2010年02月07日

存在に優しく触れること、ゆったりとした時間の流れ

最近時間がない。本やゲームを買いすぎだし、DVDも安いからといって借り過ぎだから、時間がどんどんなくなるのだ。DVDは見れば終わりだからわりと早く消化できるが、本は読み終わるのに時間がかかる。部屋にある全ての本を読み終わらないうちは、新しい本は買わないようにしようと思っているのに、また気になる本があると、アマゾンや紀伊国屋で買ってしまう。

消費を慎むことで、労働時間を減らすことができる。なんらかの事物に触れるということは、それだけ生きている時間を奪われるということだ。何のために生きていくのか。そう真剣に考える必要はないかもしれない。みんな真剣に考えずに生きている、ように見える。続きを読む
posted by 野尻有希 at 20:50 | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

愛をはじめとした本当に大切なことについて

誰もが幸せになれる。美男美女だけが、恋愛の幸せを手にできるというわけではない。世界中の人が愛し合う喜びを手にすることができる。誰がはじかれるわけでもない。みんなが同じここちよさ、感動を手にすることができる。愛の喜びから自分の人生を締め出しているのは、自分自身だ。周りの人が、お前は駄目だと言ったから、そういい聞かされてきたからといって、自信をなくすことはない。誰もが手にすることができる権利なのだから、喜びなのだから、人の意見に左右されることはない。

悲嘆も、あきらめも、人生には不要だ。必要なことは、必要でないものを望まないことだ。高望みをすると、手に入れられなくて、悲嘆する結果になる。自分がコントロールできないものを望んでも仕方ない。必要なのは、愛の感情を認めること。高望みすることではない。

あれを手に入れたい、これを手に入れたいと渇望して、手に入れられなくて、悲嘆する。恋愛以外の場面にも見られることだ。手に入れることが望みなのだろうか。手に入れて所有することでなく、体験をわかちあうことが、望みだったのではなかろうか。嬉しいということ、楽しいということ、取り組んでいて、一緒にやっていて、とても楽しいということ。もちろんなんらかの高みを目指して、努力していく姿勢も大切だが、本当にそれが自分に必要なことなのか、よく考えてみることの方が大切だ。目指しているものは、本当は不要なものではないのか。自分自身本当に必要なのは、別の喜び、より身近にある喜びだったのではないか。どこにも追い求める必要などなく、気づけば、すでに持っているものだったのではないだろうか。

追い求める必要などなかった。すぐそばにあったのだと後悔しないですむように、自分にとって何が必要なのか、何が大切なのか、よくよく考えてみる静かな時間を持つこと。手に入れようと思っているものの8割は不要なのだと気づくこと。人生を簡潔に、美しいものにしてみること。
タグ:哲学 愛
posted by 野尻有希 at 16:44 | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月01日

NHK教育で21:30から、『ETVワイド ともに生きる「LGBT」 』が放送されています。

NHK教育で21:30から、『ETVワイド ともに生きる「LGBT」 』が放送されています。Lレズビアンは、女性同性愛者、Gゲイは男性同性愛者、Bバイセクシャルは両性愛者、Tトランスジェンダーは、自分が生まれてから与えられた社会的性は、自分が感じている性とは違うと感じている人のことをさします。自分は社会のマジョリティーである男性異性愛者だと思っていたけれど、LGBTの人たちの話を聞いているうちに、それは思いこみに過ぎないのではないかと感じられてきました。

男性的な心よりは、女性的な心が好きだし、よく考えてみると、恋する相手が女性的心を持っているこことが嬉しいだけでなく、男性である自分自身も、女性的心を持ちたいと思っているのだから、自分はトランスジェンダーなのではないか。自分は男性の姿をしたレズビアンなのではないか。性とは体の外見的特徴をさすのでなく、心のありようをさすとしたら、男性でレズビアンというのも成り立つし、女性でゲイというのも成り立ちます。むしろ社会マジョリティーを形成している多くの男性は、男性の外見をしたレズビアンであり、男性レズビアンのパートナーとなっている女性は、女性の外見をしたゲイなのではないか。

そのように混乱しながら思考を進めていくのに並行して、番組も進行していきます。女性に生まれて、自分は女の子じゃないかもと迷っているのに、周りから女の子として振舞うこと、男の子を好きになることを強制される苦しみ。このような、実際に経験された苦しみの告白を前にしては、女性的な心を賛美する行為は、暴力になります。女性的な心と僕が思っているものは、女性に付随するものでないし、男性的心として僕が同化することを嫌がってきたものは、男性に付随するものでもありません。それらはみな想いこみ。

こうして考えあぐねている内に、周りがみな大企業に就職していくのに、自分が何故最初、女性を相手にする企業に就職したのか、自分自身でも意識していなかった理由が見つかった気がしました。就職の志望動機に、こうしたことは言わなかったし、意識したこともなかったけれど、本当は、こういう理由を元にして、僕は経済活動に第一歩を記したのではないか。そんな発見。

photo
トランスジェンダー・フェミニズム
田中 玲
インパクト出版会 2006-02

トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定 変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から (岩波新書 新赤版 1064) 心に性別はあるのか?―性同一性障害のよりよい理解とケアのために トランスがわかりません!! ゆらぎのセクシュアリティ考 セックス・チェンジズ―トランスジェンダーの政治学

by G-Tools , 2008/11/01

posted by 野尻有希 at 22:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月18日

ただ私自身でいること、他の何者にもなる必要がなかった

私は今まで何かになろうとしていた。

今まであった職業の規格、偉大な先人に自分の人格を押しこもうとしていた。しかし、何にもなる必要がないことがわかった。

私はすでに私である。私は生まれながらにして私になっている。

この世界に生まれでたことで、私は私としての人生を始めた。

他の何か、自分ではない何者かに私の核を当てはめる必要などない。私は私でいる時に、何者でもなくただ私自身でいる時に一番落ち着く。

仕事や職業で評価される時、人はもうその人自身でなくなる。

ただこの世に生まれ出たその奇跡を褒め称える時、人の全人格を許容したということになる。



私は他の何者でもなく、ただ私自身だ。

小説家であろうとする必要もない。

作家であろうと、有名人であろうと、人気者であろうとする必要はない。

それらはみな他の人が作り出したイメージだ。

仕事内容や職業で人が生まれてあることを評価するのは大きな間違いだ。



私はただ生きているだけでよい、他の何者にもならない。
posted by 野尻有希 at 00:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

博愛の精神、慈悲の心

自由民主主義の研究では、自由や平等について研究されます。

自由と平等の他に、博愛の精神というすばらしいものがあります。

そもそも博愛の精神がなければ、自由と平等だけでは、エゴに満ちた世界が生じます。




倫理学では義務や権利が説かれます。

義務と権利だけを主張する社会はみすぼらしい社会です。

慈悲や慈善の心を説く倫理学はどこにあるでしょうか。

いつくしみ、愛する心がない義務と権利だけの人に、生活のつつましさはありません。

愛の心について研究していくこと。いつくしみの心について研究していくこと。



博愛と愛の違いとは何でしょうか?

慈悲と悲しみの違いとは何でしょうか?
posted by 野尻有希 at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由と平等と博愛の精神の詩

世界に自由を。世界に平等を。世界に博愛の精神を。世界に生きる豊かさを。

アメリカのダブルスタンダードなやり方では伝わらないことを今世界に広げなさい。

自国の利権や経済的優位よりも、万人の幸福と人としての義務と権利を優先して、生きていきなさい。

あなたは自由です。どう生きるのも自由です。

自由には責任が伴います。自由と規律は双子の兄弟です。

自由と規律が愛ある調和を示した時、人生の奇跡が生まれます。
posted by 野尻有希 at 00:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

誰を愛するかは自由選択である、私が織り成す仕事には必ず価値が生まれる

「愛の知恵、愛の教え」以前は神父様が悩める男に教え諭すという物語形式で書いてきましたが、今後は学者が若者に自然科学の知識を教えるという形式を取ることにします。宗教家から学識者への変更です。

〜〜〜
とある学生が教授のもとへ悩み相談に訪れた。

「教授、私は彼女のことを愛していますが、なかなか思うようには行きません。彼女とうまく波長があわないのです。彼女には私よりもふさわしい人がいるように思います。また、私にも彼女よりも性格のあう人がいると思えてきました。これは心の迷いでしょうか。彼女との関係をもっと大切にした方がいいのでしょうか」

「あなたと彼女が結ばれることは必然ではありません。世界にはたくさんの女性、男性がいます。あなたはたくさんの相手の中から彼女を選んだ。なぜでしょう。そばにいたからでしょうか。波長があったからでしょうか。彼女が魅力的だったからでしょうか。とにかく、あなたは彼女に恋愛感情を持った。時がたち、あなたは彼女とうまくいかないのではないかと悩み始めた。これは誰でも思うことです。あなたと彼女は必然で結ばれているわけではない。あなたは彼女との絆をいつでもたつことができる。全てあなたと彼女の自由意志によって選択可能な事柄です」

「では、私はどうしたらいいでしょう。彼女との絆を確かなものにするよう努力すべきでしょうか。それとも恋愛の悩みはおいておいて、他のことに集中すべきでしょうか。あるいは、別の相手を探すべきでしょうか」

「あなたと彼女は結ばれる必要がない。あなたは自由です。けれど、二人の間に生まれるかもしれない子どものことを考えてみましょう。もちろん子どもを産まないという選択もありますが、未来の子どもにとっては、あなたと彼女が結ばれるかどうかが、きわめて重大な問題となるのです。なにしろ、子どもは二人の遺伝子を引き継いで生まれてくるのですから。子どもがこの世界に生れ落ちるかどうか、生命を得るかどうかは、二人が愛し合うかどうかにかかっているのです。その子はあなたの子ではないかもしれない。その子は別の場所で生まれてくる運命になるかもしれない。その子は人間以外の生命体になるかもしれない。あなたと彼女が結ばれるかどうかで、あなたの子孫の運命が決まります。それを決めるのがあなたの自由意志です。もちろんあなたが別の相手と結ばれた場合でも、子どもは生まれる場合があるでしょう。ただ、その子は彼女との間に生まれた子どもとはまったく別の遺伝子の配列を持つことになるでしょう。子どもにはその子一回限りの、固有の生命の配列があります。これは奇跡です。あなたは生まれながらにして奇跡を起こすことができます。誰を相手に奇跡を起こすのかはあなたの自由です。さらにいえば、それは奇跡でもなんでもなく、世界中の生命が行っている生命活動です。すなわち繁殖です。遺伝子を未来に投げ渡すことです。あなたが生きてきた証を将来に向けて投げ与えることです」

「教授、今のお話は仕事の選択についても応用がきくのではないでしょうか。私がどんな仕事を選ぶべきかは何も決まっていません。必然も何もありませんが、私は仕事を選ぶ。その仕事は私を呼んでいない。けれど、私はその仕事をやる必要があると思う。私以外にもその仕事に従事する人はたくさんいるでしょうが、私が選んだ仕事から、何が生まれるでしょう?」

「あなた固有のものです。あなたが関わったものからは、あなたにしか成しえなかった結果が生じます。それはあなたの味わいです。あなたは生きている痕跡を世界に残すことができます。それは子どもを生み出すことでもよいし、多くの人に影響を与える仕事を残すことでもよいのです。あなたは自由です。私がこの仕事をしなくても、誰か別の人がやってくれるだろう、。こうした嘆きが今企業社会では散々聞かれますが、仕事とは本来その人に固有のものであり、その人にしかできない価値が生まれるものなのです。だから、マイナスの考えに支配されず、あなたにしかできない仕事をあなたなりのやり方で、やり通してください」
posted by 野尻有希 at 20:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月29日

仕事は何を基準に選ぶべきか

仕事は何を基準に選ぶべきか。

昔なら、仕事は神から、あるいは支配者から与えられたものだった。人々はすでに決められた仕事を黙々とこなすだけだった。今は違う。今の社会には、自由意志の存在が赦されている。

人は、自分で選択した仕事をこなすことができる。では、僕は何を仕事として選ぼうか。今僕は働いて給料を得ているし、こうして書いていることもまた、仕事だと想っているけれど、本当にやりたい仕事、本当に自由意志で選択したい仕事は、これらでなかった。

僕は、今社会でもっとも必要とされている仕事を選ぶことにした。僕の貢献が必要な仕事。僕の誠意が必要な仕事。僕の知識と経験が必要な仕事。かつ社会にもっとも必要とされている仕事。その仕事を僕は自由意志で選び取る。文化の進化は加速する。僕は自由意志で文化に関わる。
posted by 野尻有希 at 00:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月27日

「愛しています」と「愛してください」は別次元の言葉です

愛していることを相手に伝えるのに何故躊躇するのでしょう?

キスしたいから、抱きしめたいから、セックスしたいから

という肉欲。

つきあいたいから、愛して欲しいから、結婚したいから

というエゴに基づく欲求。

愛していることを伝えることと、こうした欲求は全く関係がありません。

私の欲求を満たして下さいと相手に伝えることと、

私はあなたのことを愛しています、大切に思っていますと相手に伝えることは、別次元の話です。

多くの人はこの二つを同じものとして考えています。恥ずかしがりやの人は、相手に愛情を伝えることが難しくなります。

愛と欲求は違います。

愛を伝えることは、私を愛してくださいと伝えることとは、全く違う次元の話です。

愛を伝えることを恐れる人は、自分の欲求がかなえられなくなることを恐れているのです。

愛していることを伝えて、相手が嫌がることはありません。愛してくださいと伝えて、相手が嫌がることはあるかもしれませんが…

ただ愛情を伝えてください。そこから、全てが始まります。

先にあるのは、欲求ではなく、相手を大切に想う気持ち、愛です。
posted by 野尻有希 at 14:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

私が作ろうとしていたのは、私が毛嫌いしていたこの環境でした

彼はやりたい仕事がありました。しかし、彼はその仕事から収入を得ることができずにいたため、生活のために仕事をしていました。

なぜこんな仕事をしているんだろう。

もっと自分にふさわしい仕事がしたい。

自分には別の役割、使命がある。

自分が生きる目的はこうした場所で働くことではない。

彼は悩みました。

なぜ自分は望む仕事から収入を得ることができないのだろう。

今私が従事している仕事の方が、生活費を得ることができるのだから、社会に望まれた仕事ではないのか。私が毛嫌いしているこの仕事の方がよっぽど社会的に意義のある仕事ではないのか。

彼は悩みました。

私は世界平和に貢献したいと想う。私は多くの人々が、より豊かに暮らせる社会作りに貢献したいと想う。私は7代後の孫たちにまで続く繁栄を作り出したいと想う。



しかし、よく考えてみろ。



今私が目にしているこの職場の人々、取引先の人々、通勤電車で目にする人々、街を歩いている人々、彼らが幸せに仕事ができて、休日をとれて、毎日平和に暮らす社会を作り出すこと、維持すること、それが私の仕事ではないのか。



彼は自分が求めているものが、目の前にあることに気づきました。



そうだ、私が作り出そうとしていたのは、今私が接触しているこのオフィスの環境なのだ。この街の環境なのだ。私はこの街に暮らす人たちが、明日も平和に、豊かに、生活に満足しながら笑って過ごせる社会を作ろう、維持しようと考えていたのだ。そうした社会作りに貢献しようとしていたのに、私は彼らを毛嫌いしていた。私は自分自身ふさわしくない環境にいると想いこんでいた。違う、私が求めていた環境はこれなのだ。



彼は自分自身のあやまちと使命の卑近さ、あたたかさを認識しました。



私は今まわりでにこやかに働いている人々、この町で暮らしている人々が明日も笑って過ごせる社会作りに貢献しよう。

そしてまた、私もそうした社会の一部なのだ。

私は今ある社会の平和を受け入れよう。この社会を愛そう。
posted by 野尻有希 at 00:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彼は疲労していました。必要ないことに時間を捧げたせいです。

彼は心身ともに疲労していました。自分にとって必要ないことに時間をかけすぎていたのです。

なぜでしょう?

快楽を欲していたから、気持ちよくなりたかったから、名誉が欲しかったから、彼は必要ないことに時間をささげ、疲労していたのです。

彼は本当に必要なことのみに時間と気持ちを集中することにしました。そうすれば、何も焦って生きる必要がありません。

彼の心に安らぎと豊かさが満ちますように。
posted by 野尻有希 at 00:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月20日

快楽と愛なら愛を選ぶ人になって

あなたの愛が実らないのは、あなたが愛ではなく、自分の快楽を求めているから。

快楽は求めようと思えばいくらでもむさぼることができます。

あなたは相手に快楽を与えようとしている。その見返りに自分が快楽を得ようとしている。

愛だけを与えるようにしましょう。愛だけを求めましょう。

快楽に惑わされそうになったら、愛の心を思いお越し、誘惑に負けないようにしましょう。いつでも愛を感じていて下さい。

あなたの愛を必要な人は世界中にいます。世界中の人が愛に飢えています。愛に終わりはありません。愛をただひたすら与えて下さい。

愛は求めるものではなく、自分の中からひたすら与えるもの。あなたは自分の心の中に愛が足りないと想っている。誰かから愛を送って欲しいと想っている。足りないと想うその心から、愛を汲み取ってください。愛の感受性をあげて下さい。今まで気づかなかった小さなことから、愛の気持ちを感じ取って下さい。

実際あなたはたくさんの愛情に包まれて生きています。それを思い出して下さい。貴方の心の奥底にも、愛があることを思い出して下さい。あなたの心をまず愛で満たして下さい。

愛はあなたを包み、世界中をも包みます。あなたの愛は世界全体を包みこむほど大きく豊かなものです。

あなたの愛が尽きることはありません。
posted by 野尻有希 at 23:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月16日

将来生まれる子どもを想像して自分の不安を助ける方法

愛の知恵、愛の教えの続きです。

〜〜〜

青年はまた神父様の家を訪れた。
「あの後もやはり彼女からの手紙の返信が遅いと、それだけで不安になります。私が彼女のことを信頼していないのでしょうか」
「あなたと彼女の間に愛らしい子どもができたと想像してください。今子どもがあなたのもとに訪れたとします。そのこはあなたにどんな言葉をかけるでしょう?」
「彼女によく似た可愛らしい娘の姿が見えます。『しっかりしてよ、お父さん。お母さんを幸せにしてあげて』と言っている姿が見えました」
「苦しくなった時はその子のことを思い出し、強い心と勇気を呼び起こして下さい」
「はい。確かに私が不安になっていては、彼女にも、娘にも悪いですね。がんばります」

(続く)
posted by 野尻有希 at 23:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月14日

彼女と会えないと心苦しいです。僕は彼女ともっと会いたいのですが…

「7代後の孫への話」というブログタイトルにふさわしい記事を書こうと想いました。

「愛の知恵、愛の教え」というカテゴリーを今追加しました。

自分自身、愛の形や将来について悩むことが多いです。一人で悩んでいても埒があかないけれど、神父なりコーチ役の姿を想像して、彼に相談する感じで悩みについて考えると、答えが見つかります。

〜〜〜

若者が神父様に恋愛の悩みを相談した。
「彼女と会えないと心苦しいです。僕は彼女ともっと会いたいのですが、想うようには進展しません。ただただ苦しいのです」

すると神父様は優しく微笑んで語り始めた。

「彼女には彼女の人生、時間、自由があります。あなたは自分の都合で彼女ともっと長い時間一緒にいたいと考えています。彼女は自分と長い時間一緒にいたいと想ってはいないのではないかという不安、不満の心も頭をもたげていますね。あなたにはあなたの時間、自由、人生があります。彼女と共に人生の時間をつむいでいくことは素晴らしいですが、たとえ二人が一緒になったとしても、それぞれに個人の自由と時間が保障されています。

彼女と会いたいとエゴイスティックに想う意外にも、もっと考えていくことはあるのではないでしょうか。視野を広げてみましょう。彼女にあいたいという願いは、あなたのエゴによるものです。彼女に会う間、彼女が幸せになれば、それは二人にとってすばらしい願いになるでしょう。彼女と想うほど会えなければ、会う以外の方法で、彼女を幸せにすることを考えてみたらどうでしょう。会う以外にも、彼女を幸せにする方法はいくらでもありますし、あなたには、彼女のためにもっとすることがあるのではないですか」

「確かにそうです。僕は彼女とずっと一緒にいたいと想っています。つまり結婚して、幸せな家族を作りたいと願っています。なら会うことばかりをわがままに求めることは間違いですね。彼女と結婚するためには、会う以外にもやることがたくさんあります。気づきました神父様。ありがとうございました。」

「財産を準備すること、健康を向上させること、どんな家族を作ろうか計画を練ること、彼女といつか相談するために、準備しておくべきことがたくさんありますね。そうした大事なことは彼女と話し合って、二人で決めていくことですが、会えない時間はたっぷりありますし、結婚後でも、二人がいつも一緒に行動するわけではありません。自分の人生、仕事、どう生きていくか、あなたにはまだまだ考えて、行動していくことがたくさんあるでしょう。時間と自由はたっぷり保障されているのですから、彼女のためにも、不安と不満を感じることなく、前向きに将来を作り出していって下さい」

〜〜〜
いかがでしたでしょうか。自分に語りかけるようにして書きましたが、恋愛や結婚で悩んでいる多くの男性、女性の助けになることを願います。皆様が幸せで包まれますように。
posted by 野尻有希 at 23:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 慈愛論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする