2014年10月31日

人間のための経済学 宇沢弘文

10月30日放送、NHK総合、クローズアップ現代のテーマは、人間のための経済学 宇沢弘文。
印象的な箇所を個人的にまとめると……
市場原理至上主義の経済学は、貧富の格差を作り出す。

富める国家にも格差があり、貧困層が存在する。

国民全員が幸福を享受するためには、水道、教育、福祉など社会的共通資の基盤を作る。その上で市場競争をする。

……最近よく聞くような話だけれど、宇沢さんは実践を重視し、貧困や社会問題が起きている現場を訪ね歩いていたという。社会の病理を治すために経済学を活用するという信念があったそうだ。

自分には何ができるのか。仕事の活動を通して何を変えていくのか。考えるきっかけになる番組だった。
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2014年10月29日

他人の子どもをうるさいと思ってしまう最近の傾向

10月29日のクローズアップ現代は、子供って迷惑? 急増する保育園と住民のトラブル。
保育園に子どもがうるさい、静かにしろと苦情を言う近隣住民が増えているという。原因は、地域住民の関係性の分断。

子どもと大人の関係性が変わっている。地域の子どもに話しかける大人が少なくなった。子どもは知らない大人と話さないように言われているし、大人が子どもに話しかけると警察に通報される。この状況では、地域の子どもはうるさい他人になる。

状況を変えるにはどうするか。行政が勝手に保育園を作るという問題もあるので、保育園と地域住民が話し合う機会を頻繁に持つ。近所にとっては迷惑かもしれないが、広域では保育園が必要だという意識を共有する。お互い歩み寄る。反対意見を言うのはネガティブなことではなく、反対することで対話の機会が生まれる、とまとめられていた。

自分自身、電車や喫茶店などで隣に子どもがいるとうるさいなと思う。生きている他者の子どもに愛着が持てない、子どもがいなくなれば社会はしりすぼみなのに。

この状況を改善するには、他者の子どもとの関係性を想像すること。ナショナリズム、ローカリズム、ヒューマニズム、生きている隣人たちへの愛情を取り戻すことだ。

と、忙しいので数年ぶりにスマホでブログを更新したのでした。

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2014年08月05日

STAP細胞論文不正問題、渦中の笹井副センタ―長が自殺〜日本的組織の曖昧さは当事者に精神的負荷を与える

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あいまいな日本の私 (岩波新書)
大江 健三郎
岩波書店 1995-01-31

美しい日本の私 (講談社現代新書) ヒロシマ・ノート (岩波新書) 新しい文学のために (岩波新書) 沖縄ノート (岩波新書) 「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」 (集英社文庫)

by G-Tools , 2014/08/05



STAP細胞の論文不正問題で揺れる理研の笹井副センター長自殺のニュースが流れた。

理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長(52)は、遺書を3通書いたという。うち1通は小保方さんへの遺書だった。

7月27日放送のNHKスペシャル「 調査報告 STAP細胞 不正の深層」では、途中笹井氏への厳しい追及があった。笹井氏の自殺には、NHKスペシャルの放送も影響しているだろう。NHKスペシャルの取材時、記者に追われた小保方さんは右手を負傷した。小保方さんはバイクで追跡され、女子トイレまで追いかけ回されたというが、番組は放送された。続きを読む
タグ:STAP細胞 笹井
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2012年06月17日

中小企業白書をもとに日常生活を襲うだろう危機とその対処法について考察



経済産業省・中小企業庁による「中小企業白書」の資料をもとに日本経済、及び日常生活を襲うだろう危機と、その対処法について考察してみた。

<総人口減少と倒産と市場縮小の同時進行>
・中小企業白書にある産業別規模別の事業所、企業数統計資料によると、9割以上の業種で、長年事業所、企業数が減少傾向にある。
・中小企業の倒産件数は、地方では建設業が多く、都心では小売業が多い。
・建設業の倒産が地方で増えた原因は、公共事業が削減されたから。公共事業が削減された原因は、公共事業の国家予算が減ったから。予算が減ったのは、日本国の借金が増えて、同時に税収が減ったから。
・日本の総人口は、2005年から減少に転じた。先進国で日本は、はじめて総人口減少局面を迎えた。人口減少、市場縮小の日本社会で20世紀型のビジネスを続けていては、倒産する。21世紀型のビジネスに変わらなければいけないと多くの人がわかっているが、なかなか変われない。続きを読む
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2012年06月12日

大槻ケンヂ『サブカルで食う』読後の考察〜サブカルも製造業もキャバクラも変わらない仕事の本質とは何か



前回の記事から続いて、大槻ケンヂ『サブカルで食う』に触発されて、ネット全盛の時代に自己表現をすることの意義を考察してみる。

僕は親戚や気心の知れた人から「仕事楽しい?」と質問された時、「あんまり楽しくない」とか、「職場は楽しいけど仕事自体は楽しくない」とか答えていた。やっぱり本心としては、小説で食べて生きたいのに、小説で食えないから仕方なくオフィスワークをしているという意識があり、オフィスワークをしている自分を肯定できなかった。

話題は変わって、あらゆる仕事に共通する仕事の本質とは何か?

仕事とは、顧客のニーズを満たすもの(商品やサービス)を提供することである。

毎日一定以上の品質で、顧客のニーズを満たすものを提供できていれば、それは仕事と呼べる。続きを読む
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2012年05月06日

コラム:ゆとり教育問題〜意欲が評価される時代に過剰適応した「よい子」たちの末路

受験競争時代の子どもは、テストで点をとるために一生懸命になった。自分の心を裏切っても、テストで高得点を目指した。ゆとり教育世代、新学力観で育った子どもは、テストの結果よりも、本人の意欲が高いことを評価されるようになった。他者による人の心の評価である。

こうなると子どもたちは、別に自分自身内発的に好きなわけでもないのに、高評価を得る為に、教科が好きだ、好きだ、大好きだと振舞うようになる。他人の機嫌をとり、友人や親や先生の視線と空気を気にして、仲間意識を大切に、かつ内発的動機が溢れているように見せかけるようになる。続きを読む
posted by 野尻有希 at 16:21 | TrackBack(0) | 社会哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月27日

ソーシャルエッセイ:病気のホームレスのおじさんのところに救急隊員がやってきた

 近所の歩道にホームレスのおじさんがずっと座っている。彼はキャリーバッグとたくさんのビニール袋を自分のそばにおいて、花のない花壇に座り続けていた。
 水道管の工事があった際も、ホームレスのおじさんは、その場を動かず座り続けていた。立ち入り禁止となっても、どかないのである。大きな音を立てる工事車両がすぐそばで動いているのに、じっと座っている姿を見て、ホームレスのおじさんにとってはあの歩道が、自分のホームなのだなと思った。ホームレスと呼ばれているけれど、歩道がホームなのだ。続きを読む
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2010年10月02日

オピニオン:激安居酒屋、低賃金化の時代を生きていくための手段

「中居正広のザ・大年表 第2弾 秋の特大4時間スペシャル!!」で、激安居酒屋が特集された。一品270年などの安売り居酒屋が増えると、周辺の居酒屋がつぶれる。安売り居酒屋では、働いている店員の数が少ない。注文は液晶画面から、料理を取りにいくのはセルフサービス、店員はキッチンだけという店もある。外食店でコストがかかるのは、人件費である。機械化、セルフサービス化で、店員の数を減らせる。消費者にとっては便利なように感じられるが、労働者の数が減っている。消費者とは労働者でもあるから、消費者自身の賃金もいずれ下がっていく。

こうした時代に生き延びていくためには、何が必要か? いくつか生き延びる為の手段を並べてみよう。
続きを読む
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オピニオン:世界市場論〜グローバル化時代における労働者と企業の市場競争

先日放送されたNHK『Bizスポワイド』で、、大学生の就職活動が取り上げられていた。今の企業は、グローバル化に対応できる学生を求めているという。経済とビジネスについて知識があり、語学力があり、コミュニケーション能力、交渉力があり、学生時代に起業経験があったり、留学経験があったりすると高評価とのこと。

そんな学生いるのかという反論があがったが、新卒の日本人大学生は、第二新卒、留学生、日本企業に就職したいと願う外国人などと競合関係にあるのだという。海外の人の方が、働くことに対して意欲も意識も高い。大学は、学生の就職活動を助ける為、様々なサービスを提供し始めているという。昔の学生に比べて、今の学生の方が競争相手が多い。グローバル化の結果である。続きを読む
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2010年08月05日

現代哲学エッセイ:寛容の精神を持って語るべきテーマとは何か

 週末に近所で祭りがあった。毎年一回の祭りだ。和太鼓の音、阿波踊りの音でうるさくなるから、ネットカフェで時間をつぶした。ネットカフェからの帰り道、自転車で帰る途中に、また焦る必要もないのに焦ってしまった。
 何故急ぐ必要は本当にない場面で、毎回急いでしまうのか。それは受験勉強の過程で、少しでも早く目的地にたどりつくことの重要性を学んだ為ではないだろうか。合格試験など人生にとって重要な場面なら、最短距離で目標を達成する脳力は必要だが、ネットカフェの帰り道、自転車でなかなか進めないからといって、焦ったり、怒りを感じたり、体を緊張させるのは貧しい。だいたい、歩道は歩行者優先だ。何をそんなに焦る必要があるのか。
 条件反射は恐ろしい。毎日繰り返して身に着けた振る舞いが、出す必要のない場面で出てしまう。注意しよう。続きを読む
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2010年06月22日

テレビ批評:NHKハーバード白熱教室〜正義論最終回

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
早川書房 2010-05-22
おすすめ平均 star
starこれまでの正義とは?
star知的好奇心を満たす
starやはり講義を聴講してから・・・
starこれほど分かり易く、かつ根本的な議論を展開するとは、脱帽
star考えるのはおもしろい!

Justice: What's the Right Thing to Do? リベラリズムと正義の限界 20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた Justice: A Reader

by G-Tools , 2010/06/23



NHK教育で日曜18時に放送されていた『ハーバード白熱教室』、コミュニタリアニズムの代表的論客、政治哲学者サンデル教授の講義が本になったようだ。

さて、先週の放送最終回では、サンデル教授の立場が開陳された。以下印象的な箇所のレジュメ。続きを読む
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2010年04月18日

解釈学のまとめ(ディルタイ、ハイデガー、ガダマー、ハーバーマス、リクールの相違点)

解釈学についてのまとめ。リクールの観点からの思想家評価なので、リクールの意見に偏ったまとめになっている点注意。


ディルタイ・・・過去に造られた作品に表現されている生(=人間の真実)を再体験することが、解釈である。
→ディルタイの解釈学では、解釈している当の人が歴史に属していることの問題がなおざりにされた(解釈者は自己が属している歴史、現在をないものにして、過去の作品に完全没入、完全同化することはできない)。続きを読む
タグ:解釈学
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2010年03月01日

全ての労働は、ソーシャル・ワークであるということ

生きていてこれでいいのかと思う時は、仕事が足りない時。労働量が足りないのではない、労働の質が足りないのでもない。労働の目的が納得できない時、人生に対して不満が生じる。

何のために労働するのか。自分と自分の家族の経済的自由を確保するためか。誰かを助け、支えるためか。私の仕事は、私以外の誰かを助け、支えているのだろうか。よくよく吟味してみる必要がある。行動に移る前に吟味を繰り返すこと。続きを読む
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2010年01月09日

アニメ社会論:鷲宮神社に集う『らき☆すた』オタクと地元の人の交流

本日埼玉県の鷲宮神社に参拝に行ってきた。鷲宮神社は、京都アニメーション制作の人気萌え系ギャグアニメ『らき☆すた』で、主要キャラ柊鏡、つかさ姉妹が住む実家神社のモデルである。アニメ放映前の2006年、正月三が日の参拝者は9万人だった。

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らき☆すた in 武道館 ~あなたのためだから~ [DVD]
ビデオメーカー 2009-12-25
おすすめ平均 star
starらき☆すた〜
star最高
star買ってから評価して正解。
star素晴らしい!
star幸福なライブイベント

らき☆すた ネットアイドル・マイスター DXパック(「アイドル応援5大グッズ」同梱) らき☆すた おきらく公式ガイドブック  こなたは俺をヨメ!! (角川コミックス) NANA MIZUKI LIVE DIAMOND×FEVER(Blu-ray Disc) スピード☆スター(初回限定盤)(DVD付) Animelo Summer Live 2009 RE:BRIDGE 8.22【Blu-ray】

by G-Tools , 2010/01/09



アニメ放映の2007年は13万人、2008年は30万人、2009年は42万人だったという。さすがに今年はもう放送終了からだいぶ経っているし、オタクも来なくなるだろうと思いきや、なんと3万人増の45万人参拝したという。今日行った時も、オタク風の人がいっぱい、参拝まで20分くらい並んだ。続きを読む
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2009年10月11日

エコ住宅について

最近、住宅市場においてエコ住宅というものが人気である。エコ住宅とは、地球環境問題に配慮して設計された住宅のことをさす。

エコ住宅は、住宅に住まう人の心身の健康も配慮している場合が多い。体に有害な化学物質は、地球にも有害である。木材など自然の素材をそのまま建材に使用することで、化学物質による被害が軽減される。

消費者にエコの需要があるから、エコ住宅は売れる。普通の住宅が売れなくなっているから、エコ住宅が宣伝される。エコロジーに配慮することで、化学物質や工業製品満載の住宅よりも、かえって高価になってしまうのは、なんだか住宅会社の戦略にとらわれているようで、いただけない。人間は、寝ることができる場所があれば、十分ではないだろうか。高架橋の下のダンボールでできた家、あれはエコ住宅ではないだろうか。エコ住宅を作ろうとすることで、かえって環境問題を増大させることになっていないか、よくよく検証してみることが必要ではないだろうか。

立派な家に住むことを人に自慢するよりも、誰と暮らしているかが重要ではないだろうか。愛しい人たちと安楽に暮らすために、エコ住宅を無理して用意する必要もないように思える。



当記事は、「住宅新報 2009年10月6日発売号」の読書を契機に書かれたものです。「住宅新報」のデジタル書籍版をレビュープラス様より贈呈いただきました。感謝いたします。
タグ:哲学
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株式投資とは何か

オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したことで世界は盛り上がっているが、アメリカ合衆国内では、銀行トップへの高額報酬復活が問題視されているし、サブプライムローン問題の反省がなかったかのように、デッドポンド(死亡債)と呼ばれる生命保険を金融商品化した怪しい商品も登場している。

そこで改めて、株式投資について考えてみたい。株式投資をすることで、個人の利得を増大させることに現在注目が集まっているが、もともと、株式投資とは、投資家の利得増大が目的ではないのではないか。

株式投資とは本来、投資した会社の事業が安定、成長することを願ってなされる善意のものである。会社を創業、継続運営していくに当たり、一時的に資金が足りない場合がある。その場合、お金を余分に持っている人たちから一時的にお金を借りて、事業設備を整える。お金を借りた人たちに返せるほど利益が出たら、借りた人たちにお金を返す。ただ返すだけでは申し訳ないから、利子をつけて返す。このお金の交換様式を、お金でなく、株券というものに変えたのが、株式投資ではないのか。交換の場においては、大人のやり取りなのだから、良識ある対応が求められるはずではないのか。

投資した先の会社の事業が思わしくない場合、株券を買った人は、株券を市場に売り出すことができる。売り出された株券を別の誰かが、市場で購入することもできる。株式投資において、市場での自由な売買は保障されているが、ただただ己の利益を拡大させるためだけに、株券の売買を繰り返すことは、前述した株式投資の概念からすれば、見苦しい利得行為である。取引している個人に余裕も良識も感じられない。

自由市場における節度ある株式投資ならば、社会の創造的発展のために必要だが、自由という言葉を履き違えた株式投資が現在横行しているように思われる。何をしてもいいというのが、自由ではない。自分だけではない、街中ですれ違う誰もが自由であり、平等なのだということを理解し、他人の自由と権利を侵害しない投資活動が求められるのではないだろうか。健全なる投資活動が展開されていれば、こんなにも貧富の差が拡大することもなかったろうにと悔やまれる。


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株式にっぽん 2009年 10/15号 [雑誌]
スリーエー・コーポレーション 2009-10-06

by G-Tools , 2009/10/11



当記事は、「株式にっぽん」の読書を契機に書かれたものです。「株式にっぽん」の電子書籍版をレビュープラス様から贈呈いただきました。感謝いたします。
タグ:政治経済
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2009年04月17日

日本とドイツの謝罪、戦争責任〜イタリアは何故比較されないのか

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アウシュヴィッツと(アウシュヴィッツの嘘) (白水Uブックス)
石田 勇治 (他)
白水社 2005-06-07
おすすめ平均 star
star大人のための必読書

アウシュヴィッツ博物館案内 ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして (岩波ブックレット) アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫) ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書) アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察

by G-Tools , 2009/04/17



4月17日、放送大学で20時45分から「法システムII('07)第3回「戦後」はどのように終わるのか-戦争責任と戦後責任」が放送された。テレビのリモコンをいじっていたら、ドイツ人の教授が戦争責任と謝罪について語っていたので、見ることにした。日本では東京裁判を批判する意見もあるけれど、ドイツではニュルンベルク裁判を批判する意見はないという。ニュルンベルク裁判も東京裁判も、戦争犯罪と人道に対する罪が裁かれた。

ニュルンベルク裁判、東京裁判の批判点として、第一に、戦勝国側が敗戦国を一方的に裁いたこと(ヴォネガットが『スローターハウス5』で描いた連合国によるドレスデン爆撃の罪等は裁かれていない)、第二に「人道に対する罪」などそれまでの国際法上なかったのに、裁判によって罪が創造され、過去の事件に罪が適応されたこと(法の不遡及の違反)が挙げられる。放送大学に出ていた教授も、裁判で罪を作って過去の行為に適応したことは、法学的に観ると確かに問題だが、そういう批判点よりも、国際軍事裁判がもたらした利点の方に意義があるという。罪が確定したことによって、ドイツの戦後復興が成立したし、国家を利用して罪を犯した独裁者が、スイスに逃げて金を注ぎ込んで余暇をすごすことはニュルンベルク裁判後、できなくなったという。自分たちも国家を利用して、罪を犯したら、裁かれるのだという恐怖、国家犯罪抑止力をドイツ人の教授は評価していた。

ドイツでは今もドイツ人自ら、ナチスのホロコーストに参加した人を法廷で裁く営みを続けているという。戦争犯罪に関わった人には、罪を認める、戦争犯罪を傍観し、止める努力をしてこなかったドイツ国民として、責任を感じる。未来に渡ってもドイツ国民は、戦争被害にあった周辺諸国の人たちに、責任を感じつつ、生きていく。さて、戦後の謝罪及び周辺諸国との外交の違いを語る時、ドイツと日本はよく比較される。ドイツはうまく立ち振る舞っているのに、日本はなんて外交下手で、人見知りっぽいんだろうと嘆かれるけれど、僕は何故この話題の中に、イタリアが出てこないのか不思議だった。

問題とされているのは、戦争の時、国際法から逸脱した大量虐殺などやっちゃいけないことをやっているかどうかなのだ。ドイツは強制収容所で大量の人を殺している。故に裁かれる。

ホロコーストはなかったというネオナチ的な主張もある。ドレスデン空爆や広島原爆投下は裁かれないのかという人道的な疑問もある。戦争そのものはいけないと思っている人は世界中にたくさんいるけれど、戦争の存在が許されると思っている人も世界にたくさんいる。「国際社会」も戦争を認めている。ただ、戦争にも戦争なりのルールがあり、ルールから逸脱した行動は、法廷で裁かれる。イタリアは、戦後謝罪の話題の中に、ドイツや日本ほどは、表立って出てこないのは、こうした理由からかと、無知の知を知る。法はルールから逸脱する人を法廷に呼ぶし、ルールから逸脱する人に罪を与える。娯楽一辺倒じゃない、やる気のある小説や映画は、法廷でも裁きえない微妙な問題を扱うから、ドレスデン空爆や原爆投下を問い続けるだろう。
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2009年03月04日

働きすぎの日本人に、休むということについて

体が疲れたときは、休むといい。当たり前の話だが、働いていると責任感からか、労働量の多さからか実現できない。疲れたので、ペースを落として、休んでみた。これが人間として当たり前の生活だと思えた。

何故ストレスで過労死する人などが出てくるのだろう。疲れたときに休んでいないからではないか。疲れたときに休めないからではないか。疲れや病気は、体が発する信号、声である。体の声に耳を傾けずに、頭で無理をして仕事をするから、休息なく、疲労が溜まり続ける。遅れる事が許されない。それは本当だろうか。体の動きにあわせて生きて、考えていけば、生活は子どもの頃のように滑らかにすすむのではないか。

自分のことは、自分の体と心が一番よく知っている。彼らの発する言葉のない声に優しく耳を傾けること。
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2009年03月03日

社会哲学という言葉は嫌いだけれど、社会哲学が始まる日

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人間の条件 (ちくま学芸文庫)
Hannah Arendt 志水 速雄
筑摩書房 1994-10
おすすめ平均 star
star読んで損はない。が……
star人間として生きる意味を問う、一つの視点
starもっと労働に意欲を示せ
star自分の視点の軸にすえる
star名著だが読解には注意が必要

革命について (ちくま学芸文庫) 公共性 (思考のフロンティア) 現代思想の冒険者たちSelect アレント 公共性の復権 公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究 暗い時代の人々 (ちくま学芸文庫)

by G-Tools , 2009/03/03



僕はながらく小説家を目指してきたけれど、出版社主催の新人賞に原稿を送っても毎回落ちるし、だんだんと好きな哲学や思想を専門にして書き物をした方がいいのではないかと思えてきた。だいたいそんな好きでもないのに無理をして、たくさんの小難しい文学作品を読んで、前衛的な文章で意味不明な夢想物語を書き綴っていても、自分自身楽しくないだろう。

小説の中に哲学的な思索が頻出すると、つまらなくなるという。ならばもう小説なんて19世紀の遺物、書くのはやめにして、哲学そのものを語るといい。デリダがばらばらにしてみせたが、それでもしぶとく生き残って、世界史の構築に現在でも貢献している哲学そのものを語ろう。

さて、フローベール『感情教育』、平野啓一郎『葬送』などをそれこそ感情教育のため、普通に表現するとお勉強とか教養修得のために読んでいるうちに、真面目に時代状況について考える必要があると思えてきた。オバマ政権となった後も、アメリカの経済的落ちこみは加速度的に進んでいるし、こうした変革の時代において必要になるのは、近代及び革命という言葉の回帰、ではなく再考ではなかろうか。

まずおかしいと思えるのは、日本人の長時間労働である。多くの日本人はあいもかわらず企業に生活を束縛されている。個人の生活や家族との生活時間よりも、会社で働く時間の方が長い。失われた私生活を取り戻すためか、日本仁は会社の同僚たちと家族的な絆を形成してもいる。この地に果たして公共意識とか、政治参加の意志とか、社会に関わっている大人のイメージは成立するのだろうか。

「大人が社会に関わっている」と言った場合、日本でイメージされるのは、長時間労働である。大人は本来(ここでいう「本来」とは、あくまで「ギリシア的な」という超西洋中心主義的な意味においてだが)、政治に参加するものである。大人とは社会の形成、子どもたちの未来に責任を持つものである。

こう書いていて自分自身、何を当たり前のことを書いているのかと気分悪くなってきたが、日本にはこうした公共意識が成立していない。いや、成立していないのではなく、敗戦後、公共意識を持つことが危険視されたから、放棄したのだろう。日本人は大人になることを放棄し、自立することを放棄し、自分の意見を主張することを放棄し、大いなる民主主義国家に依存する道を選択した。戦争中も参謀本部という大きな存在に依存していただけではないかという批判も成立しうるが、後期大衆消費社会に生活している日本人が、公共や政治の領域から遠ざかって、経済活動ばかりに従事していることは確かである。

何もこれはアメリカから強要された状態ではない。日本は所得倍増計画を選択した。所得倍増計画さえアジアの共産化をきらうアメリカから促された政治選択ではなかったかと反論する人もあろうが、経済力を得ることこそ、世界で地位を得る最適の方法だと日本の政治家は、自分たちなりに解釈していたのだろう。

経済を最優先するという日本が選択した近代化の手法は、発展を目指す多くの国で模倣されている。近代化とは公共の意識を持ったり、政治意識を持ったりすることではなく、日本が示したように、経済発展を第一にすることなのだろうか。

少なくとも私個人は、会社に長時間拘束されて、高収入を約束される道を選びたくはない。経済活動は、人生というか人間の役割において、わずかな部分に過ぎない。人間は、政治を行う動物である。デリダが批判した文脈をあえて保留して、アーレント的に近代というか哲学の意味を掘り起こしていくと、人間は経済活動を行うだけでなく、子どもたちにとってよりよい社会を形成するため考える、政治的な動物である。それを忘れてはならない。

このように一昨日考えた。この考えをブログから発信しようと思っていたのに、昨日は深夜1時まで残業した為、発信することができなかった。これが日本の現実であると、身をもって体験した。しかし、深夜残業した翌日は、朦朧とした意識で仕事をして、早目に帰ることも許されるのが、経済国家日本の現実である。このゆるさを前にして、いかにして考えていくのかが問われている。
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2007年12月28日

遺伝子、文化、文明

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生命の多様性〈上〉 (岩波現代文庫)
エドワード・O. ウィルソン Edward O. Wilson 大貫 昌子
岩波書店 2004-10
おすすめ平均 star
star読み物というより

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合 生物多様性という名の革命 生命の未来 生物から見た世界 (岩波文庫) 生物多様性キーワード事典

by G-Tools , 2007/12/28



人類は文化、技術の発達を促進することで、地球を制覇していった。熱力学、電磁学、素粒子物理学の発展によって、人類は科学文明を促進し、一気に生態系の圧倒的頂点に躍り出た。自然科学の発展は、人文科学の発展より圧倒的スピードで進展したように見えるが、人文科学もまた、十九世紀以降それまでの神学、哲学を超えて圧倒的に発展した。近代小説のリアリズム描写は、科学の発展とともに人々の世界認識を根本から変えたし、自由主義の経済学、民主主義の政治学、社会学、法学、経営学などが、人類の社会、文化を豊かに発展させた。それでも、熱と電気と原子力を利用して文明の発達を促進した科学技術こそ、人類を生態系の王座というか破壊者に導いた諸刃の剣である。

科学技術も含めた現代文化は、発展の度合いを加速化させている。文化は種の生存競争と並行稼動している。種の変容は数百年単位でしか進まないが、電磁力学の発見以降、人間文化の発展は超高速化した。それでも文化は、種の生存競争が途中に見せる繁殖のような、自己の分身を生み出す技術の開発はできずにいた。人間は文化によってまだ自己の複製、すなわち別の人間を作り出すことができずにいる。繁殖によってのみ、人間は別の人間を作ることができる。

しかし、ここで思考のレベルを遺伝子レベルに移行させてみよう。繁殖によっては自己の完全な複製ができるわけではない。繁殖によってできるのは、自分以外の別の人間であるが、新生児の中には、遺伝子が伝わっている。繁殖行為とは、遺伝子の複製行為となる。

人間はまだ別の人間を作り出すことはできずにいるが、遺伝子を操作できる段階まできた。ついに人類が発達、加速化させてきた文化の生存競争は、生命の生存競争に追いついてきたと言える。生命の生存競争の結果としてしか、遺伝子は複製されなかったが、人類は文化の生存競争によっても、遺伝子を複製させる時代の到来を待っている。

遺伝子技術の領域に入ることは、神の領域に入ることを意味する。遺伝子操作の技術発展は、原子の崩壊を引き起こすことで原子爆弾を生み出したのと同じレベルの文化的ショックを人類及び人類が属する生態系全体に及ぼすことになるだろう。科学者および社会全体に倫理が求められる。

遺伝子のどの部分が生体の動作をコントロールしているかまでわかってきた。例えば、植物のある遺伝子を操作すれば、花を早く咲かせることができるようになった。人類は他の生命体及び自分自身の遺伝子を操作することで、自然の動きとは別の動きを生命に与えることができるようになった。これは神の領域への文化の侵食なのだろうか。

神はアダムとイブが智慧の実を食べた時、現生人類をエデンの園から追放した。ニュートンは楽園追放の原因となった林檎が落下するのを見て、重力法則の秘密に近づいた。智慧の実がもたらした文化、技術の発展は、植物の自然の発育を遺伝子操作で促進、変更させることは、イブが食べた禁断の果実がもたらした智慧の究極形態である。そのうち人間は自分の遺伝子に改良を加え、遺伝子の複製を繁殖以外の方法で残せるようになるだろう。もちろん人口受精などの技術はすでに確立しているが、未来では、受精によらず生命を発現させることが可能となっているかもしれない。

遺伝子の操作技術はかつてナチスの悲劇を生み出した優生学に連なっていく危険がある。優れた遺伝子だけを残して、後は根絶し、生存競争を促進させることが、遺伝子操作によってもたらされるようでは、以前繰り広げられたような差別の悲劇が再現されるだろう。

生命には多様性が必要だ。劣等種の根絶は害をもたらすことこのうえない。文化に必要なのは、優れた遺伝子だけを残すことが、必要ではない、むしろ有害であるということの、誰もが納得のいく証明だ。

優れた遺伝子とは何か。何を基準にして遺伝子の優劣を決定するのか。遺伝子の優劣は、文化に属している人間の恣意によって判断されるものではない。遺伝子の優劣は、生存競争に対する優位性によって決定される。ある時期優位な遺伝子も、生態系が変われば、途端に劣位となりうる場合がありうる。決定的に、どんな生態系でも優位な遺伝子というのは、原理的に存在しない。生態系が変われば、どれが優れているのかの判断基準も変わる。数千年程度のタイムスパンで見れば、優位であり続ける遺伝子はあるだろうが、もしも人間が遺伝子を操作し出したら、どの遺伝子が優位にあたるかの判断基準も、自然における変異のようにゆったりしたものではなくなるかもしれない。人間による遺伝子操作により、生態系バランスの急激な変化が訪れれば、数千年体位で生存競争に優れていると判定された遺伝子が、新しい系では劣位に置かれるようになるかもしれない。

すなわち、遺伝子の優劣は複雑な生態系のバランスによって判断されるものに過ぎず、たくさんの生物の遺伝子を操作すればするほど、生態系の変容は加速されるため、劣位の基準変化も加速されうるということだ。

人間は牧畜文明を発展させる過程において、動植物の交配を操作することで、自分たちにとって食しやすい動植物を作り出してきた。交配の操作は、広義の遺伝子操作技術だと言える。文化は常に自然変化に手を加えてきたと言える。智慧の実がもたらした文化とはすなわち、自然に手を加えることができる技術のことをさすのかもしれない。

古来より、新しい技術の摂取、技術革新に積極的な集団が人類の覇権を手に入れてきた。遺伝子操作技術は生命の神秘に関わる危険でかつ魅惑的なものだが、だからといって忌避するのでなく、現生人類が抱えている様々な問題を解決するために遺伝子操作技術を発展させようと想っている社会が、発展していくかもしれない。
posted by 野尻有希 at 00:09 | Comment(1) | TrackBack(1) | 社会哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする