小説を書くことにします。

だから、書こうとしていてラストが書けなかった「虐待と監禁のイマージュ」、有給休暇の今日、なんとか最後まで書き上げてみます。
posted by 野尻有希 at 14:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月13日

嘘つきのニュース「内閣閣僚、大麻栽培で逮捕」

自宅で大麻を栽培していた芸能人が逮捕された後、テレビの情報番組に大麻で逮捕のニュースが続発した。慶応大生も学内大麻販売で逮捕されたし、行きつけの歯医者から大麻をもらったAV嬢も、大麻を栽培して患者にすすめていた歯医者も逮捕された。日本人はこんなに大麻が好きだったのだろうか。警察はアッパー系のドラッグをかまして覚醒したかのように、大麻取締りを強化し、マスメディアもそれを応援しているかのようだが、これらは全て布石だった。

ついに大麻を自宅で栽培していた内閣閣僚が逮捕された。この不祥事発覚によって、解散総選挙の時期は早まるだろう。世界同時株安など言っていられない。株安よりも麻薬である、まあサブプライムローン自体大麻のように魅惑的な商品だったかもしれないが。

大麻取り締まり強化は、大臣逮捕への巧妙な伏線だった。逮捕された北条英樹大臣自宅の庭には、大麻が大量に栽培されていた。大臣の別宅で時折催されたというドラッグパーティーには、政治家、官僚、企業重役、俳優、歌手、お笑い芸人、AV女優、キャバクラ嬢、はてはオリンピックメダリストまでが参加していたという。パーティーの席では、大麻、ヘロイン、コカイン、エクスタシーなどが大量のアルコールと一緒に振りまかれていた。夜もふけてくると、人気女優のM氏が裸で踊りまくり、乱交まがいのまぐわいまで行われたという。今回の逮捕の後、パーティー関係者のどこまで捜査の手が伸びるのか、どんな実力者がこの騒ぎを鎮める役割を果たすのか、楽しみだ。

ドラッグストアやコンビ二に栄養ドリンクやサプリメントが並び、一般食品、お菓子まで健康に関する効能をうたう今、人間が摂取する全ての物質が、ドラッグになったのではないか。しかし、市場に溢れるドラッグの多くは、大麻ほどの中毒症状を持っていない。大麻逮捕の連発を止めるのは、医学的見地からなされる啓発活動や、道徳的説教などではないだろう。権力者によるコネクションと金の力が、それだけがものを言うだろう。世界には、大麻よりも人を破滅に、あるいは快楽の極致に導くものが大量に流通している。


嘘つきnoニュース Vol.3
(この文章はフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。)
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2008年11月12日

産婦人科の看護婦、職場流産

救急車に乗った後、受け入れ先の病院がなく、流産したり、死産する妊婦のニュースが最近相次いだが、産婦人科の人手不足は、ついに笑い話のような悲劇を生んでしまった。

東京都台東区の救急病院で働く村上ナオコさん(仮名、31歳)は、深夜救急車で運ばれてきた妊婦に応対している最中、流産した。妊娠中であるのに人手不足を理由に勤務を迫られる女性が後を絶たない。福祉など過酷な労働現場では、「職場流産」という現象が発生しているのだが、ついに産婦人科でも、職場流産という奇怪な現象が生まれてしまったのだ。

流産した被害者が女医でなく、看護婦という立場にあったことがまた、社会の現実を映し出しているようで、哀愁をさそう。同僚の話によると、ナオコさんは仕事熱心で、二十四時間を越えて連続勤務する日もよくあったという(救急医療、あるいは名ばかり「店長」が問題化されたコンビ二業界では、そうした勤務形態は一般的なのだが)。

妊娠し、つわりなどの症状も見せたナオコさんに対して、良心が残っている同僚は、休むことをすすめたのだが、ナオコさんは自分の役割と責任を感じ、人手不足もあって、出勤し続けたという。何より産婦人科でたくさんの妊婦の相手をしたという自負もあったのだろう、無理をして働くナオコさんのことを、勤怠管理する立場にある上司は、なんと褒め称えていたという。こうして、妊婦の看護にたずさわっている看護婦が、勤務中に流産するという馬鹿げたニュースが誕生した。

「恨む気持ちはありません。その時救急車で運ばれてきた女性、うちに来る前に10回以上受け入れ拒否されたそうで、以前ニュースになった女性のように、死のリスクもあったんです。お母さんと赤ちゃん、両方の命を助けられてよかったです。私ですか? 私はみなさんをケアする立場にありますから」テレビや週刊誌のインタビューには決して答えなかったナオコさんが、小誌には語ってくれた。こうしたナオコさんの言葉がマスメディアに広まれば、賛美する人も多く生まれるだろうが、救急現場の人手不足は、何も解消されないのではないだろうか。訴訟を起こされ、法廷で罪を宣告されることを恐れながら、毎日の長時間労働をこなす医療従事者は、ますます真正直に、聖人的に働くことを余儀なくされるのではないだろうか。

(この文章は可能的な現実と向かい合うフィクションです。実在の人物、団体とは一切関係ありません。)
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2008年11月11日

オバマ次期大統領が暗殺された

アメリカ時間で昨日午後19時、演説中のオバマ次期大統領が暗殺された。オバマを狙撃したのは、中東のテロリストでなく、アメリカ人の白人至上主義者だった。アメリカは現在でも非常な混乱に包まれている。

オバマを狙撃した白人至上主義者は、ケネディ暗殺犯のように自分を撃って、自殺した。しかしその自殺も、誰か裏で手をひいている者のシナリオに含まれていたのかもしれない。

オバマは21世紀の世界の理想を体現するような、アメリカの民主主義が本来持っている理想を体現するかのような、人類史に現れたメシア的人物だったが、彼が大統領になる前に、理想は絶たれた。人類はかつて自らキリストを処刑したが、オバマもまた、身内によって処刑されたのだ。

アメリカの人はみな人種差別はないと口にする。しかし、白人至上主義者が、国家や企業組織の内部で、重要なポストについていることも事実である。この事実を前にして、来るべき民主主義の理想は絶たれた。しかし、まだ理想の火は完全に消えてはいない。亡き夫の後に、オバマ夫人が大統領になると表明した。彼女が大統領になれば、アメリカ初の、黒人の、女性大統領の誕生である。

ヒラリーが初の女性大統領の道を絶たれ、亡き夫が初の黒人大統領の道を絶たれた今、未亡人となった彼女が二人の夢をかなえるのは、悲劇的であるが故に、一層美しい夢の実現だ。

黒人であり、女性である彼女は、二重の意味で社会的マイノリティーである。日本よりは遥かに開放的だが、人種差別と性差別がいまだに存在する民主主義社会で実現される、民主主義の理想の実現。その夢はまたもや、暗殺というテロ行為で絶たれるのだろうか。

暴力に対しておじけづかない、暴力があっても私たちは立ち向かっていく。男と女の、二人のオバマが示した勇気に最大の賞賛をささげたい。人類の歴史にとって新しい時代が到来することを願って。

(この文章は今まさに到来しようとしている状況と直面するためのフィクションです。実在の国家、人物、団体とは一切関係ありません。)
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2008年11月07日

メシアン、世の終わりのための四重奏、アドルノ、ヌーヴォー・ロマン、ケータイ小説

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メシアン:世の終わりのための四重奏曲&ブーレーズ:マルトー・サン・メートル
メシアン ブーレーズ ブーレーズ(ピエール)
BMG JAPAN 2004-07-21

メシアン:トゥーランガリラ交響曲 クセナキス&メシアン:ピアノ作品集(紙ジャケット仕様) Cage: Works The Ligeti Project ストラヴィンスキー:春の祭典

by G-Tools , 2008/11/07




亡くなった筑紫哲也はオバマ勝利のニュースを耳にしたのだろうかと思う今日この日、テレビをつけると、メシアンの『世の終わりのための四重奏曲』が放送されている。いわゆる前衛音楽、不協和音が鳴り、難解でインテリチックなイメージ。この音楽を聴いていると、ヌーヴォー・ロマンがイメージされる。ヌーヴォー・ロマンも、現代音楽も、19世紀的な調性、当たり前と思われてきた構築物を解体してきた。それはナチスをも破壊するものだった。19世紀的な合理性、近代性は、近代合理主義の裏返しとして、必然的にナチスを生み出す。統合、統一、全体的支配、合一、共同性に抵抗するかのような四重奏曲の響き。指揮者によるコントロールを抜け出す音楽は、近代に刃向かっている。

第二次世界大戦中にベルリンで奏でられたフルトヴェングラー指揮によるベートーヴェンの交響曲、バイロイトで行われたワーブナーの楽劇。それらの音楽が持つ国民統合性、一元化、共同体の構築作用を、シェーンベルク以降の現代音楽はことごとく解体する。しかし、現代音楽は国民からも嫌悪され、忘れ去られる。国民は第二次世界大戦後も19世紀的な、耳慣れたクラシックを愛するし、この後NHKで放送される久石譲の宮崎アニメ音楽のような、安心をもたらす音楽を好む。現代音楽が主張する個々の絶対性、全体に統合されえない分解作用を国民は欲しないのか。国民は一体感、安定を求めているのだろうか。

『世の終わりのための四重奏曲』の演奏が終わると、変な髪形のピアニストが画面に表れた。あのシュールな髪型こそ現代音楽、現代性。しかし現代で好まれるのは、アドルノが嫌悪したような大衆音楽だった。ヒットチャートに並ぶ大衆音楽は、トルストイやベンヤミンが夢見たような大衆芸術とは異なるのだろうか、久石譲の音楽には、ベンヤミンが記述したアウラがあるのだろうか。

現代音楽は、強力な権力者に支配されることを嫌う。個々の音楽、楽器の自由、調性からの自由、平等性は、民主主義の理念が実現したかのようだ。こうした観点からいわゆるクラシックに連なる現代音楽、あるいは近代小説に連なるヌーヴォー・ロマンを評価すると、現代音楽はヒットチャートに並ぶ音楽と同じように見えるし、ヌーヴォー・ロマンはネット上に乱立するケータイ小説と同じように見える。どちらも強力な支配者からの離脱を夢見ている。どちらも個々の人間が、常識的観点からみてまっとうと評価されるものに従属するのでなく、自分自身で楽しいと思うものを享受することを推奨している。支配からの自由、道徳的に優れているものでなくてもよいという肯定、社会的、大人的、政治的に正しいものでなくても、権力者が評価する作品でなくても、自分で感じて、面白いものならばそれでよいという肯定をもたらす作品群。作品のよしあしを評価するのは大統領でも総統でもなく、一人の人間としてのあなたなのだという肯定をもたらす作品群。それは現代音楽であり、ヒットチャートに並ぶ音楽であり、ヌーヴォー・ロマンであり、ケータイ小説だ。

もちろん現代音楽、ヌーヴォー・ロマンは難解極まりないというメッセージを発することで、これらを理解できるのは、趣味がある一部の人に限られるというメッセージを発することで、それ自身強力な権力装置になっている。同時にまた、ヒットチャートに並ぶ音楽も、ケータイ小説も、流行しているこれを知らないようじゃ遅れていると、人々に陰のメッセージを送ることで、強力な権力装置になっている。世界が欲しているのは、権力装置にならない、権力装置に転落しそうであれば、逃れ続けようとする作品である。既存の権力装置を解体するのでなく、その権力を意味のないものにしてしまうような、強烈なる毒、有害化学物質。いつでもヌーヴォー・ロマンであり、現代音楽であること。

ヌーヴォー・ロマン、現代音楽とも、ヨーロッパ中心主義的で、ポストコロニアルでエコロジカルな現代では、その有効性を失っている。オバマ的世界が到来する今、求められるのは、破滅と混沌が蔓延するこの新しい時代にふさわしい現代音楽であり、ヒット曲であり、ヌーヴォー・ロマンであり、ケータイ小説である。

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啓蒙の弁証法―哲学的断想 (岩波文庫 青 692-1)
徳永 恂
岩波書店 2007-01

プリズメン―文化批判と社会 (ちくま学芸文庫) 三つのヘーゲル研究 (ちくま学芸文庫) 意味の論理学 下 意味の論理学 上 (1) (河出文庫 ト 6-3) 倫理学 1 (1) (岩波文庫 青 144-9)

by G-Tools , 2008/11/07

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2008年11月05日

ヌーヴォー・ロマンから逆照射、サロートの怨念の先っぽに切手を貼るようにして続け小説

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プラネタリウム (1961年)
菅野 昭正
新潮社 1961

by G-Tools , 2008/11/04



アマゾンでサロート作『プラネタリウム』の古書を昨日注文したら、今日届いた。プルーストやナボコフは読んで楽しめるけれど、ヌーヴォー・ロマンは読んでも楽しめない。楽しめる、楽しめないの判断は、私個人の感覚に基づくものに過ぎないのだけれど、勝手にそう断定して、実際読んでも面白くなかった、読むのが苦痛だったヌーヴォー・ロマンには、手を出していなかった。

けれど、今なら読めると思った。大学生だった当時にはないほど知識と読書経験、人生経験がついたし、ロブ=グリエが亡くなった今、ヌーヴォー・ロマンも含めたヨーロッパ文学の特権性が徹底的に解体された今(ヨーロッパの文学に何の特権もないこと、それどころか文学という制度に権威も影響力もない今、文学制度にふさわしくない文章が、文学制度によって排除される暴力が問題視される今)、ヌーヴォー・ロマンを抵抗感なく読める気がした、小説概念への抵抗だったヌーヴォー・ロマンの小説群を「抵抗なく読む」など、作品に対して失礼極まりない言辞だが。

『プラネタリウム』の訳者、菅野 昭正による巻末解説を読んだら、小説を書いていく希望が持てた。サロートは、小説の既成概念に当てはまらない、読むのが苦痛な第一作を当然のように黙殺されたが、サルトル主催の雑誌に、小説に関する革新的な論考を書き、サルトル自身に自作の推薦を書いてもらうようになってから、小説作品の革新性が理解されるようになり、次第に評価されるようになったという。自分は今まで、書いた小説が新人賞の予選を通らないから、ネット上にゲームやマンガや、現代思想や時事問題を扱う記事を書いて、注目を集めようとしてきたけれど、そうやって注目を集めようとするのはほどほどにして、サロートのように、小説についての論考をネット上に書いていこうと思った。小説を認めてもらいたいのだから、小説について徹底的に書いていく。同時に、難解な小説は予選さえ通過しないからわかりやすいスタイルで書こうとしていた自分の弱気、こびへつらう心性を反省し、徹底的に自分の信じる、既成の読み方からすれば、理解しにくいスタイルで小説を書いていくことにした。

ヌーヴォー・ロマンの4人の中でも、とりわけサロートから強い力と呼びかけを受ける。サロートの先に歩みを進めるように(前進するという価値観さえ疑わしいけれど)、あるいはモリスンやクッツェーやラシュディや、ナイポールやプイグやデリダの先に進むことを願って、誰も予測したことのない、サブプライムローンや化学物質づけのぎょうざみたいな小説が書けるように、自分の可能性を打ちのめそうとしてくる新人賞制度とグーグル制度と狡猾に距離をとりつつ、戯れつつ、生きていきたい。何しろ新人賞をとらなくても、文章をいくらでも発表できる自由がこちらにはある。この自由さえ無意味だと絶望しないですむように、毎日狡猾に、サロートの、マグマのような心理描写を頭の隅にいつでも置いておきながら、書いていくこと。


P.S
今まで連載していた、分かりやすい言葉で書かれた小説、途中で終わりにはしません。一般的な形になるよう願いながら連載してきた小説ですが、宛先を6年前の自分が形にしたかった場所に変えます。時折思い出したように、絵葉書の続きを書いていくことにします。
posted by 野尻有希 at 00:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月27日

全てから解放されたい夢

株価が暴落した時は、文学を読むといい。

そこにはお金に縛られない価値があるから。

古典的な意味あいで、生きる喜びが溢れているから。

何物にも縛られず、ただ読者のために書かれた小説。
posted by 野尻有希 at 23:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月26日

ゾンビ、幽霊、腐食した原稿がウィルスとして新人賞に送られる毎日

今小説を書いている、というか新人賞に落選した小説を書き直している。もう新人賞に応募するのはやめにしようと何度も思うけれど、決定は守られず、再び新人賞に応募することが続いている。僕は新人賞にはりつくゾンビであり、幽霊のような存在だ。新人賞から離れて、ネット上の実体がない幽霊空間で、自分を起立=勃起させればいいのだろうけれど、僕は何故か新人賞に戻っていく。もちろん僕は新人賞の栄冠を手にしたこともなく、ゾンビ扱いなのだから、原稿は新人賞に戻っていくわけではない。

今月末でもまた原稿を送ることになる。一度は落選した、死んだ原稿を別の新人賞に送る。いわば死体を新人賞に送り届けるわけだが、受領した下読みの人は、それが死体とは気づかず、生きている体として、小説を受け取ることだろう。現に僕の体は神経痛と腰痛と肩こりで苦しいけれど、またもや原稿は死体置き場におき直されることになるだろう。何度繰り返してもそうではないのだと、おき場所が違うのだと、正しい、本来あるべき位置に再配置されることになるだろう。死体は新人賞の選考段階で殺されるのでなく、一度殺されているのに、また追い撃ちをかけるようにして、刀を刻み込まれることになるのだ。そうやって何度きりつけられても、不死身のようにはいあがってくる原稿は、不死の原稿ではなく、死体の原稿だ。死んでいるにもかかわらず、動き続ける原稿だ。

何をあがいているのか。死体となった原稿たちは、制度を解体することを望んでいるだろう。新人賞という制度だけでなく、小説の慣行なり、社会のありかたなり、物の考え方なり、全てを解体するウィルスの原稿だろう。ウィルス原稿は新人賞に病気をもたらすが、今までのところ、最初のワクチンによって駆除されている。ウィルスが弱いのだ。もっと強力なウィルスを新人賞にばらまき、新人賞を汚染すること。新人賞は価値決定の生成装置であり、恣意的、すなわち多くの人たちにとっては暴力的な意志決定を毎年、何回も繰り返しているけれど、この生成の仕組み自体をずらし、解体させるためにはどうすればいいのだろうか。そう問い、考え続けているうちに、一度殺された原稿はゾンビとして再生され、また新人賞に向けて、腐食したまま、放たれることになる。

ゾンビである原稿は、内容自体書き換えられる。有る程度組み立てられていた構成なり、文体なりは、ずらされ、ばらばらにされる。それを成すのは作者であると同時に、作者をずらしている私だ。一度新人賞に殺されたのに、またもや刃をつきたてられる前に、作者自身の手で、ゾンビ原稿の臓器にメスを入れること。彼を生き返らせるためにメスを突き刺すのではない。よりあやふやなゾンビとなるように、よりか弱い幽霊となるように、メスが繰り出されるだけだ。

死んだ原稿を新人賞に送り続けること。はじめから落ちるとわかっていつつ、原稿を送るのでなく、これは小説として死んでいるのだが、何故か貴方の元に送られたゾンビ原稿なのですという言葉をこめて、原稿を送り届けること。新人賞との限りない対話。その先に待つ不可能な場所。
posted by 野尻有希 at 23:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

新人賞倍率2000倍の落選から立ち直り、文学と市場と人間の関係を再編成しようと思い立った時

秋の新人賞結果発表シーズンが来た。応募して結果待ちだった2作品両方とも、毎度のごとく1次選考出落ちていたことがわかり、絶望して、AVの紹介記事や、神がかり的現代詩まで書いてしまった。

けれど、さっきようやく立ち直った。落選した新人賞は応募総数2000を超える。選ばれたのは二人。一人しか選ばれない時もある。2千分の1の確率、もしくは千分の1の確率で受かる事なんて、常識的に考えて偶然の運命としか思えないし、こんな高倍率の試験、日本中探してもない。2000人の選考で生き残るのが、1人であったとしても、2人であったとしても、1次選考で9割は落とされる。2000人のうちの9割とは、1800人であり、この中に入る方が当たり前だ。天才ならば受かるというわけではない。下読みの個人的好みと一致したとか、その出版社が持つ独特の傾向、好み、すなわち相手側の体制に順応することに成功した作品が生き残るだけであるし、そこには偶然の要素が多数含まれる。人は偶然に左右されずに生きたい、全うな方法で自分を評価して欲しいと思うのが当然だろう。代理の道として、インターネットの発表場があるが、ここでも検索エンジンにひっかかるための熾烈な競争がある。検索エンジンは、全ての象徴を欲望の対象に変えてしまう、欲望と排除の規制システムとして機能している。この八方塞の状況にあって、どこにも自作を順応させたくない、大きなものに巻き込まれたくはない、コントロールしてくる体制にからめとられるのは嫌だと思っている作家、この消費的世界の中で、奇跡的にもまだ自由の精神をとどめている作家がいるとしたなら、彼はせめて100倍の倍率の新人賞に応募するだろう。大競争の世界にあって、キューバ的な小片である新人賞に向けて、作品を投げ出すこと。まっとうな倍率の競争に加わること。

グローバリゼーションによる市場競争は、最早古典派経済学が想定していた市場競争などでは全くなく、強い者が弱い者を駆逐する、弱小種の絶滅を促進する破壊戦争である。そこには競技者同士が保つべき友愛の精神もルールも何もなく、ただ無意味な過当競争だけがまかり通っている。過当競争の勝利者が、誰もがうらやむほどの力を持っていないこともまた明白である。彼らは、制度の中で適合しただけであり、文学という市場は最早死んでいる。死んでいる市場で繰り広げられるゾンビたちの競争で勝利した受賞者とは、幽霊であり、すぐさま市場から忘れ去られる運命にある。私たちがなすべきことは、市場と競争の論理をずらし、かく乱することだ。

競争の概念に混乱を招き、市場を今あるのとは別の姿に変えてしまうことだ。何故多くの新人賞受賞作が市場に見向きもされないかといえば、市場が欲する商品とは、文学ではない。それは太古の昔から文学は市場に出回る商品とは別物の、何かおぞましいものであったかもしれないが、これから到来するであろう文学に必要なのは、市場における交換の仕組みそのものを静かに組み替えることだろう。文学が相手にするのは市場と競争の原理である。しかし、新しい世界文学はマルクス主義のプロレタリア文学のように、市場や民主主義や個人の自由を破壊しようとはしないだろう。市場は、消費者のためでなく、社会に生きて、政治に参加する人々のための交換の場となるだろうし、そう有らしめる必要がある。ならば新しい文学は、人間が消費者として生きることの意味を問い直し、物質が消費物でないことを明らかにするだろう。物質とは消費物でもなく、己に享楽を与えてくれる物体でもない。物質は消費し尽くすことなど決してできない他者であり、物質を消費しているかぎり、私たちは消費する者としてしか、世界に存在を赦されなくなるだろう。文学はおぞましいが故に、ゾンビたちの行列を再編成する。幾たびかの編成の果てに、自分のゾンビ的延命が赦される、掛売りとして書くこと。

これを書いたのは私ではなく、別の誰かだ。別の誰かが私の手を使って、書かせている。私はここに書いてあることがその通りだとは確信が持てない。が、そもそも自分が書いた文章に、真摯に、100%の確信を持つことなど誰もできない。
posted by 野尻有希 at 00:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月02日

小説は漫画より面白くないという事実を実感した、どうしよう、手塚治虫みたくやるしかない

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容疑者Xの献身 (文春文庫 ひ 13-7)
東野 圭吾
文藝春秋 2008-08-05
おすすめ平均 star
star最後のシーンで一気に涙が・・・
star弁当の注文以外のことを話そうと思うのだが、話題が何ひとつ思い浮かばない。
star深すぎる愛って怖いかも。
star泣きました。
star非常に巧妙なストーリー

陰日向に咲く (幻冬舎文庫 け 3-1) さまよう刃 (角川文庫 ひ 16-6) ララピポ (幻冬舎文庫 お 13-2) 黒笑小説 (集英社文庫 ひ 15-8) 追憶のかけら (文春文庫 ぬ 1-2)

by G-Tools , 2008/09/01



最近漫画ばかり読んできたけれど、『デスノート』も読み終わったことだし、一通り注目作品にはあたったし、週刊少年ジャンプは買うようになったしで、もう漫画に満足してきたから、今日は久々に小説を読むことにした。

『容疑者Xの献身』。直木賞受賞作で、各ミステリーランキングで1位に輝く人気作品。けれど、ああどうしよう、読んでいても余り面白くない。『デスノート』の方が面白かったと思う。ああどうしよう、読む気がしない。

なんだか言葉遣いや情景描写が少年漫画に比べると古臭いし、登場人物もおじさんおばさんが多くて、まいる。『容疑者Xの献身』のヒロインは未亡人で、彼女の娘がチラッと出てくるけれど、少年漫画の読者だった僕の興味は娘の方にばかりいくし、何故娘の魅力描写がこんなに少ないのだろうと嘆いてしまう。ジャンプやヤンマガに出てくる少女たちは、あれほど個性があって魅力的だったのに。

ジャンルの違いだ、対象年齢層の違いだと言うことができるだろう。『容疑者Xの献身』に対して、小説の読者たちがこんなに賛辞を送っているのだから、僕の目がおかしくなっているだけだと推論したくなる。けれど一方で、活字だらけの小説を読まなくなった若者が大量にいる。彼ら彼女らは漫画なら喜んで読むというデータがある。そりゃ漫画の面白さに比べたら、ベストセラーの小説でも読みにくくて、刺激にかける。この差を小説の敗北と認めて、意識してみることにした。

そうだ、敗北なのだ。小説は漫画に負けた。ビジュアルだけでなく、物語としても。売れている小説など、売れている漫画の足元にも及ばない。なのに、所詮漫画なんてと馬鹿にしていて、ふらふらしていて、いいわけがないだろう。最も売れているマンガよりも、たくさん人気が出ることを目指して。

こびるということとは違う。漫画の方が小説よりも1ページ単位で刺激的で面白く、目が離せない。もちろんつまらない漫画は市場にたくさん出回っているけれど、面白い漫画の実力をあなどってはいけない。手塚治虫は売れている漫画があれば負けじと、売れ線と同じテーマで漫画を描き、漫画界の中心に居座り続けようとした。売上を競うわけではない。「社会に影響力のある作品」の座を競うばかりだ。

「社会に影響力のある作品」が無自覚に放射している哲学に、対抗する哲学を打ち立てること。
posted by 野尻有希 at 00:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 文学理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする