2008年07月28日

小説テーマ『人類の絶滅』連載終了の辞

22回にわたってブログ上に連載していた小説『人類が絶滅する小説』の連載が終わりました。
当小説は、私のサイト「7代後の孫への話」にて、まとめて読むことができます。

アドレスはこちらです。
『人類が絶滅する小説』
http://grandchild.is-mine.net/roman/novel/zetumetu.html


連載時から、前半部分の文章、構成を大幅に変更しています。
具体的には、スカトロが好きな派遣社員、オナンのエピソードを増加していますし、マーラーの交響曲に関する引用も増やしています。

人類は絶滅していませんが、近代文明自体は崩壊の道を突き進んでいます。文明崩壊の序曲を聞き取る作業は、この連載が終わっても、私の体が朽ち果てるまで続くでしょう。
posted by 野尻有希 at 22:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説テーマ『人類の絶滅』(22)最終回

連載小説『人類が絶滅する小説』(22)最終回

 二人で公園に行った日の夜、ナイフを突き立てられたエルは、無言で私の顔を見つめていた。私はエルの唇に、自分の唇を重ねた。目を閉じて、エルの心臓にナイフを突き立てた。エルの口からあふれ出した血液が、私の口の中に入ってきた。私は自分の腹を引き裂き、サマルの体から抜け出た後、脈打つエルの心臓を食らった。サマルとエルは亡骸になり、私は新しいエルになった。
 私はパンチで穴をあけられた旧免許証と、新免許証をローテーブルの上に並べてみた。二枚の顔写真は微妙に印象が違っていたが、係の人たちは誰も、免許証の持ち主が別人だとは気づいていなかった。
 私はクラウス・テンシュテットが指揮するマーラーの交響曲第九番の第三楽章をかけつつ、ノートパソコンの電源を立ち上げ、文章を記録し始めた。
 マーラーという作曲者が作り上げた音楽を、何人も別の指揮者が演奏する。指揮者によって、演奏の解釈は異なる。晩年のテンシュテットが奏でる音は、他のどの指揮者による解釈とも異なっていた。古典的に崇高な雰囲気を持っていながらも、大衆受けしそうな、獰猛な音響が時折噴出した。盛り上がる部分では金管が轟音で鳴り響き、ティンパニーは強烈な打撃を繰り返した。生命が死滅する瞬間を覗いたものだけが作り出せる、地獄の底で鳴り響くような交響曲だった。
 作曲者であるマーラーが意図した音の響きとは異なるものかもしれないが、テンシュテットとマーラーの相互作用により生み出された、芸術表現の極みだった。
 私はエルが書き散らしていたブログに、エルに成り代わって文章を続けた。運転免許の更新でさえ、私は偽装することができた。写真撮影でも、ICチップの登録でも、誰も私がエルだと気づかなかった。会社にも退職届を出してきた。これから私は、エル自身が本来到達したくて、到達できなかった生活、すなわち正直に生きる歩みを続けることにした。
 エルは地球の破滅をどうにか救おうと文章を書いていた。私は絶滅をくいとめることを目的としない。絶滅の過程を正確に記録することを目的として、エルの文章を引き継いだ。
 私が書き継ぐ記録は、私が属する組織のために書かれるものだが、人類に内容を公開したところで、問題はなかった。どうすれば人類絶滅をくいとめることができるのか、解決策がわかっていたとしても、私は文章におこさなかった。これは干渉ではない。考えるのは人類だ。
 私はエルが書いていたのと倍の量と速度で、絶滅過程の記録を書き、エルのブログ上にアップし続けた。
 真実だけを書く私が織り成す唯一のフィクションが、エルの生存であった。エルに対するせめてもの慰めとして、エルが生きているように書くこと。それが、エルが時折見せた真正直さに対する償いになろう。
 私は上にめぐりあげていた皮膚を引っ張って、下におろした。皮膚の表面をひっぱって、伸ばすと、エルの顔に戻った。
 僕は新免許証を手に取り、鏡に映る自分の顔と見比べてみた。鏡に映る僕の顔は、免許証に映る僕の顔よりも精気があり、生きて活動しているように見えた。続いて僕はパンチで穴を開けられた五年前に撮った免許証の写真を見た。
 よくよく眺めてみると、五年前の僕の写真と、午前中に撮影した僕の写真と、今鏡に映る僕の顔は、全て別人の顔のように見えた。僕が今まで付き合ってきた人たちと、会わなければ、そうした変化も気にする必要はないだろう。
 マーラーの第九番は第四楽章のアダージョになっていた。僕はビジネスバッグの中から、オナンという同僚が貸してきたブルーレイのソフトを取り出した。『ハイビジョン超高画質で堪能する異常性欲』と書かれたそのタイトルを、僕は再生してみた。
 第四楽章の響きは、天国の音によく似ていた。テレビ画面には、裸の男女が次々現れた。このソフトは男性の性欲処理を目的として作成されたものらしく、性交の様子がたくさん描写されていた。僕には性欲というものがなかったので、リモコンを使って六十倍速で見ていった。
 途中、女性が排便している映像が出てきたので、僕は再生速度を普通に戻してみた。このチャプターのみは、性交シーンがなく、女子トイレで撮影された、女性の排便行為が延々続いた。排便のスピードと、マーラーのゆったりしたアダージョのテンポは、歩調をともにしていた。
 僕はアップで映る排便行為を再生し続けながら、パソコンにブログの管理画面を開いた。そのまま夜遅くまで、世界で起きたニュースを文章化していった。
 秋葉原の事件の犯人が、ネットの掲示板に犯行予告を書いていたため、ネット上に犯行予告を書いただけで、逮捕される人が続出していた。そうした摘発にもかかわらず、秋葉原ではまたもやナイフによる殺傷事件が起きていた。
 インドのムンバイでは、売春を強制する少女たちの成熟を早めるために、売春組織が十代女性に女性ホルモン剤を投与していたことが明らかになった。
 テロル、殺人事件、偽装、汚職、環境破壊、不正行為の数々を文章化するばかりでは息が詰まるので、僕は他愛のない日常の様子を、文章の合間に挟んでいった。
 他愛ないという言葉は、他に愛がないと書く。他愛もない日常の出来事とは、愛の他には何もない行為の積み重ねではないかと思えた。

(了)
posted by 野尻有希 at 22:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

小説テーマ『人類の絶滅』(21)

連載小説『人類の絶滅』(21)

 講義終了後、僕は階段を使って四階に行き、新運転免許証の発行を待った。講義受講者のうち、最初に四階にたどりついたのだが、僕の運転免許はまだ発行されていなかった。僕はベンチに腰かけて、受付番号の順番が回ってくるのを待った。
 運転免許試験場で日曜日に働いている係の人たちは、全員公務員なのだろうかという疑問がわきあがってきた。新しい運転免許証を、受付票に記載された番号と照合しながら配布している窓口の女性二名は、毎日毎日こうした書類と番号を整理する仕事に携わっているのだろうか。
 よく考えれば、オフィスワークのほとんどはそうした整理の仕事に費やされている。オフィスワークの本質は、整理整頓活動による秩序の維持創出かもしれないが、僕はここに秩序を見出すよりも、合理の行き過ぎから生じる退屈さを見出していた。
 受付票と引き換えに渡された運転免許証に映る僕の写真は、五年前の写真よりも肌の色が白くなっていた。見ようによっては別人に見えなくもなかった。写真撮影前に、肉眼で見る顔と、免許写真の顔が、まるで異なるものになることを確認していたから、僕は写真映りの悪さを落胆しないことにした。
 免許更新手続きで最後にやることは、新免許証のICチップに登録された、本籍の内容に間違いがないか確認することだった。
 以前なら、運転免許証の表面、現住所欄の上に本籍が記載されていたが、新免許証では、本籍はICチップ登録情報となって、表面から消えたのだった。偽造行為を防ぐためと講習時説明されていたが、ICチップのデータを一括して盗まれる危険の告知は不要なのだろうかと思えた。
 ICチップ確認端末の上に新運転免許証をおくと、暗証番号の入力を求められた。一階で登録しておいた暗証番号八桁を入力したら入力ミスを指摘された。入力ミスが八回続くと、手続き不可になるという警告メッセージも出たため、暗証番号の用紙を見ながらもう一度入力した。
 液晶画面上に運転免許証が表示された。本物の免許証の本籍欄は空白となっているが、画面上には僕の本籍が表示されていた。本籍の住所よりも、本籍欄の横に映る、僕の顔写真が目についた。
 本籍の住所を確認した後、僕は免許証を取り出して、財布のカード入れの中に入れた。パンチで穴を開けられた以前の免許証は、マンションに帰ってから、はさみで切って捨てることにした。
 運転免許試験場を出ると、十時十五分過ぎであり、雨が降り始めていた。無意味な手続きで休日の貴重な時間が無駄になるという考えが最初はあったが、いざ手続きを終えてみると、午後の時間はたっぷり残されていた。懸念だった免許更新を何の問題もなくこなせたから、ほっとした。


***


 行きと同じように乗り継いで、新中野のマンションに戻った。伝車に乗っている最中は、「夜の交響曲」と呼ばれるマーラーの七番を聴いていた。
 僕は自分の部屋に帰らず、サマルの部屋に向かった。サマルの部屋には、相変わらず鍵がかかっていなかった。
 サマルの部屋のリビングには、マーラーの「大地の歌」が小さな音量で鳴っており、東京都指定のゴミ袋がちらばっていた。
 部屋の真ん中に、白い花が敷き詰められていた。茎の長い白い花の合間に埋もれるようにして、サマルと僕の裸体が横たわっていた。
 二人とも目をつむり、安らいだ表情をしていた。僕の裸体の左胸には、ナイフで心臓を抉り出した傷痕が残っていた。サマルの裸体には、胸上からへそのあたりまで、体の中心線に沿って裂傷が走っていた。皮膚と皮膚の間にあいた細長い穴を覗いても、臓器は見えず、真っ黒い空洞があるだけだった。
 僕は二人の遺体に深く礼をして目をつむった。耳にはテノールとアルトの掛け合いが聞こえてきた。
 自分の部屋に戻って、エアコンのスイッチを入れた。僕は鏡の前に立ち、あご沿いに顔表面の皮膚をつかんだ。
 皮膚を両手で思いっきり引っ張りあげると、エルの顔の下から、私本来の緑色の皮膚が現れた。
posted by 野尻有希 at 23:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小説テーマ『人類の絶滅』(20)

連載小説『人類が絶滅する小説』(20)

 日曜日、東陽町にある江東運転免許試験場まで免許更新に行った。当初は有給をとって、新宿にある免許更新センターに行く予定だったが、オフィスワークが忙しくて、有給をとれなかった。
 日曜日に更新にいけるのは都内だと、府中と江東と品川にある運転免許試験場だけだった。他の試験場はどれも駅から遠かったり、バスの利用が推奨されていたため、中野からは遠かったが、東陽町駅から徒歩五分の江東運転免許試験場に行くことにした。
 朝八時前に起きて、丸の内線に乗り、新宿三丁目で降りた。新宿三丁目駅は、地下鉄副都心線が開通したせいか、ライトの多い、近未来的なデザインになっていた。
 新宿三丁目から都営新宿線で九段下まで乗り継ぎ、九段下からは地下鉄東西線に乗った。東陽町駅の到着時刻は八時半過ぎだった。駅から地上に出て、ファミレスやカフェが並ぶ大きな道路沿いの歩道を六分ほど歩き、運転免許試験場に到着した。
 試験場構内に入ってすぐ、長蛇の列ができていた。試験場では、運転免許試験と更新手続きができた。平日来ることができない労働者たちが、大量に詰め掛けているのだろう。僕も縦四列の末尾に並び、アイポッドでテンシュテット指揮によるマーラーの交響曲第六番を聴きながら、順番が来るのを待った。
 僕は自動車を持っていないペーパードライバーであるため、当然無事故無違反のゴールド免許保持者だった。免許更新の区分は優良であり、手続きも少なかった。
 五分近く並んでから、受付にたどりついた。受付では現免許証の記載住所から、異動ないことを確認された。僕は渡された受付票に、氏名など必要事項を記入した後、収入印紙を購入する別の短い列に並んだ。
 優良区分の手数料三二五〇円を支払った後、僕は個人情報保護用の暗証番号を登録する端末機の列に並んだ。その場で決めた暗証番号八桁を端末に入力すると、ゴシック体で打ち出された暗証番号が、レシートのごとく印刷されて出てきた。
 視力検査、写真撮影と続いた。視力検査は輪のあいている部分を言い当てるだけですぐに終わった。写真撮影の前に、現在の免許証にパンチで穴をあけられた。
 写真機の前で並んで待っていた時、前の女性が機械に写される様子を見た。肉眼で確認された女性の顔と、コンピューター画面に映し出された写真用の女性の顔は、別人のように見えた。椅子に座ってかしこまっている女性の顔は、僕の瞳に映る時、ごく普通にかわいらしく見えたが、コンピューターの液晶画面に映る彼女の顔は、何十倍も堅苦しくなっていた。撮影用のカメラに、人間が持っている美をはぎとる細工がしかけられているのではないかと思えたほどだった。
 写真撮影を終えた後、僕は係の人に誘導されるままエスカレーターで二階に上がり、優良者向けの三十分講習を受けた。
 講習は白髪で定年間近といった感じの教官が行っていた。教室左奥には大画面の薄型液晶テレビがあり、講習ビデオはDVDによる再生だった。
 ビデオ上映が終わった後、五年前の前回免許更新時から今回の更新時までの、制度変更点が講義された。駐車の取り締まりが厳しくなったこと、飲酒違反の罰則が厳しくなったこと、老人に対するケアが手厚くなったこと等が説明された。最後に、ちょうど今年の六月から施行されたばかりの、後部座席のシートベルト着用義務化が説明された。
 制度改正についての矢継ぎ早の講義が続く中、僕はホワイトボードに書かれた交通事故者数の分析結果を眺めていた。交通事故による負傷者と死亡者の数が、全国と都内にわけて表示されていた。うち老人の被害者数も表示されていたし、今年度累計の数字が、昨年度より減少していることも明示されていた。
posted by 野尻有希 at 00:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月26日

協議テーマ『人類の絶滅』(19)

連載小説『人類が絶滅する小説』(19)

「つまり、自分たちが干渉しないのだから、愚かな人類は滅びるしかないと言っているわけか。ずいぶん高飛車な言い方だな」
「厳密な調査結果からみて、明らかじゃない」
 サマルは立ち上がって、ブランコに座る僕の正面にやってきた。
 サマルは僕が貸したワイシャツを両手で引っ張った。ボタンが外れ、黒いブラジャーをつけた上半身が露わになった。
「エル、私を殺して」
 僕の目の前にはサマルの真っ白な上半身が広がっていた。
「君のさっきまでの話はわかったけれど、殺せというのは納得できない」
「あなたは知らないかもしれないけれど、私を殺すも同然のこと、あなたたちは毎日繰り返しているのよ。さあ、殺しなさい」
 サマルはどこに隠していたのか、カーゴパンツのポケットからナイフを取り出し、僕の方に投げた。僕は慌てて手を出し、ナイフを手につかんだ。ナイフは軍事用のものらしいサバイバル型だった。
「さあ、その刃物で私の心臓を繰り抜いて、この木の下に埋めてしまって」
 サマルが左胸を僕の顔の前に突き出してきた。僕はナイフを自分の体の後ろに回した。
「何故、私を殺そうとしないの? あなたたちは地球上最も残虐で非道な、神の失敗作だというのに」
「僕は君を殺せない。それが僕の正直な気持ちだ」
「なら、私があなたを殺す」
 サマルが先程とは反対側のポケットから、ナイフをもう一本取り出した。
 僕は人を殺したことがない。殺されると想像したこともない。想像の枠外にある出来事に、人は対応できないものだ。
「もう人類に干渉しないとさっき言っていただろう。前言撤回か?」
「干渉はしないけれど、観察は続ける。あなたたちも、絶滅する生物の最後を記録しているでしょう。調査の目的は変更されたわ。人類を救うためでなく、なぜ人類は絶滅するのか、後代の参考にするため、調査が続けられることになったの」
 サマルはナイフの刃先を僕の左胸の上に当てた。少しでも動けば、僕の心臓にナイフが刺さる。僕は背中に回したナイフを握り締めなおした。
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2008年07月22日

協議テーマ『人類の絶滅』(18)

連載小説『人類が絶滅する小説』(18)

 僕はサマルと、サマルの裏にある組織の暴挙を食い止めるために最大限の努力をしようと思った。サマルの方が、知識も知性も僕よりはるかに上だろうが、僕は自分にできる限り最大の抵抗を試みることにした。
「サマル、君たちの意志決定を撤回するために、僕は今まで学習を積んできたように感じるよ。僕が人生に充実を感じていた頂点は大学合格の知らせを受け取った時だった。高校三年間の猛勉強の成果が、大学合格で報われた気がした。今振り返ればとても馬鹿らしい判断だけれど、僕は大学に合格してから、薔薇色の人生が開けると信じていた。大学生活開始後、実現したのは、生きる目的を失って、心身失調となった自分だった。ヘッセ的な受験馬鹿だった僕は、人生の目的も、直面に存在すべき目標も見失い、生きることの充実感や誇りを失った。しかし今、僕の目の前に、生きることの目標が見つかった。サマル、君たちの意志決定に干渉することだ。君たちと交渉し、人類の生存を勝ち取るためにこそ、僕は今まで学習してきたように感じる」
「交渉の余裕はないわ。人類滅亡は決定された」
 僕はサマルの否定に答えず、思考を進めた。
「人類の歩みを修正するために僕の知識を用いる。抜本的改革を行うわけじゃない。今生きている生物の幸せを守るために、僕は知性と時間を使うことにする。サマル、そのためにもチャンスをくれないか?」
 サマルは答えなかった。僕はサマルの横顔を見た。サマルは相変わらず厳しい顔をして、まっすぐ前を見つめていた。
「以前部屋にあったカプセル、もう爆発させたのか?」
「あのカプセルは、本当は爆弾でもなんでもない。我々の栄養源なの。絶滅のスイッチは、あなたたち自身が入れた」
「何? どこかの国が、核爆弾でもぶっぱなしたのか?」
「すぐ崩壊は訪れない。ゆっくりと人類は死滅していく。現存する地球生命の多くは、人類と一緒に死滅していく。そのゆっくりした死の行進に、私たちは干渉しないことにした。同類が死んでいくのに干渉しないで済ますことは、人類が示した振る舞いでしょ。私たちも人類に見習って、人類の絶滅過程に一切干渉しないことにしたの」
 サマルの声はいつになく低く、小さな囁き声だった。僕は時折道路を走るトラックが吐き出す轟音を邪険に感じながら、サマルの言葉を聞き取っていた。
「手を引くということは、それまで好意的に介入していたということ?」
「時折私たちは、人類の行為を善い方向に導こうと干渉してきた。しかし、そうした振る舞いももう終わり」
「もしかして、人類に干渉しないということが、意志決定の内実なのか?」
「その通りよ。私たちの調査結果から、人類は早々に滅びるという予測が立てられた。今まで私たちは、あなたたちが間違った道に行かないように支援してきたけれど、ここ百年は手を控えてきた。そして先週末、あらゆる干渉行為を永久停止することが決定された」
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2008年07月20日

協議テーマ『人類の絶滅』(17)

連載小説『人類が絶滅する小説』(17)

 僕はスウェット姿のまま、外に出た。深夜の歩道には、帰宅中のビジネスマンと、肌の露出が多い服装をした若い女性が散見された。丸の内線の昇降口近くの銀行前には、手相占いの易者がいた。
 易者はグレーのスーツを着て、髭を生やしていた。白い布で包まれた小さな台には「科学的判定」と書かれていた。易者は携帯電話で誰かと話していた。街頭に店を構えている易者という昭和的存在が、携帯電話で話しているのが奇妙に感じられた。 
 僕とサマルは会話することもなく青梅街道沿いを歩いた。丸の内線の上を通る青梅街道には、終電間際だというのに大量の自動車が走っていた。これだけの人々が、深夜自動車に乗って何処に向かっているのか、よくよく考えてみれば不気味に思えたが、毎日当たり前の光景になっていたので、気にせずにいた。
 僕らは交差点を渡った先にある公園に寄った。公園の脇には、シャッターをおろした交番があった。
 公園の中に入るのは、今日が初めてだった。自転車通行中に眺めていた時は、公園内で子連れの母親が話し合っているのをよく目にしていた。マダムの社交場になっている狭い公園という認識しかなかったが、いざ足を踏み入れてみると、想像していたよりも公園は広かった。公園脇の歩道には帰宅途中の人々が通っていたが、公園には僕ら二人きりだった。
 木が等間隔で何本か立てられており、青梅街道寄りには明かりの灯った公衆トイレがあった。砂利を前にベンチが並んでいたが、僕らは奥にある小さなブランコに座った。ブランコは大人が座るには板の位置が低すぎて、こぎ出せば足が地面にぶつかりそうだった。
 僕は四つ並ぶうち、一番道路側のブランコに乗った。サマルは僕の左隣のブランコに乗った。僕らの右手には鉄棒と、小さな滑り台があった。左手奥にはカラフルに着色されたジャングルジムと、大きな砂場があった。僕はサマルの正面に立つブナの木を見つめた。サマルも僕も、ブランコをこぎ出そうとはしなかった。
「昨日も今日も下着で、どうしたのさ」
 僕は左のブランコに座るサマルを見ずに、前方を見つめて尋ねた。僕の脳裏にはキャリアウーマンというか特殊部隊の女スパイのように、整った着こなしをしていたサマルの姿が蘇えっていた。
「正直になりたかったのよ」
 サマルは僕の質問をはぐらかそうとしているのか、本当にそう思って裸同然の姿となったのか、はかり難かった。
「人間が服を身につけ出してから、自分に嘘をつくようになったというのは真実だと思うよ。特に近代以降はそれが加速した。消費社会では誰もが過剰に洋服を持ち、嘘をついている」
「世界中には服を買うことさえできない人も大勢いるのに、あなたたちは新しい服を作り続け、売れ残れば処分する。そんなことの繰り返し」
「サマル、僕たちに絶望しているのか?」
 サマルは言葉を返さなかった。僕はサマルの目の前にあるブナの木を見つめていた。
「あなたたちは、気づかないふりをしている。情報としては同胞が衣食住にもこと足りず生きていることを知っていても、生活を変えずに浪費を続けている。これを不誠実と言わずに、何と表現すべきかしら?」
 サマルが言うように、僕らは他人に干渉せず、生きていた。もちろん政府間の援助はあるし、積極的に援助活動をしている良心的な人々も多かったが、世界システムの全体をみた時、そうした良心的行為の量は微細であり、圧倒的多数は世界の情報を入手することさえせず、浪費を続けていた。
「エル、我々の決定はなされた。人類は滅ぶべきである。理由は不誠実であること。目の前に広がる現実を見ても、気づかぬふりをして享楽していること」
 サマルの言葉は、預言者か新興宗教の開祖の宣託であるようだった。僕は反論することにした。
「待ってくれ。正直に生きていれば、東京で暮らす限り、世界の現実は見えてこないよ。国際ニュースで世界の現実を垣間見たとしても、それは対岸の火事に過ぎず、僕らに切迫した行動を促したりはしない。日本の生活の安全は、有る程度保障されている。正直に回りを見てみよう。凶悪な事件や事故は、ニュース映像を通してしか認知されない。つまり、東京で暮らすことはストレスフルだけれど、いつでも平和だ」
「それでは、あなたたちが作り上げた社会の仕組み自体が、問題ではないの?」
 サマルの声は冷たかった。
「制度的に問題があるかもしれないけれど、制度を作り上げた人と、それに従って生きている人は別じゃないかな。無実な人たちを絶滅させるのはよくない」
「誰も悪い人はいないと? どこかで歯車が狂ってしまった。なら歯車を狂わせた人が悪いんじゃない? 歯車が狂ったまま、修正しようと努力してこなかった人にも、責任があるんじゃない?」
「僕らは今必死になって修正しようとしている」
「システムトラブルを修正しようとしていないじゃない。テレビ画面の窓を通して、システムが生み出すトラブルを見つめているだけじゃない」
posted by 野尻有希 at 14:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月14日

協議テーマ「人類の絶滅」(15)

人類が絶滅する連載小説「サマル」(15)

 死刑執行のニュースを見ながら、僕は残業続きで痛み出した体をマッサージしていた。事件ニュースなど見ずに、マーラーの交響曲第五番のアダージョでも流しながら、ヨガをすれば疲れは癒されるのだろうが、僕はニュースを見つつ、体を慰めた。
 ドアのインターホンが鳴った。二十三時近いというのに、来訪してくる者と言えば、隣で暮らしているサマルしか思いつかなかった。
 毎晩僕がサマルの部屋に通うばかりで、サマルが僕の部屋を訪ねることは一度もなかったが、僕はインターホンを鳴らしているのが見知らぬ人でなく、サマルであることを期待した。
 インターホンの受話器をあげて、声をかけても、返事は無かった。白のTシャツに灰色のボクサーブリーフを身につけただけだったので、僕はスウェットをはいてから、玄関の扉を開けた。
 黒いブラジャーとショーツを身につけただけの姿で、サマルが立っていた。梅雨半ばの蒸し暑い空気が、エアコンのきいた室内に入ってきた。
「どうしたの? そんな格好をして」
「暑かったの」
「隣の人に見つかったらどうするんだ。とにかく入って」 
 僕はドアを広げてサマルを室内に招き入れた。サマルはヒールの高い銀色のサンダルを玄関で脱ぎ、部屋に入ってきた。僕はサマルに、インターネットのオークションで購入した二人がけのソファーに座るよう促した。
 僕はキッチンでウォッカのソーダ割りを作った。サマルが地球人類の食事を好むのか、アルコールを飲むのかわからなかったが、グラスに入れて飲み物を差し出せば、口だけでもつけてくれるだろうと期待した。
 二人分のウォッカソーダを持ってリビングに入ると、サマルはソファーに腰かけ、つけっぱなしだったニュース放送を見ていた。ニュースでは、自民党による消費税値上げ問題が取り上げられていた。世論に反対意見は多いだろうが、消費税でもあげないことには、どう考えても減らないだろう膨大な借金がこの国にはあるのだから、僕は消費税問題などどうでもいいと考えていた。
 僕はテーブルの上にウォッカソーダをそっとおいた。グラスとグラスをあわせて、乾杯でもしてから飲みたい気分だったが、サマルは視線をテレビに向けたままだったので、僕は一人でウォッカソーダを飲み始めた。
 ソーダを口に含めると、炭酸が生み出す舌触りの後に、きついアルコールの触感が口内に広がった。
「僕の部屋に来るなんて珍しいね」
 サマルは呼びかけに反応せず、下着姿でテレビを見つめていた。番組は居酒屋タクシーのニュースになっていた。国家公務員が深夜、ホステスも乗車するという居酒屋タクシーに乗って帰宅していた。居酒屋タクシー利用率は、財務省が一番多いと発表されていた。
 ひょっとするとサマルは、テレビを見るためだけに僕の部屋に来たのかもしれないと思えた。昨日見たサマルの部屋の中には液晶テレビがなく、ゴミ袋しかなかったのも気がかりだった。
「エル、外に出ましょう」
 サマルがテレビを見つめたまま言った。ウォッカソーダにはまだ口もつけていなかった。
「その格好のまま外に出るのはまずいよ。服、持ってないの?」
「これだけだわ」
 そう答える時もサマルはテレビを見つめたままだった。テレビには、プロ野球セパ交流戦の模様が映し出されていた。
「ならいい。僕の服を着ていきなよ」
 僕はクローゼットの中から、サマルが着てもよいと思える服を探した。
 ミリタリーテイストのカーゴパンツと、黒いワイシャツをサマルに渡した。サマルは無言で僕の服に袖を通した。カーキ色のカーゴパンツに脚を通すサマルの様子を見ていたら、僕の性的興奮が高まってきた。女性が服を着こむ姿を見るだけなのに、変な気分になるのもおかしな話だ。
posted by 野尻有希 at 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月13日

人類が絶滅する連載小説『サマル』(14)

 オフィスでの仕事中、隣の席のオナンは、手を動かしていない時間が多かった。腕を組み、パソコンの画面をずっと見つめていることもしばしばあった。
「パソコンの動き遅いの?」と僕が訊いた。オナンのパソコンはオフィスの中でも最も古いものであり、処理速度が遅かった。
「そうなんです。こうして動き出すのを待っていると、肛門からなかなか出てこない大便を待ち構えている時を思い出しますよ。待った後には、たいてい特大の便が出てくるから、楽しみに待っていられるんですけどね」
 そこからまたオナンのスカトロ話が続いた。
「エルさんは、まだスカトロのDVD借りたことないんでしょ。今度持ってきてあげますよ。実はね、ブルーレイでスカトロのソフトがあったんですよ。スカトロ専門じゃないんすけどね。異常性欲ものってやつ? SMとかコスプレとか、アナルとかレズとかいろいろあるうちに、スカトロがちょっと入ってるんですよ。エルさんち、ブルーレイ再生できましたよね。今度持ってきますから、ぜひ超高画質で女の子の大便を楽しんでください」
 僕は承諾も拒否もせず、パソコンに向けて仕事を続けた。
 オフィスワークが終わって部屋に帰ると、二十三時前だった。僕は短い時間シャワーを浴びてから、テレビニュースを見た。
 連続幼女殺人事件の犯人だった、宮崎勤の死刑執行が今日行われたとわかった。秋葉原で起きた無差別殺人事件の献花が続く中、宮城・岩手内陸地震の復興ままならない状況のまま、今日、宮崎勤の死刑執行が行われた。
 宮崎被告と一緒に、数人の死刑執行が行われたそうだが、ニュースになるのは宮崎被告の死刑執行ばかりで、一緒に殺された人々の話題は、添え物のように扱われるのだった。
 もちろん死刑囚たちは、人を殺すなり多大な被害を与えており、その報いとして国家から死刑を与えられているのだが、今日彼らが、誰かの手によって殺されたという事実は、事実として僕の前に存在していた。
 連続幼女殺人事件の犯人がわからず、みなの興味が集中していた当時、容疑者の名前が宮崎勤と公表された瞬間、彼の名前が日本全土を駆け巡った。中学生だった僕らの間でも、すぐさま宮崎勤という言葉は記憶され、忌み嫌われる対象になった。つとむという名前を持っている人たちは、宮崎勤と同じ名前であるというだけで、なんだか一つ悪いものでももらったような感じだった。
 宮崎勤の犯行を起点として、理解できない犯行が多発するようになったとよく言われる。先週起きた秋葉原での無差別テロなどまさにそうした異常犯罪の好例だった。ヨーロッパやアメリカのニュース放送を見ても、宮崎勤の事件と同種の異常犯罪は散見された。こうした猟奇的殺人事件と、それに続く死刑執行は、戦争から遠ざかった平和な民主主義社会で、散見される現象だと思えた。
 こうした犯罪者にまつわるニュースを見るにつけても、サマルの人類に対する評価が下がっているのではないかと推測された。しかし、社会や行政の評価を下げる事件が起きても、一切報道しない封建的社会も問題だ。サマルが我々の社会の自由な報道の実情を見て、好印象を持ってくれることを願うばかりだった。
posted by 野尻有希 at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

人類が絶滅する連載小説『サマル』(13)

 僕は正直に生きることを心がけようと決意していたのに、その決意を忘れていた。同じように、僕はサマルという存在に干渉して、サマルの企みを変えようと思い立っていたのに、いざサマルに会ったら、計画を忘れていた。
 何故決意を忘れてしまうかと言えば、僕が直面する現実が差し出してくる問題が複雑で、かつ無数にあるためだった。現実問題の対処に追われているうちに、僕の決意ははるか過去の出来事であるかのように、記憶の底に埋もれていった。
 部屋中にゴミ袋が溢れていたこと、室内に僕のものらしきテンシュテット指揮によるマーラーの交響曲が流れていたこと、サマルが下着姿でいたこと、窓際にスナイパーライフルを持って立っていたこと。等々、僕の想像範囲の外にあった出来事が大量に去来した結果、僕はサマルに干渉しようとする意志を忘れた。
 僕は迫り来る現実を解釈することに必死だった。サマルの銃撃を止めようとしたことが、強いていえば干渉行為に当たるのかもしれないが、僕はその時、干渉しようとする戦略的意志を持っていなかった。ただ単に、サマルが人殺しをしてはいけないと思ったから、サマルに呼びかけただけだった。それは率直な干渉だった。
 あるがままに生きるという最初の決意と、干渉しようと戦略を練ることは、矛盾する。問題になるのは、第一の決意と第二の決意の連続性の無さであった。
 僕個人にとって人生の決意とは本来何個もあるものではなく、一つしかないはずだと思えた。今まで、何か一つ決意したら、以前あった決意は忘却の彼方に忘れられていた。これからは何か一つ決意する際、前の決意を忘れずにいることにした。
 前の決意に新たな決意を追加したら、それはつぎはぎ工事のような決意になるだろう。今までの生活が無茶苦茶だったのは、決意が足し算か引き算か割り算になっていたせいだった。決意同士の連結を工夫したら、決意は掛け算となり、倍数的に強力なものになるだろうと思えた。
 僕が決めた最初の決意は正直に生きることだった。その決意にサマルに干渉するという第二の決意をかけてみよう。人生においてただ一つであるべき僕の決意は、正直に生きる僕の人生を、サマルという存在にぶつけることとなった。僕は今後も、正直に生きる自分を他者にぶつけて生きることにした。
 常日頃僕は、他者の機嫌をかんがみ、他者から拒絶される不安と恐怖に怯えつつも、愛想笑いを振りまいていた。今日からは違う。僕は正直に、世界と対峙することにした。
posted by 野尻有希 at 21:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

人類が絶滅する連載小説『サマル』(12)

「何故ほんの数日前に決めたことを忘れていたの? 自分で決めたことくらい、覚えようとは努力しなかったの?」
 サマルが問い詰める様子は僕に、恋人との口げんかを思い出させた。何故こんなことで、そこまで怒るのか、僕には理解できないと言いたいけれど、サマルの怒りを僕は理解できた。
 やろうと決めたことをやらなかった。いつのまにか決意を忘れて別のことにかまけていた。思い返せば、僕の人生はそうした一貫性のなさに支配されていた。その場その場の出来事に対処するのに精一杯で、僕は自分の意志や行動を貫徹できずにいた。
「オフィスワークの仕事量、仕事のストレス、いろいろな厄介ごとに頭が支配されて、正直に生きようとするのを忘れていた。だいたいにして、正直に生きていたら、オフィスで仕事なんてできないだろう。疲れたら帰りたくなるけれど、疲れただけで帰ったりしたら、勤めを果たせなくなる。それは大人のすることじゃない。子どもの正直な振る舞いは、社会では否定されてしかるべきなんだよ」
「それは単に甘えでしょ。正直さとは違うわ」
 怒っている時の恋人と同じく、サマルに下手な言い訳は通じないようだった。
「正直な大人ときいてイメージする人間像と、疲れたからと行ってすぐ帰る大人の人間像は、まったく一致しないと思うわ」
「そうだね。正直な大人は、自分が本当にやりたい仕事、いくら時間をささげても、至福の時を過ごせる仕事を選ぶだろうね。僕は自分に嘘をついて、金儲けのためのオフィスワークを選んだ。そもそもの職業選択が嘘だった」
「あなたの人生には嘘が多すぎるのよ」
 マーラーの交響曲は矢継ぎ早に複雑怪奇なフレーズを繰り出していた。
「僕はたまに決意を述べて、すごくかっこつけるけれど、結局数々の問題にぶちあたって、かっこいい言葉を覆すことになる。決定事項は先に送られ、問題も累積したまま、ますます現実は複雑にねじまがってしまう」
「問題が多すぎるし、やっていることが手広すぎるの。つまり、あなたは自由を持て余している。もっと自由の範囲を狭めて、自分のやるべきことに生活を集中する方がいいわね」
 サマルの言葉は、僕への批判であると同時に、人類全体に対しての批判であるとも感じられた。
 人類の前には解決すべき問題が山積みであるのに、人類は自由時間を浪費するばかりで、一向に問題を解決しようとしていない。サマルの言葉が僕の頭の中ですぐさまこのように変換された。
 いささか行き過ぎた想像かもしれないが、何より、サマルは人類全体のサンプルとして僕を選んだのだ。サンプルの数が少なすぎることはおおいに問題だが、僕に下される低評価は、人類全体に対する低評価と直結している。
 いけない。人の機嫌を見てしまうと、また正直に言えなくなる。機嫌をとるために、本心では思ってもいない言葉が口から出てしまう。
 僕はサマルに自分をよく見せようとするのは、やめることにした。正直に想いを述べようとすると、すぐさま邪魔が入ってしまう。正直に生きることを邪魔していたのは、僕の内部にある、虚栄心だった。
「わかった。僕は自分の感情に正直に生きることに、全生活を集中してみる。ほかの事はどうでもいい。ただ正直に生きるだけにする」
 そう言った時、僕の気持ちはきれいになった。心にたまっていたストレスの元が、全て抜け落ちたように感じられた。
 マーラーの交響曲は、第一楽章の最初のモチーフの変奏を繰り返した。僕はCDを返せとも言わず、サマルの部屋を後にした。
posted by 野尻有希 at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

人類が絶滅する連載小説『サマル』(11)

 サマルはライフルをおろすと、ほんの少し開けていた窓を閉めてから、漆黒のカーテンを引いた。
 サマルはライフルをゴミ袋の間に投げ入れた後、ゴミ袋の上に腰をおろして、僕を見つめた。
「ありがとう、辞めてくれて」
 サマルは黙っていた。何を撃とうとしていたのか、僕に教えたくないようだった。
 マーラーの交響曲が、高速で盛り上がり始めた。木管がふざけて戯れる音を出していた。
「久しぶりだね。このゴミ袋、どうしたの?」
「拾って集めたの。ま、調査の一環ね」
「人類活動のサンプル収集か」
 サマルに話しかけようとすると、露出した肌に目がいった。僕は興奮していたが、性的興奮状態にあることをサマルにさとられたくなかった。
「本棚と蔵書はどこにいったの?」
「本棚は他の家具と一緒にリサイクルショップに出したし、本は近所の古本屋にまとめて売ったわ」
 リサイクルショップがどこにあるのかはすぐ思いつかなかったが、古本屋は僕もよく利用していたので、すぐに場所が思い当たった。サマルの本棚の中には、興味深い学術書がたくさんおいてあったので、僕はフランチャイズのその古本屋に、今度の休日寄ってみようかと考えた。
「早速だけど、報告を再開してもらっていいかしら?」
 サマルが笑顔を作って僕に話しかけた。その笑顔は営業職の人が商品を売りたい顧客の前でつくる、ビジネスライクな笑顔によく似ていた。
「いいよ。何を話そう」
 本当なら、質問したいことが山ほどある。蔵書を何故全て売り払ったのか、このゴミ袋はどこから集めてきたのか、ライフルを何処で手に入れたのか、さっきは何を撃ち抜こうとしていたのか。
 けれど、サマルは僕の質問に答えてくれそうになかった。僕はサマルから、報告者としての役割を与えられていただけだった。
「何でもいいから話してごらんなさい。あなたが考えたこと。本当になんでも自由に話していいのよ」
 僕に質問する自由はないが、報告内容の自由は与えられていた。しかし、報告したところで、サマルはきっと僕の回答を批判してくるだろう。自由に答えてよいと言っていても、必ず批判してくるのだ。
 僕は用意周到に答えようと思ったが、戦略を練らずに、正直に答えることを自分の信条にしたことを思い出した。
「君にも以前言ったことだけれど、僕は正直に答えると自分自身に誓っていた。君との報告の場だけに限ったことじゃない、人生の場面全てにおいて、僕は正直に答えることにした。けれど、その決意を僕はすっかり忘れていた。君は武器を持っている。まずいことでも言ったら、誰か殺されるかもしれない。それでまた下手な戦略を練ろうとしていた」
「愚かね」
 サマルの辛らつな物言いは僕の上司のようだった。
 もちろんオフィスにおけるビジネスの場では、愚かなどという主観的感情を述べるだけでは、上司として評価されない。何が愚かしくて、どうすれば愚かさが直るのか、こと細かに指摘できる者が、ビジネスの場では評価される。そうした営利活動全体が愚かしいかもしれないという、根本的問いかけは成されないが。
posted by 野尻有希 at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

人類が絶滅する連載小説『サマル』(10)

 僕はシャワーを浴びた後、Tシャツに短パン姿で、ビーチサンダルをはいて外に出た。外の空気は湿っていた。僕は角にあるサマルの部屋のインターホンを押した。返答がなかったので、呼出ボタンを二回続けて押してみたが、ドアは開かないし、声も聞こえてこなかった。僕はドアノブをひねって、ドアを押してみた。鍵もチェーンもかかっておらず、ドアが開いた。
 リビングルームまで続く廊下には、電気がついていなかった。閉められたリビングドアの向こうは、明るかった。リビングドアのすりガラスから漏れる光のおかげで、廊下に、東京都指定のゴミ袋が等間隔で置かれているのが見えた。
 リビングの方から交響曲のステレオ音響が聞こえてきた。僕は玄関でサンダルを脱ぎ、扉を閉めて、部屋にあがった。響いている交響曲は、聴きなれたマーラーの曲だとすぐにわかった。おそらく第五番の第一楽章。金管の音が鋭かった。古典的な勇ましさを備えたこの音色は、僕がアイポッドで愛聴しているテンシュテット指揮によるものだと推測された。
 交響音と一緒に、ゴミ袋から漂う、生ゴミが腐ったような匂いが鼻についてきた。僕は足音を立てないように注意しながら、リビングに向かった。
 リビングには電気がついていた。以前は壁一面に並べられていた本棚と蔵書がきれいになくなっていた。かわりに床には東京都指定のゴミ袋が大量につまれていた。ゴミ袋の合間に隠れて見えないが、おそらく床にステレオコンポでもおかれているのだろう、マーラーの五番が室内に鳴り響いていた。
 サマルはリビングの一番奥、窓を覆う漆黒のサテンカーテンの前にいた。
 サマルは黒いブラジャーとショーツを着ただけの下着姿で、真っ白な肌をさらけ出しながら、ライフルを構えていた。ライフルの銃口は、両開きのカーテンの隙間から、窓の外に向けられていた。サマルはライフルに体を寄せて、中腰の姿勢でスコープカメラを見ていた。
 僕が現れたことにサマルは気づいていないようだった。インターホンを鳴らした時点で気づいていたのかもしれないが、サマルは僕の存在を無視して、ライフルの先に注意を向け続けていた。
 銃口はやや上を向いていた。道路向かいにある、オレンジ色の壁の高層マンションを狙っているのではないかと想像された。サマルは殺人を企んでいるのだろうか。
 部屋を埋め尽くしている生ゴミ臭いゴミ袋も、僕のCDを勝手に借用してかけているとしか思えないマーラーの交響曲も気になったが、僕はサマルが成そうとしている殺人を止めることにした。
「サマル…」
 僕はか細く震える声を出した。サマルは僕の方に注意を向けず、銃口の先を見つめ続けていた。
「サマル、やめるんだ。暴力はいけない」
 人類絶滅を企む組織に属するサマルにそう言うのは馬鹿らしかったが、僕はそう呼びかけないと、人類全体に怒られると思って、サマルに声をかけた。
 サマルはスナイパーライフルのスコープから顔を離して、僕の方を流し目でちらと見た。サマルの顔は相変わらず冷たく、感情が通っていないように感じられた。
「そうだ。手を離して。人を殺すのはまだ早いよ」
 人一人殺したところでサマルにとってはどうとないことだろうが、僕たち人類は、一人一人の命に多大な価値を置き、尊重していた。サマルが属する組織の決定がなされるまでは、サマルにも人命を尊んで欲しかった。
 サマルは目をまたスコープに戻して、ライフルを構えなおした。
「サマル、やめるんだ。何故人を殺すんだ?」
「別に人を殺そうとしているわけじゃないわ」
 サマルは姿勢を変えずにそっけなく答えた。
 確かに、サマルが殺人を企んでいるとは僕の想いこみに過ぎなかった。マンションの窓辺で銃を構える人間は、映画では殺人を狙っている熟練スナイパーと決まっているものだ。
「じゃあ何をしているんだ? 銃撃の練習? 建物の破壊? 鳥でも撃ち殺そうとしているわけ?」
 だいたいにして、下着姿で銃を持ち、部屋には東京都指定のゴミ袋しかない。サマルはどうしてしまったのだろう。僕が報告を絶やしたのがいけなかったのだろうか。
posted by 野尻有希 at 20:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

連載文学『サマル』(9)

連載小説というと、このブログが想定する最適な読者層のニーズと齟齬をきたすように感じられるため、連載文学としてみました。

(9)

 サマルは地球を征服しにきた異星人かもしれない。人類を無力化して、奴隷にすることを企んでいるかもしれない。知恵を働かせろ、僕の狡猾な良心はそうささやき始めていた。
 しかしながら、実際の日本は人類の評価を下げるような事件と問題で満ちていた。日本国内のニュースを見ていると、毎日気が滅入ってくる。
 最近とみに若い男性による無差別殺人事件が続発しているように思われた。平和と言われた日本には似つかわしくない頻度で無差別殺人は続発していた。秋葉原、渋谷、佐世保、そしてまた秋葉原、暴走するトラックやら、銃弾やナイフが飛び交い、通行人が殺されていった。世界中のニュースマニアは、日本社会は何かおかしくなったと感じたことだろう。
 奇妙なのは、ニュースで流れる事件はどんどん不可解で、突発的で、凶悪化してくるのだが、実生活で僕の周りにはそうした事件の被害者は一人もおらず、みんなストレスを感じながらもオフィスワークを続けているのだった。実際、世界の大半は平和になっているのだが、一部の人に不幸と不平等が集中し、事件が起きているようだった。ニュースは平和な光景よりも、暴力的な事件の方が視聴率が取れるから、積極的にセンセーショナルな事件を放送しているのだろうか。
 事件の様子がニュースよりも、インターネットの動画サイトに先に流れることがよく起きるようになった。秋葉原で無差別殺人事件が起きた時も、近くにいた通行人が携帯電話のカメラ機能で映した光景が、ネット上で流れた。チベットで暴動が起きた時も、日本人旅行客が撮影した動画が、ニュースで流れたりした。誰もが観察者となり、事件に干渉していた。いつでもどこでも事件は観測され、インターネット上の空間に記録されるから、統計学的な数字からすれば些細な割合の出来事が、何度も繰り返し注目されているのかもしれなかった。それでも、日々繰り返される動画は、オフィスワークで疲れた僕の心を嫌な気分にさせたし、サマルの人類査定も下げていたことだろう。
 しのびないなら、いつでも放送されているバラエティー番組を見て、ストレスを発散したらいいかもしれないのだが、それはサマルが言うように、現実逃避であると感じられた。ニュースに立ち向かう気力がなければ、ふさぎこむか笑い続けていればいいが、戦う気力というか、観察し、干渉していく意志があるのならば、ニュースに立ち向かっていけばよいのだった。ニュースに誠実に向き合うこと。それは嫌な気分にならずに、観測する意志を持ち続けることだった。
 いつも二十二時過ぎの帰宅が続いたが、今日は二十一時半に自室に帰ることができたので、僕は久々に、サマルの部屋に尋ねてみようと思った。僕が生きているということは、サマルは人類を絶滅させるカプセル兵器を使用していないということだ。サマルは僕の生活に干渉しようとしているが、逆に言えば、僕もサマルと会うことで、彼女の生活に干渉することができる。冷たく自立しているサマルは僕が何をしても、自分の意志と使命を曲げることはしないだろうと思えたが、僕はサマルとの会話内容だけでも、書き留めてみることにした。書いておけば、いつか誰かに発表する機会があるかもしれない。そうだ、僕はサマルが属する組織に選ばれた、人類の調査サンプルなのだ。
 サマルの属する組織が人類絶滅計画を中止したら、僕は人類を救ったヒーローになるのかもしれない。もし人類が絶滅したら、僕が書き残した記録は貴重な資料となるに違いない。いずれにしても、僕はサマルとのやりとりを記録しておく義務があると思った。サマルが僕に干渉してきたこと、僕がサマルに干渉したこと、二人の間で起きた相互作用を記録しておけば、人類が地球に残した罪の弁護材料になるだろう。
posted by 野尻有希 at 20:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人類の小説「サマル」(8)

連載小説(8)

 僕は毎晩サマルの部屋に通うのをやめて、オフィスワークに集中する日々を送った。と言っても、仕事に集中しているのは、労働時間中のみで、朝と昼休みは小説を読んでいたし、夜はテレビを見ながらブログとミクシィを書いていた。忙しさに追われる合間に、サマルは何を企んでいるのか考えることにした。
 もちろんサマルが企んでいるのは、人類を絶滅させるか存続させるか、その見極めであり、僕は生身の調査サンプルとして選ばれた。しかし、サマルと僕の会話の中には、調査以上の意図が感じられた。
 僕は大学時代まがりなりにも文化人類学選考だったから、サマルのことを異郷の地に降り立った人類学者だと考えていた。日常のことについて質問を受ける僕は、人類学者のフィールドワークの対象だった。最近文化人類学では、人類学者が現地の文化を自分が属する文化の価値観で解釈している点が問題にされていた。異質な二者が出会うとき、できる限り相手の意見を聞き取ろうとしても、自分の価値観による解釈が介入してしまうものだ。観察者による干渉の問題は、僕とサマルの関係にも当然当てはまるものだが、最近のサマルは明らかに、人類学者ではなかった。
 サマルは僕の思考と行動を批判し、言葉を操ることで、僕の未来をサマル自身が望む方向へ変えようとしていた。これは調査と言えるだろうか。サマルは僕のことを洗脳なり支配しようとしていたのではないだろうか。
 サマルは人類学者ではなく、宣教師か帝国の総督であるように感じられた。数日前、会話していた時はサマルの言うことが正論で、僕は地球を破壊する現生人類の一員だと感じられたが、サマルは罵倒の言葉を繰り返すことで、僕を服従させようとしていたのではないだろうか、そんな被害妄想が頭にもたげてきた。
posted by 野尻有希 at 01:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

読むと人類が滅亡する小説『サマル』(7)

「社会の方が異常だ。こんな生活設計を続けていては、地球が成り立たなくなるのは目に見えている。食糧価格は高騰して、世界中に貧困が広まる。みんなおかしいと気づき始めている。何かしなければいけない。僕らの時代は、そういう危ない足場にさしかかっているんだ」
 僕は後期トルストイのように正論をぶちまけてみた。僕の声の他には、サマルが叩くキーボードの音だけが室内に響いていた。
 僕がだまっても、サマルはキーを叩き続けるだけだ。気詰まりになった僕は、テレビの電源を入れた。テレビ画面にはヨーロッパで行われているサッカーゲームが衛星生中継で映し出されていた。何百億円という高額の収入を得ているスタープレーヤー同士が、サポーターの声援を受けて、サッカーボールを蹴りあっていた。
「あなたはそうやってまた事態から逃げようとする」
 サマルが座っている脚を組み替えて、少し首を斜めに向けた。
「あなたのささやかな主張はそれだけ? 誰もがスローガンのように言っている、陳腐な綺麗ごとばかりじゃないの。何の解決にもならないわ。あなたはそうやって先人の行いを批判しつつ、自分の行動を特にあらためるでもなく、批判ばかり繰り返している。舌はよくまわるけれど、言葉だけで行いが伴わない。死んでいるも同然よ。その言葉を誰に届けるつもりなの? 自分の行動を変えるほどの威力も持っていないのでしょう? 慰めの言葉ばかり繰り返していては、もう遅いのじゃない?」
 サマルはそう言いながら微笑んでいた。サマルは僕のことを情けなく思っているが、僕が変わることを期待しているようでもあった。
「僕の言葉は小さく無力だけれど、少なくとも、こうしたことをみなが言えるようになったことは、大きな一歩じゃないのかな。以前は誰も、こうしたことを言おうとも思わなかったのだから」
 僕は自分を弁護するのでなく、類としての私たち全体を弁護するように言葉を探り出した。
「そうした戯言を慰めだと言っているの。甘やかすのはもうやめにしたら? あなたは自分をだましながら、働いて、食事して、眠っている。もういい加減にしたら?」
 サマルのことが、僕に出家を迫る新興宗教の勧誘のように思えてきた。僕はサマルの勢いに流されることなく、冷静な観察を取り戻すことに決めた。
 サマルは、僕が何らかの行動に出ることを求めている。彼女の欲望は何なのだろうか。彼女は僕らを滅ぼすためでなく、地球と僕ら両方を生き永らえさせるためにやってきたのではないか。僕はサマルの意図を読み取ることにした。
 彼女の欲望を読み取るためには、彼女から一度離れた方がいい。僕に干渉しようとしているサマルから一旦離れて、一人で時間を振り返る作業が必要だと感じた。
posted by 野尻有希 at 01:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月17日

人類が滅亡する小説『サマル』(6)

「役にたたないものがごみになる?」
 やっと電源のついたノートパソコンのキーボードを叩きながら、サマルが僕に聞いた。
「一時はね。最近はごみも資源として再利用されるようになったけれど、リサイクルの方法も疑問に付されている」
 僕は入り口脇に置かれたゴミ袋二つに目を向けた。東京都指定の半透明のゴミ袋をよく見つめると、中に洋服の切れ端らしきものや、食品の紙パックが見えた。
「そういえば、最近高級料亭で、他の客に出した料理の残り物を、別の客に出していたのが発覚して、廃業にまでなったニュースがあったわね」
 その高級料亭は、消費期限か賞味期限か、よくわからない期限の日付をごまかして、過去にニュースになっていた。
「もしも食べ残しを他の客に出さなかったら、その食べ残しはどうなったと思う?」
「当然ゴミ行きね」
「店の人たちが残り物を調理して食べるのかもしれないけどね。料亭で出される料理をリサイクルしたらさんざん叩かれる。家では夕べの夕食の残り物を翌日食べることなんて普通にあるのに、客商売でそんなことをするなんて、失礼だという。それは確かに江戸時代の昔ならそうだろう。けれど、現代日本は大衆消費社会で、事情が違う。みんながみんな消費者であり、お客様になっている。スーパーやコンビ二の残り物は、すぐゴミ箱に行く。賞味期限過ぎの食糧が、家畜の食糧としてリサイクルされることもあるけれど、そうしたリサイクル行為は共食いの原因になる。食用の牛が、人間は食べることのできない部位の牛肉を食べさせられて、狂牛病が流行した。大量生産、大量消費、大量廃棄の時代は、残り物を大切にする心の転換が必要だと思うけれど」
「エル、あなたは廃業した会社の考え方を擁護しているの? それって、アブノーマルな立場じゃない?」
 アブノーマル。僕の考えはサマルに、一般的な日本人の考え方からすれば異常な考えだとみなされたようだ。僕は人類のサンプルとして落第だろうか。
posted by 野尻有希 at 01:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

人類の存続をかけた連載小説『サマル』(5)

「この中に何が入っているの?」
「それはあなたたち人類を絶滅させる最終兵器よ」
 サマルは僕の目をまっすぐ見据えながら答えた。
「このカプセルは強力な破壊力を持つ爆弾というわけか」
「あなたたちが扱っている兵器みたいに他の生物を巻き込んで自然環境を破壊させるわけじゃない。シンプルに、人類だけを地球上から絶滅させることができる、我々の最終兵器」
「何それ。これが爆発したら、人類だけが次々死んでいくの?」
「爆発はしない。一瞬光り輝いて、その後、人類はこの地球に生存していなかったのと同じ扱いになる。神の怒りの鉄槌。あなたたちには、はかりしえない技術が使われている」
 サマルが言っているのが本当だとしても、笑い話としか思えなかった。
「わかった。とりあえず今は返すことにする」
 僕はサマルの手のひらにカプセルを落とした。サマルはカプセルを本棚の同じ位置に戻した。
「そんな危なっかしいもの、また同じ場所において大丈夫なの?」
「ここには私とあなたしか来ない。だから大丈夫でしょう?」
 サマルは僕のことを信頼しているようだった。確かに僕にはカプセルを盗む気がなかった。サマルが言ったカプセルの説明は嘘かもしれないが、どちらにしてもカプセルに下手に触れては危険だと思われたので、僕はそれ以上カプセルについて、彼女に質問しないことにした。
 そうだ、僕は彼女の質問に答えるためにここに来ているのだから、余計な詮索はしない方がいい。たとえ僕が詮索し下手に動いたところで、裏目に出るだけではないか。質問に答える以外の方法で、状況を打破しようとするのはやめにした。サマルが僕に求める報告の質を高めることだけに、僕は意識を集中した。
「さ、座って報告して」
 僕はサマルの言葉に従い、いつも通り彼女のシングルベッドの上に乗って胡坐をかいた。
「今日は何を報告しようか?」
「ごみについて、どう思っている?」
 サマルはノートパソコン一つと本が二、三冊載るだけの小さなデスクに座り、ノートパソコンのラップトップを開けた。
「ごみとは、人間にとってのごみだ。毎日歩道に出されるごみは、人間が定めたごみで、地球にとっても、他の生物にとってもごみじゃない」
 僕は通勤途中、新宿通りの歩道でからすが生ゴミを漁っている光景を思い出した。最初、新宿通りでからすの大群に遭遇した時は、他の街にくらべてひどく物騒だと思い、怖かった。しかし、毎日同じ歩道を通るうち、生ゴミに群がるからすを恐れてびくつくこともなくなったし、そもそも通勤途中にからすとごみがいること自体忘れていた。ひょっとすると、からすは誰かに駆除されたかもしれないと思えるほど、僕の視界から存在が消えていた。
posted by 野尻有希 at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

小説;ワークタイトル『サマル』(4)

(4)

 僕はラテンアメリカ文学の原書が並べられている箇所の前に立って、本を手繰っていた。二十世紀ラテンアメリカ文学を読むことで、サマルは人類の何を評価しようとしているのか、はかりがたかった。
 アストリアスの『大統領閣下』とレイナルド・アレナスの『夜になるまえに』の間に、小型のカプセルが挟まっているのを見つけた。カプセルは風邪薬程度の大きさで、最初は薬かと思ったが、触れると硬く、得体の知れぬ金属でできていることがわかった。
 このカプセルは何だろうかと、上にかざして見つめていたら、入り口のドアが開く音が聞こえてきた。体にぴったりとフィットする黒いスーツで全身を包んだサマルが現れた。サマルは両手に東京都指定のゴミ袋を抱えていた。
「何だ。いたの?」
 僕を見つけたサマルの目はいつも通り冷たかった。
「ごめん。勝手にあがって」
「人の部屋に無断であがると、この国では、不法侵入罪という罪が課されるのでしょう」
「知らない者同士の間でならね。それより、そのゴミ袋どうしたの? どこから拾ってきたの? それこそ人のものを持ち出した盗難にあたるんじゃないか?」
「ゴミなのだからいいでしょう?」
 サマルはゴミ袋をリビングの入り口付近に下ろした。
「それも調査の一環というわけ? ゴミ袋の中には個人情報がつまっているだろうし、いくら捨てたものでも、人のゴミを漁るのは、あまりすすめられることじゃないね」
 サマルは少し微笑みながら、僕を見返した。僕がカプセルを持っているのに気づくと、サマルの目つきが一層厳しくなった。
「エル、そのカプセルを返しなさい」
 僕はサマルに手を差し出さなかった。
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2008年06月10日

連載小説:ワークタイトル『サマル』(4)

こちらの連載小説はワークタイトル『サマル』です。正直に生きようとする自由。

(4)

 翌日、目が覚めると、僕はサマルのシングルベッドの上にいた。サマルの姿は部屋になく、電気はつけっぱなしだった。
 バスルームもトイレも鍵がかかっておらず、サマルは僕に秘密で出かけたようだった。四川大地震についての感想を聞かれた後、どういう会話を交わしたのか、僕は覚えていなかったし、いつ眠ったのかも記憶になかった。僕は鍵のかかっていない扉を開けて、部屋の外に出た。空は曇っており、日差しは弱かった。鍵のかかっていない自室に戻って、時計を見ると、午前六時半だった。僕は髭をそって、スーツに着替え、丸の内線に乗って出勤した。
 丸の内線の上り電車は、午前七時四十五分過ぎから通勤ラッシュで責め苦のような状態になるが、七時前に乗れば余裕で座ることができる。僕はオフィスのある駅にたどりつくと、会社近くのカフェによって、アイスカフェを飲みながら小説を読んだ。
 全身のけだるさや、肩と腰の痛みがなければ、職業小説家でなく、オフィスワーカーであろうとも、十分幸せだと想えた。体の慢性的疲労感は、多幸感を奪う大きな原因となる。こうしてカフェで読書しているだけで、体中の筋肉が痛いのは、ストレスのせいだろうか、サマルとの関係のせいだろうかと悩みながら、僕は他人に目立たないようツボを押したり、マッサージしたりして、痛みを軽減しようとした。
 パソコンに向かって仕事している間は、痛みが遠のくのだが、トイレに行ったり、打ち合わせになったり、休憩時間になると、体中の筋肉がまたきしみ出すのだった。こうした疲労感について、僕はサマルに報告していなかった。報告したところで冷酷に、何の反応もなくやり過ごされそうなのが怖かったのだ。
 思い返せば、僕はサマル以外の友人にも、医者にも慢性疲労感を告白していなかったが、CMを見ると同じ悩みを持っている人は多そうだったし、年に一度の健康診断にもひっかからないので、僕は健康なふりをして、オフィスワークを続けていた。この痛みがひけば、僕はオフィスワークを続けながら、小説を発表するアマチュア小説家でいられたのだが、痛みはまるで、気楽な道を選んだ代償として存在しているようだった。
 アマチュアの小説家でいるかぎり、僕には勝利も敗北もなく、競争から離れた自由な存在でいられる。本当に大切なのは、競争で勝利することでも敗北することでもなく、競争から離れることでもなく、生きている時間を必要な仕事に捧げることであるように感じられた。僕にとって必要な仕事とは、オフィスワークでもなく、オフィスワークの合間に書き飛ばす文章でもなく、競争に勝つための小説を書くことでもなく、ただただ正直な小説を毎日書くことであるように感じられた。
 二十二時過ぎに会社を出て帰宅後、いつも通りシャワーを浴びてから、僕は隣の部屋に向かった。昨晩何があったのか、サマルにどう聞きだそうか迷ったまま、僕はインターホンのベルを鳴らした。「どちら様ですか」と聞かれることもない。いつもならば、すぐにドアが開いてサマルに招き迎えられるのだが、今日は扉が開かなかった。
 僕はドアノブに手をかけて、引っ張ってみた。鍵はかけられておらず、扉は開いた。僕はマナー的に失礼と思いながらも、部屋の中に入ってみた。
 室内にサマルはいなかった。今朝、僕が出た後から、部屋の中は何も変わっていないように見受けられた。
 四川大地震についての感想を求められた後、サマルは、とても重要な質問をすると言っていた。その答えによって、サマルは、僕とのやり取りはもう不要と判断したのではないだろうか。故にマンションに鍵もかけず、本来彼女がいるべき場所に戻っていったのではないだろうか。
 重大な質問の内容も、それに答えたかどうかも思い出せない僕は、ふがいない自分を責めながら、サマルの部屋のシングルベッドに座った。壁一面に並ぶサマルの蔵書が僕の心を圧迫してきた。サマルがどういう本を、どういう目的で集めているのか僕は把握していなかった。現生人類の生態調査というのが蔵書収集の大きな目的だろうが、数多くある書物の中から何故この一冊を選んだのか、選考基準がわからなかったし、その本の何を評価採点しているのか、その基準もわからなかった。人文科学、自然科学の国内外の専門書は揃っているようだし、今や忘れ去られた一時のベストセラーや、くだらない本も散見された。
posted by 野尻有希 at 00:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 小説「人類の絶滅」(完結) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする