2013年12月29日

NHK教育「世界が読む村上春樹〜境界を超える文学〜」を見て



12月29日、NHK教育で「世界が読む村上春樹〜国境を超える文学〜」が放送された。トーク出演は、沼野充義(ロシア文学者、東京大学教授)、綿矢りさ(作家)、コリーヌ・アトラン(フランス語圏への日本文学翻訳家)。印象的な箇所をピックアップ。

・村上春樹は、英語をはじめフランス語・中国語・ロシア語など40を超える言語にその作品が翻訳され、世界中で愛読されている。
・これほどの人気を世界で得たのは、日本人の作家としては初めてのことだ。しかもエキゾチシズムの愛好者や文化的エリートだけではなく、一般の人が気軽に読める身近な文学として人気を集めている。読書会をしたり、音楽にあわせて朗読したり、文章を写したり。
・「ノルウェイの森」は各国で題名が異なる。日本の小説になじみのない、その国の文化に受け入れられるように、各国出版社が題名を考える。
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2013年05月20日

書評:村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」〜乱れなく調和する親密な場所を喪失した後の世界でどう生きていくのか

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋 2013-04-12

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 村上春樹インタビュー集1997-2011 (文春文庫) 海賊とよばれた男 上 海賊とよばれた男 下 永遠の0 (講談社文庫) 夢幻花(むげんばな)

by G-Tools , 2013/05/20



もうそろそろ発売直後の熱めいたものはさめただろうから、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について、さめきった視点で書いてみることにする。

日本には純文学と娯楽小説という奇妙で根拠のないジャンル分けがある。市場原理にのっとって、ショービジネス的な小説とそうでない小説という分け方をすれば、無論村上春樹の小説はショービジネス的な小説の部類に入る、肯定的意味で。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」については発売初日から追い立てられるようにして、多くの人が多くのことを書き、語っているだろうから、僕の読みだけ端的に書く。

物語の主人公多崎つくるは、「乱れなく調和する親密な場所」(P.27)、高校時代の友人たちとのつながりを失い、大学生になった後は孤独に生きてきた。30代になった今でも、交友を喪失した時に負った血を流しながら生きていると、恋する女性沙羅に指摘された多崎つくるは、当時の親友を訪ねる巡礼の旅に出る、何故自分は突然説明もなく仲間外れにされたのか、理由を確認するために。

「乱れなく調和する親密な場所」を失ったのは、多崎つくるだけでなく、小説の読者全員であると、無根拠かつ暴力的に拡大解釈すると、この小説は、「乱れなく調和する親密な場所」を喪失した人が、その後の世界をどう生きていくか、という問いになる。続きを読む
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2010年12月14日

時事評:村上春樹の小説がアップルストアで無断販売〜電子書籍化に抵抗するのでなくのっかれ

村上春樹の小説の中国語版が、アップルストアで電子書籍として無断販売されたというニュース。村上春樹に続いて東野圭吾などの小説も海賊版が出回っているという。日本の出版社はアップルに対して抗議したというが、抗議している暇があったら村上春樹や東野圭吾の小説を電子書籍化したらいいのにと思う、村上龍とかは電子書籍で出しているし。

抗議したところで、アップルが検閲体制を作ったところで、コピー技術は普及しているのだから、止められないだろう多分。むしろビジネスチャンスなんだから、どんどん売れる作家の小説を電子書籍化したらいい。村上春樹クラスの大御所は難しいなら、売れそうな若手作家を電子書籍化したりして、電子書籍化の流れに抗議するのでなく、乗ることがビジネスチャンスを生む。
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2010年10月07日

文学書評:村上春樹『東京奇譚集 (新潮文庫) 』

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東京奇譚集 (新潮文庫)
村上 春樹
新潮社 2007-11

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫) レキシントンの幽霊 (文春文庫) TVピープル (文春文庫) アフターダーク (講談社文庫) 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

by G-Tools , 2010/10/07



2010年度ノーベル文学賞はラテン文学を代表する作家の一人、ペルーのバルガス・リョサに決まった。今年も有力候補のまま終わった村上春樹。そんな村上春樹の文章、一文一文の有機的つながりを精読したくて短編集『東京奇譚集』を購読。続きを読む
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2010年10月01日

雑誌評:「COURRiER Japon (クーリエ ジャポン)11月号」村上春樹インタビュー掲載



COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン )11月号の巻頭に村上春樹のインタビューが掲載されている。もうすぐノーベル賞が発表される。毎回ノーベル文学賞候補にあがる村上春樹。日本の文壇で春樹は評価が低いが、世界では評価が高い。ただし、最近のノーベル文学賞は、ヨーロッパの小説家ばかり受賞しているから、春樹の受賞は難しそうだと思える。

20世紀後半のノーベル文学賞は、アフリカなどの無名の小国の作家にばかり賞を与えており、ジョークの対象にもなっていた。その反動として、最近は立て続けにヨーロッパの作家が受賞している。審査委員陣が一掃でもされない限り、村上春樹の受賞は遠いと思うけれど、以下インタビュー内容から印象的な箇所を抜粋。続きを読む
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2010年05月18日

書評:村上春樹『1Q84』日常の脅威の象徴としてのNHKと新興宗教

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1Q84 BOOK 3
新潮社 2010-04-16
おすすめ平均 star
star今の日本人に必要な精神論
star新作が出るたびに読んでしまう作家
starまだ読んではない
star読み進まずにはいられないけど。。。
starよいです

1Q84 BOOK 2 1Q84 BOOK 1 めくらやなぎと眠る女 天地明察 ロスト・シンボル 下

by G-Tools , 2010/05/18



久々に早く帰ってきたので、村上春樹『1Q84 BOOK3』について、文学部のレポートっぽく書いてみます。〜『1Q84 BOOK3』では、NHKの受信料集金に対する批判めいた描写が頻繁に出てくる。何故ここまで執拗にドアをノックして受信料の支払いを迫るNHKの人が出てくるのか。私たちの日常を脅かす存在の象徴として、NHKの集金人が選ばれたのではないだろうか。

主人公青豆の家族は新興宗教の信者であり、少女時代の青豆は親と一緒に近所の家庭をまわって宗教勧誘をしていた。もう一人の主人公、天吾の父はNHk受信料の集金人であり、少年時代の天吾も父と一緒に近所の家をまわっていた。自我が未発達で親に付き従って行動していた天吾は、自分と同じように、休日近所の家をまわる青豆に親近感を持つようになる。

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タグ:村上春樹 1Q84
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2010年05月03日

書評:村上春樹『1Q84 BOOK3』

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1Q84 BOOK 3
新潮社 2010-04-16
おすすめ平均 star
star見下されている気がする
star満足感よりも失望のほうが大きい
starパラレルワールド
starユングの引用は上手いが…
star書かれることのなかった物語として

1Q84 BOOK 2 1Q84 BOOK 1 めくらやなぎと眠る女 天地明察 ロスト・シンボル 下

by G-Tools , 2010/05/03



19世紀、小説は人々にとって至上の教養だった(ここでいう人々は、ただしヨーロッパ中心のごく一部の人々)。人々は小説を読むことで、その国の文化、言葉遣い、マナー、社会で生きる意味を学んでいた。イギリスは英国文学の正当作品を学問的に規定することで、あるべき英語と英国文化を規定し、植民地に英語を広めていった。

20世紀、小説に変わるメディアが登場する。テレビと映画である。イギリスに代わって世界の頂点に立ったアメリカは、アメリカの都市生活を描いたホームドラマを世界中に流布すると同時に、ハリウッドの大作娯楽映画を世界中に輸出した。人々はドラマと映画を見ることで、優れた文化、憧れのライフスタイル、あるべき考え方、価値観を身につけるようになった。

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2010年04月19日

村上春樹『1Q84』BOOK3におけるNHK問題について

1Q84 BOOK 3
1Q84 BOOK 3
新潮社 2010-04-16
売り上げランキング : 1

おすすめ平均 star
starこのわかりやすさは賛否両論だが・・・
starこんなにも純粋に人を思うことができるのか・・・・現代人の失ったもの
starシンクロニシティ

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


村上春樹『1Q84』BOOK3を200ページまで読み終わった。100ページまではたいして面白くもなかったけれど、だんだんと面白くなってきた。

とりあえずNHKと新興宗教に対する批判が多い。主人公二人のうち、天吾の父は元NHKの受信料集金係であり、青豆の家族はカルト的な新興宗教に入信している。出版社の新人賞制度やら家庭内暴力やら現代社会における「やれやれ」な日常が批判されているが、とりわけ「エネーチケー」の受信料取り立てに対する批判が目につく。
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2010年04月17日

村上春樹『1Q84 BOOK3』ぶっちゃけそんな面白くない

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1Q84 BOOK 3
新潮社 2010-04-16
おすすめ平均 star
star永遠の読書
star村上春樹の思想のまとめ的作品
star感動的な結末
star壮大なラブストーリー、完結。
star現実と非現実が交錯する小説をどう理解すればいいのか悩む

めくらやなぎと眠る女 1Q84 BOOK 2 1Q84 BOOK 1 ロスト・シンボル 下 現代霊性論

by G-Tools , 2010/04/17



村上春樹『1Q84 BOOK3』を昨日の発売日に購入した。100ページ読んだけど、ぶっちゃけあんまり面白くない。BOOK1とBOOK2を読んでいる時の方が面白かった。NHKとか実用書を発売している出版社批判も書かれているけれど、『1Q84』の発売の仕方もやたらめったら商業的、マーケティング的だし、そんなマスコミ批判できる立場にないんじゃないかと思う。

だいたい3巻出ることをだまっていたのは、振り込み詐欺とかわらないように思う。虚構の物語を書く小説家とは、全員詐欺師である。優れた小説家こそ、読者をときめかせ、だます詐欺師としての手腕をとわれる。そうなんだけれど、『1Q84』の秘密徹底主義的なマーケティングは、話題作りに成功したけど個人的にはあまり好きじゃない。まあ全部読みますけど。
タグ:村上春樹 1Q84
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2009年06月19日

村上春樹と三島由紀夫の筋肉に対するこだわり

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1Q84 BOOK 1
村上春樹
新潮社 2009-05-29
おすすめ平均 star
starタイトル「1Q84」の種明かし
starリズム
star「好奇心」だけが、この作品を存在させている
star音楽を聴いているように、そして流れさっていく
starおもしろくないのはなぜ?私が年をとったから?

1Q84 BOOK 2 さよなら、愛しい人 バルトーク : 管弦楽のための協奏曲 / ヤナーチェク : シンフォニエッタ モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号 運命の人(三)

by G-Tools , 2009/06/19




気が向いた時に時々更新する村上春樹特集。

今日、職場から自転車で帰る途中、紀伊国屋書店新宿本店に寄ったら、『1Q84』BOOK1が、ようやく店頭に並んでいた。5階に行っても、ワゴンに平積みされている。供給が需要にようやく追いついたよう。

さて、『1Q84』読んでいる最中は、ずっと筋肉が痛かった。読みやすく面白いんだけど、読んでる頃は、どんな難しい本を読んでいる時より、体が疲労した。そういえば、ヒロインの青豆が、筋肉をマッサージする場面が何度も出てきた。現代人は緊張して、体中の筋肉がこりかたまっているから、リラックスする必要がある。青豆は他の誰もが苦しむやり方で、ストレッチを丁寧にして、自分の筋肉の若さを保っている。天吾も、インテリ文学青年というより、筋肉質でスポーツ万能な体つきをしている。

思い返せば、村上春樹の小説に出てくる「僕」はみんな体が丈夫で、スポーツをよくやっていた。村上春樹の筋肉、スポーツに対するこだわりは、三島由紀夫のマッチョ幻想を連想させるほど、小説のいたるところに出てくる。個人の身体は、政治の場であるというのが、現代思想の常識。日常生活のいろいろな振る舞い方、ストレス、個人の人生観、いろんなものがその人の体つき、動作に出てくる。小説家は登場人物の体や振る舞いについて描写する。村上春樹もマッサージやストレッチを描く。それを読書している僕の体は休日も慢性疲労でめっちゃ痛い。

昨日の夜、背骨が途中から変になっていることに気づいた。少し背骨の位置を意識してみたら、ヨガをやっても、ストレッチしても、瞑想してもとれなかった体の痛みが取れた。筋肉が不必要にこわばらないよう、いつでも柔軟に、しなやかに、動くことを意識すると、自転車通勤の最中も、体がこちこちに強張ることがなくなった。青豆のマッサージを受けたい、身体の政治学。

三島由紀夫は、筋肉をマッチョに鍛えることで、近代化に抵抗していた。日本文化の伝統が消失して、腐蝕して、グローバルスタンダードな大衆消費文化が広まることに対する抵抗の戦略。力強く、美しく、太陽に照らされる、古典的な筋肉美。村上春樹の筋肉やスポーツに対するこだわりは、それとちょっと違う。
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2009年06月13日

おたまじゃくしのニュースと村上春樹『海辺のカフカ』ナカタさんの関係

村上春樹『1Q84』精読すると宣言しましたが、やはり精読してもお金ももらえないし、ごく普通の一読者として『1Q84』に関連する話題を振りまくことにします。

『1Q84』今日も都内大型書店は、BOOK1品切れ状態だった。友達も買いたくても買えずに困っている。彼は『海辺のカフカ』の文庫版を買って読んでいる。先週初めごろの朝、おたまじゃくしが空から降ってくるニュースをやっていて、びびったそうだ。『海辺のカフカ』では、空からふななどの魚が大量に降ってくるシーンがある。そんなシーンを読んでいる最中に、ニュースでおたまじゃくしの話。彼は驚いていた。

金曜日にもまた、おたまじゃくしのニュースがあった。石川県内でおたまじゃくしが空から大量に降ってくるという。道路におたまじゃくしの死体が散乱。誰かのいたずらなのか、気候変動の影響によるものなのか、超常現象なのか。僕は、「村上春樹『1Q84』を買えない人が起こした事件だよ」と言った。

『海辺のカフカ』でナカタさんのまわりにふなが大量に降ってくるシーンの現実化。村上春樹ファンが空から大量におたまじゃくしをふらせている。悪くないニュースだ。当然のように確固たる証拠はない。テレビニュースで誰もおたまじゃくしのニュースと『海辺のカフカ』のナカタさんを結びつけようとしない。けれど、村上春樹ファンならおたまじゃくし大量落下のニュースを見て、すぐにナカタさんのことを思い出しただろう。

『1Q84』が売り切れのせいか、『海辺のカフカ』も売れている。『1Q84』開始直後にも、カフカの名前が少しだけ出てくる。第二次世界大戦前のチェコ、カフカ、ヒトラー、大正天皇の崩御、ファシズムの時代に続いていくくだり。小説の本筋には直接関係ないけれど、これから起きるSFを暗示しているようで、最適な象徴的導入になっている。

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少年カフカ
村上 春樹
新潮社 2003-06-11
おすすめ平均 star
starひまつぶしにはちょっと。。
star見た目はカッコいいんだけど
star喜ぶしかない!
starこういう試みに応えるところがやはり凄い
starなんだか狙ってる感が・・

「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? (Asahi original (66号)) 「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号 村上春樹論 『海辺のカフカ』を精読する (平凡社新書) 村上春樹 イエローページ〈1〉 (幻冬舎文庫)

by G-Tools , 2009/06/13


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2009年06月10日

村上春樹『1Q84』精読1回目〜冒頭引用と最初の2ページ

村上春樹『1Q84』BOOK1を開くと、ジャズスタンダード「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」の歌詞が掲載されている。

「ここは見世物の世界
 何から何までつくりもの
 でも私を信じてくれたなら
 すべてが本物になる」

現実の社会はつくりものではないか。本物は、私たちの目の前から、隠されているのではないかという疑い。この引用文は、オーウェルのディストピア小説「1984年」と同様のテーマを暗示させる。

第一章のタイトルは、青豆「見かけにだまされないように」。

メインの人物は青豆という女性。「見かけにだまされないように」という章タイトルが、冒頭引用文と呼応する。青豆は首都高渋滞のタクシーに乗っている。タクシー内には、チェコの作曲家ヤナーチェック、1926年作『シンフォニッタ』が流れている。青豆は音楽を聴きながら、1926年のチェコを想像する。第一次世界大戦、カフカ、ヒットラー、大正天皇の崩御、モダニズムとデモクラシーの短い時代が終わり、ファシズムの時代への突入。『シンフォニッタ』を契機に、政治的、歴史の問題に小説がシフトする。小説冒頭に掲げられたヒットラー、ファシズムの暗示。ああ、やっぱりこれはオーウェル『1984年』的な、つくりもの社会の問題が取り上げられるのかという気分が高まってくる。

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村上春樹「1Q84」精読を開始します

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1Q84 BOOK 1
村上春樹
新潮社 2009-05-29
おすすめ平均 star
star村上春樹的幕の内弁当
starやさしさと村上春樹という人の父性を感じる
starもったいない人
starSFのオールド・ファンにお勧め
starドラクエ :3%  BOOK2 :3%  塩コショウ(CD): 2%  その他:お買い上げ

1Q84 BOOK 2 さよなら、愛しい人 モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号 村上春樹ハイブ・リット 運命の人(三)

by G-Tools , 2009/06/10



祝・村上春樹「1Q84」発売1週間で100万部突破記念!(だってめっちゃ面白かったし)。
しばらく第一章から一章ずつ、連続精読していきます。
できるだけ先の章は、ネタバレならないように注意しつつ。
なんか飽きてきたらやめる予定です。

まだ読んでない人はこの村上春樹カテゴリー読まずに飛ばして下さい。

なお、「1Q84」の全体概要的なレビューは、書評(人文科学)で過去に二回書いています。

「1Q84」基本情報

村上春樹の新作長編小説。「海辺のカフカ」以来、5年?ぶりの新作長編小説。個人的には、春樹の今までの作品の最良の部分が集大成的に詰まっている傑作小説だと思います。今までの村上春樹は、この作品を書くための序章に過ぎず、人類にとっての村上春樹は、「1Q84」以後誕生したとなるのではないか。そんなふうに思える待望の新作長編です。
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2009年06月06日

書評:村上春樹『1Q84』全文読後のレビュー

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1Q84 BOOK 2
村上春樹
新潮社 2009-05-29
おすすめ平均 star
star次作が待ち遠しい
star痛烈な皮肉としての小説あるいは諦め
starそこにある特別な何かを感じることができる
star性的描写の多い純愛小説
star「世界の終わり〜」は超えていない

1Q84 BOOK 1 さよなら、愛しい人 モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号 村上春樹ハイブ・リット 運命の人(三)

by G-Tools , 2009/06/06



村上春樹の長編小説を発売後すぐ買って、事前情報なく読めた幸福を初めて体験できた。他の人の感想、誹謗中傷なんて全て聞かず、しばらく一人ですばらしい小説にめぐり合えた喜びを満喫していたい感じ。『1Q84』は売れているというのも納得。世界各国でもベストセラーになるだろう。世界文学史レベルの傑作を翻訳待たず、日本語原文でいち早く楽しめたのは嬉しい。会社の人も村上春樹の名前を出していた。僕が読んでいる小説、しかもお気に入りの小説が、会社で話題になるなんてすごく珍しいことだ。現代世界文学の中心テーマ的問題に片脚をつっこみながらも、普段本を読まない人を惹きつける文章と物語を持っている。悪くない小説だ。

謎を吸引力にしている小説だから、ネタバレ的な話は極力避けるけれど、この小説は、村上春樹の過去作品の集大成的な話だと思った。『海辺のカフカ』で浮上した父殺しのテーマ、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で出てきた現実とファンタジーが交錯するテーマ、『ノルウェイの森』で暗示的に描写された全共闘の政治運動の敗北、『アンダーグラウンド』『約束された場所』で出てきたカルト集団のテーマ、『国境の南、太陽の西』で出てきた少年時代の初恋が大人になってぶり返してくるテーマ。そしていつも通り、クラシック、ジャズ、ロックの名曲がたくさん出てくるし、ディケンズ、チューホフなど19世紀の大作家について言及される。最近の春樹はよくディケンズの名前を出すから、ディケンズを手にとってみたけれど、やっぱり春樹の文章の方が面白かった。

ユングの影響いよいよ濃厚。今までユングを馬鹿にしていたけれど、ユングをちゃんと読もうと思った、これだけ面白いストーリーがでてくるんだから。読んでいると、悪く表現すれば読者サービス的な描写がよく出てくる。飽きさせない工夫、物語をドライブさせる工夫。読者サービスばかりじゃうすっぺらくなるけれど、途中にやたら真面目で重いテーマが顔を出す。ここらへんはヴォネガットかつ爆笑問題の太田的。春樹がよく、読者と小説家の間にうなぎをおくと言っていた。面白いシーンが出てくるたび、このシーンはうなぎに相談した結果出てきたシーンだろうか、うなぎはすごいと思った。小説を面白くする存在は、「うなぎ」という風に、象徴的にしか表現できないだろう、学術用語なりマスコミ用語化した途端、説明になってしまう。つまらなくなる。うなぎの力はすごいと思えた小説体験だった。
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2009年05月30日

書評:村上春樹『1Q84』(1)100ページ読後のレビュー

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1Q84(1)
村上春樹
新潮社 2009-05-29

1Q84(2) さよなら、愛しい人 モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号 村上春樹ハイブ・リット 私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー (村上春樹翻訳ライブラリー)

by G-Tools , 2009/05/30



以下はmixiに載せたおすすめレビュー1001作目の転載です。

〜〜〜

レビュー1001作目何にしようかと悩んでいたら、村上春樹の新作長編小説が発売されましたと、テレビのニュースでやっていた。今時新作小説が出てニュースになる文学の作家なんて、村上春樹くらい。

発売まで秘密にされていたタイトルは、「1Q84」。発売後の宣伝文は、小説の内容について一切触れず。隠すことで知りたいという欲望が生まれる。現代は、マスメディアの時代でなく、ソーシャルメディアの時代。一次情報として村上春樹の小説がある。二次情報として、マスメディア上の広告や批評がある。三次から千一次くらいまで多重にはりめぐらされた情報として、ネット上のユーザー評価がある。広告で内容に触れなくても、読者の側が、無限に小説の情報を増幅してくれる。

タイトル「1Q84」を聞いて、つい先日読んだばかりのオーウェルの小説『1984年』が浮かんだ。『1984年』は、ピンチョンも注目していた。(以下上巻100ページまでの範囲でネタばれあり)ピンチョンは『ヴァインランド』で1984年のアメリカ社会を描いたけれど、「1Q84」には、1984年の東京が出てくる。オーウェルとピンチョンと春樹が1984年を通してつながった。オーウェル『1984年』についての言及はないけれど、1章からオーウェル、ピンチョン的テーマが出てくる。1章は、首都高、交通渋滞中のタクシー車内が舞台。タクシーの運転手は、交通情報の半分くらいは嘘だと言う。真実は一つしかないのに、真実ではない情報が世界に溢れている。ものごとのみかけと、現実は違う。春樹は、「歴史の捏造」といういかにもノーベル文学賞選考委員受けしそうな、現代世界文学定番テーマで書いている!

2章。高校生の少女が書いた新人賞の応募原稿を、別の人間の手を加えて書き換えよう、それで芥川賞を受賞させようと言う大人の企みが描かれる。現実は1つしかないのに、マスコミ報道は政府と企業に都合の悪いニュースを隠す。嘘をついて許されるのは、フィクション、小説だけのはず。しかし、その小説でも、大人の都合で、作者が偽装される。こんな嘘ばかりの社会でどうしよう!と思いながら読んでいたら、4章、応募原稿を書いた少女は、自分が小説を書いたのではないと言い出した。この少女の発言で、春樹はすごいと思った。

真正な作者が書いた小説を、働く大人が作り替えようとする。真正な作者のはずの少女は、自分は作者じゃないと言う。この2回ひねり、他の小説家は発想できない。まだ上巻の100ページまでしか読んでないから、これから全然違う方向に行くんだと思うけれど、1ページ1ページ読むのが楽しい小説。
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2006年12月12日

書評:フィッツジェラルド、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』

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愛蔵版 グレート・ギャツビー
フランシス・スコット フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹
中央公論新社 2006-11
おすすめ平均 star
star前評判ほどでは
starこのかたちだ

「ひとつ、村上さんでやってみるか」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける490の質問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか? はじめての文学 村上春樹 グレート・ギャツビー 遠近 (第12号(2006年8・9月号)) 世界は村上春樹をどう読むか

by G-Tools , 2006/12/12



「僕は内側にいながら同時に外側にいた。尽きることのない人生の多様性に魅了されつつ、同時にそれに辟易もしていた」と書く語り手が見る、ギャツビーの世界。この文章みたいなきらりと輝く印象的な文章が、2ページに1つくらいは出てきます。語り手のニックはギャツビーの内側にいながら、同時に外側に存在してギャツビーの物語を話し続ける。まるでライ麦畑のキャッチャーみたいな存在。

…「過去を再現できないって!」、いったい何を言うんだという風に彼は叫んだ。「できないわけがないじゃないか!」
 彼は周囲をさっと見回した。まるで彼の屋敷の影の中に、もう少し手を伸ばせば届きそうなところに、過去がこっそり潜んでいるのではないかというように。

過去形で文章がなめらかに続いていく近代文学は、過去の再現を夢見ている芸術形態。フィッツジェラルドの小説が再現する過去は、ニューヨークの輝かしい狂乱であるし、東部の繁栄から遅れたアメリカ中央部の誇りの残滓であるし、旧世界たるヨーロッパ大陸で起きた第一次世界大戦の熱狂であるし、ギャツビーの恋の思い出でもある。けれど、すべての過去形は源氏物語や平家物語のごとくはかなく崩れ去り、夢幻の名残を冷静に記録する語り手の言葉だけが残る。

最後は「だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも」と終わる。あれ、過去は再現する対象じゃなくて、押し戻されてしまう対象?
過去を再現したいのか、何度も押し戻されてしまう過去の陶酔から何とか抜け出そうとする試みなのか…
アメリカ世界の過去と未来の間で辟易するのが小説のあり方。

とレビューを書いているうちに、私はこのレビューをミクシにアップしている情景を、過去に一度夢の中で見ていたことを思い出しました。グレート・ギャツビーの愛蔵版じゃなく翻訳ライブラリー版しか読んでいないのに、何故か愛蔵版でレビューをアップしているのはおかしいなと思っていたけど、あのクリーム色に紫色の大時代的な表紙は、確かに夢の中で私が覗いていた小説の表紙でした。
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2006年12月03日

書評:村上春樹『遠い太鼓』

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遠い太鼓
村上 春樹
講談社 1993-04
おすすめ平均 star
star村上さんファンなら必読です!
star旅が日常になったら
star海外暮らし
star読み返しのきく本
starイタリアで暮らしてみたくなりました

やがて哀しき外国語 辺境・近境 雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行 国境の南、太陽の西 レキシントンの幽霊

by G-Tools , 2006/12/03



村上春樹のギリシア、イタリアなど3年に渡るヨーロッパ旅行記。何しろ分厚い。

最初、ギリシアのあたりはそんなに面白くない。やっぱり村上春樹は小説の方が面白いなと思う。しかし、ローマに引っ越すあたりから途端に面白くなる。イタリア人の描写がとても面白い。観光ガイドとか、イタリアを描いた小説を見ても、こんな「小説的」なイタリア人は出てこない。ルーズで陽気で、郵便局など公務員の仕事っぷりは最悪で、人生を楽しんでいるイタリア人。こんなに面白いローマ市民の生態描写は他にないと思う。

まあ偉大なるローマ文明に対する憧れなんて木っ端微塵になる。これから塩野
七生の『ローマの物語』を読んでいこうと思っていたけど、村上春樹のこれを読んだ後だと、地中海周辺諸国に比べて合理的で先進的だったローマ人なんて言われても、信用できなくなってしまう(まあよっぽどプロテスタントの資本主義文化圏が合理的になってしまったんだろう)。

この当時、村上春樹は翻訳しつつ、『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書き上げている。小説家がどういう風に小説書いているのだろうという視点でも読める。また、村上春樹の奥さんが話の中によく出てくる。相次ぐ「僕の女房」の描写も村上春樹ファンにとっては嬉しい限りである。

「女房」と「僕」との会話は、ありきたりの夫婦の会話だった。やっぱり春樹の小説みたいな気障な男女の会話は現実にないんだなと思う。けれど『アフターダーク』を読むと、ありきたりな夫婦の会話も出ている。ここらへんは春樹の実体験が反映されているのかなと思う。

それと驚いたのは、春樹がよく古典作品を読んでいること。インタビュー記事などでは「学生時代はフォークナーなんて固いのにはまっていました」と春樹が言っているし、キングは素晴らしいなんても言っているし、春樹は硬派な文学嫌いで、娯楽小説を擁護しているのかなと思っていた。けれど、イタリアのバックパッカーがよく泊まる宿泊所にシドニィ・シェルダンなどベストセラー作家のペーパーバックばかりがおかれているのを目にして、春樹は、みんなろくな小説読んでいないなとぼやく。春樹はヨーロッパ生活の最中、フォークナーの『響きと怒り』やフロベールの『感情教育』など、硬派な文学作品を読んでいる。

読む本としては、実りある文学の傑作。小難しい本ばかり読んで小難しい小説を書くんじゃなくて、多くの読者に楽しんでもらえる、実りある小説を書く。村上春樹は硬派な文学とエンターテインメントの中間に立っている。今は文学と娯楽のどちらにも分類不明な小説が流行りだが、それでも村上春樹の立ち居地は特殊だと思う。ごつい小説を愛しているけど、ピンチョンばりの実験作は書かず、大衆消費文化を楽しむけど、ど真ん中のとは距離をとる。

2つある中心両方のど真ん中とは距離をとり、自分だけのポジションに立って人生を楽しむ。これを真似するのは簡単だけど、村上春樹自身が持っているポリシーとか好みと完全に一致することは不可能だ。


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2006年11月26日

書評:村上春樹『アフターダーク』

アフターダーク
アフターダーク村上 春樹

講談社 2006-09-16
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夜のピクニック 手紙 海辺のカフカ (上) 海辺のカフカ (下) 羊をめぐる冒険〈下〉


村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を読むべきか悩み、でもまだ『アフターダーク』読んでないから先にそっち読んでしまおうと思い購入。

まあ『アフターダーク』は評判が悪い。『海辺のカフカ』の世界的絶賛に比べたら最悪。村上春樹はもう講談社からは面白い小説を発表できないのではと思ってしまう。同じく講談社の『スプートニクの恋人』もそうだったけど、なんか中途半端。おそらく上下巻か、上中下巻になるくらいの分量で書いていたなら傑作となっていただろう。『アフターダーク』は春樹の短編小説に近い謎が連続する作り。もっともっと謎が錯綜してわけがわからなくなっていたら名作になっていたろうに。短編でも上下に別れる長編でもないこのくらいの分量だと、しっくりこない。

しかし、書き出しはとてもうまい。ところどころ最高の表現も出てくる。ゴ・ダールの頃のフランス映画みたいなモードの作り。小説というより、フランス映画を読んでいるような印象。「私たち」という複数形の三人称が現在形で語っているところも、一人称過去形がデフォルトの春樹っぽくなく、シュールな現代文学っぽい印象を醸し出している。

作品全体を包んでいるトーンは紛れもなく昔懐かしいモードの文学だ。この味わいを楽しむだけにも読みたい一作。
posted by 野尻有希 at 18:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書論(村上春樹) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

書評:村上春樹「約束された場所で」

さて、この流浪のブログのメインテーマを「小説家野尻有希」に戻してからの、第一回目の記事は、村上春樹のノンフィクションについての書評です。

約束された場所で―underground 2
約束された場所で―underground 2村上 春樹

文芸春秋 2001-07


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アンダーグラウンド 神の子どもたちはみな踊る 辺境・近境 シドニー! (コアラ純情篇) 若い読者のための短編小説案内



レビュー

地下鉄サリン事件後行なわれた、村上春樹による、オウム信者インタビュー。前作の『アンダーグラウンド』では、サリン事件被害者に取材していたので、これで被害者、加害者両方に取材したことになります。

発表当時は、個人主義者で社会に関わっていなかった春樹が、社会問題にコミットし始めたと話題になり、さらにはノンフィクションより小説の方が面白かったのにとよく批判されていましたが、今振り返れば、春樹は昔からエッセイ、翻訳、旅行記、対談など小説以外の文章をたくさん発表していたし、『ねじまき鳥クロニクル』を書いていた頃から、小説の中でも悪と暴力の問題を取り扱っていたし、オウムという暴力に春樹が関わったことは、きわめて必然的であると感じられます。

まあしかし、ノンフィクション作品自体はやっぱりそんな面白くなく、小説の方がいい感じです。春樹ファンとしては、作品のところどころで露呈される春樹の小説観を読むのが面白かったです。

個人的な悩みに最終解答を与えてくれるものにすがりついたオウム信者に対して、春樹は、最終解答を拒否しています。個人と社会の間に生じるゆがみに悩みながら、答えなんてない日常を生きていくこと。日本の日常生活はやるせないものだけど、一人一人に喜びと幸せがあるし、日常を破壊しようとしてくる脅威には反対すること。通勤電車に乗る庶民の味方、村上春樹。

村上春樹が書いている小説とは結局、近代以前に隆盛した宗教とは違い、あくまで、近代的な生活に根付いているものなんだなと気づきました。どんなに否定してみたところで、「近代小説」は、社会によりそって、「市民」の社会生活によって成り立っているんだなと改めて気づきました。村上春樹は、わかりやすいポストモダンのようでいて、きわめてモダンな人なのでしょうか?
posted by 野尻有希 at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書論(村上春樹) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月13日

書評:ヘッセ「荒野の狼」

ヘルマン・ヘッセ「荒野の狼」辻ひかる訳。中央公論社「新集世界の文学27ヘッセ」所収、1968年発行。原著刊行は1927年、著者50歳の時である。

青春文学の旗手、ヘッセの中では異色作。戦争に突き進むドイツ社会から離れて生きる、むさくるしい中年の男が主人公である。日本では人気がないが、ベトナム戦争時アメリカの学生たちがこの作品を読み親しんだという。「ステッペンウルフ」という作品名は「Born to be wild」という曲で有名なロックバンドのバンド名ともなっている。

ハリー・ハラーという名の主人公は自らを「荒野の狼」と認識する。社会に背を向けて生きる彼は、夜の街でヘルミーネという女性に出会う。ヘルミーネはハリーの中に自分と同じ孤独を見て、ハリーに接近したのだった。

「あなたは心のなかに人生像を描いていました。信仰を抱き、要求を持っていました。行動し、苦しみ、犠牲を払う用意をしていましたーーところがだんだんに気がついてみると、世間はあなたから、行動や犠牲などはいっこうに要求しないし、人生というものも、英雄的な役割とかそういったもののある、気高い勇ましい詩ではなくて、市民的な、居心地のよい部屋であり、そこで人は食べたり飲んだり、コーヒーを飲んだり靴下をつくろったり、カルタをやったり、ラジオ音楽を聞いたりして、すっかり満足しているのです。もっと別なことを望んで、もっと別なものを心のなかに持っている人、つまり英雄的で、美しいものとか、偉大な詩人に対する尊敬とか、聖者に対する尊敬とかを、望んだり持ったりしている人は、道化だし、騎士ドン・キ・ホーテだというわけです。そうです、あなた、わたしの場合もそれと寸分たがわなかったのです。わたしは、すぐれた才能にめぐまれた娘で、高い理想に従って生き、高い要求を自分に課して、尊い使命を果たすように定められていました。大きな運命をになうことができたのです。王様の妻や、革命家の恋人や、天才の妹や、殉教者の母にもなれるところでした。ところが、人生がわたしに許してくれたのは、まあわりに趣味のいい、といった遊び女になることだけでしたーーそれだけでも、やっとのことで許されたのです! これがわたしのたどった道でした。わたしはしばらくのあいだ、なんの希望もなくなり、長いことその罪を、自分の身にさがしまわっていました。人生というものは、結局のところいつも正しいものにちがいない、その人生が、わたしの美しい夢をあざ笑っているのならば、それならばほかならぬわたしの夢自身が、おろかであり、まちがっていたのだろう、とそんなふうにわたしは考えたのです。でも、そう考えてみても、なんの役にもたちませんでした。(…)わたしの知りあいとか、となりの人たちとか、五十人やそれ以上の人たちとその運命とを、よく見つめてみたわけです。するとわたしにはわかったのです、ハリー、わたしの夢の方が正しかったのだ、と。あなたの夢と同じに、夢のほうがずっと正しかったのです。人生のほうが、現実のほうが、まちがっていたのです。わたしのような女が、タイプライターの前にすわって、かねの亡者に仕えながら、あわれに無意味に年をとっていったり、あるいはその金の亡者と、おかねのために結婚したりするか、それともまたは一種の娼婦になりさがるかするほかに、なんの道もないのだということは、まったくまちがったことです。それはあなたのような人が、ただ一人、気おくれしながら絶望して、剃刀に手をのばさなければならなくなるのとおなじように、まちがっていることです。わたしの場合の不幸は、より物質的で道徳的であり、あなたの場合は、より精神的かもしれませんーーでも道はおんなじです。わたしには、あなたがフォックストロットをこわがったり、バーやダンスホールをきらったり、ジャズ音楽や似たようなありとあらゆるがらくたに対して反抗したりするのが、わからないとでも思いますか? わたしには、わかりすぎるくらいにわかっているのです。政治に対するあなたの嫌悪も、政党や新聞の、おしゃべりや無責任なゼスチュアに対するあなたの悲しみも、今度の戦争や、これからくる戦争に対して、それからまた今時の人が考えたり読んだり、建設したり、音楽をやったり、お祭りを祝ったり、教養をつんだりするそのやり方に対して、あなたの抱く絶望も、みんなよくわたしにはわかります。正しいのはあなたなんです。荒野の狼さん、あなたが絶対に正しいのです。でも、それでもあなたは没落しなければなりません。この単純で、安逸で、ほんのわずかなものに満足している今日の世界に対して、あなたはあまりにも要求が多すぎ、欲求が強すぎます。世界はあなたを吐き出してしまいます。あなたはこの世界のためには、ひとまわり容積が大きすぎます。今の時代に生きてゆこうと望み、生きてゆくことを喜びたいと思うなら、あなたやわたしのような人間になってはならないのです。雑音のかわりに音楽を、楽しみごとのかわりに心からの喜びを、おかねのかわりに魂を、盲目的な仕事のかわりに真実の仕事を、たわむれのかわりにほんとうの情熱を要求する人にとっては、この小ぎれいな世界は、故郷ではないのです……」(pp458-460)

発表当初、社会を離れて生きる無職の中年男性を主人公にした「荒野の狼」は大きな物議を醸し出したが、マンはこの作品を擁護した。マンの掲げる市民的勤勉精神から大きくかけ離れたかのような荒野の狼は、しかし、文豪トーマス・マンの先を歩いていたのである。げんにマンは、第一次大戦勃発前、保守的な論陣をはっていたが、状況の悪化に伴い、ヘッセやロランと同じく平和主義に基づいて議論するようになる。市民の勤勉は、社会全体の戦争突入と歩調を同じくしたのである。

ヘッセの中に息づく孤独者の精神には、マンが見いだしたように、明確な社会批判の視点が同居している。ただ闇雲に大人を嫌い、消費社会が提供する快楽に溺れ、社会改革に進まぬ孤独者と、ヘッセの孤独は大きく異なる。

ヘルミーネはハリーのことを、頭ばかりよくて、生活の細かいことには不器用な、幼稚な人物と批評する。ハリーは荒野の狼と定義した自我を改めて見直す。

「毎日私のなかには、古い魂とならんでなおいくつかの新しい魂が姿をあらわし、いろいろと要求をしたり、さわいでまわったりした。それで私には、目の前にすえられた一枚の絵のように、これまで自分の考えていた人格というものの妄想が、はっきりと見えてくるのだった。偶然自分が秀でていた二、三の能力や修練ばかりを認めて、一人のハリーの人物像を描きだし、一人のハリーの生活を生きてきたわけだが、そのハリーとは要するに、非常に繊細に教育された、文学と音楽と哲学の専門家であるにすぎなかったーーそのほか私という人間の残りの部分、つまりそのほか全部の、混沌とした能力や衝動や努力の集まりを、私は荷厄介なものに感じとって、荒野の狼という名前をつけていたのだった」(p438)

ヘルミーネの話は続く。

「時代と世界と、おかねと権力は、ちっぽけで浅薄な人たちのもので、そのほかのほんとうの人間たちには、なあんにもないのよ。死のほかにはね」
「そのほかはなんにもないのかね」
「いいえ、あるわ、永遠が」
「名を残すこと、つまり後世での名声のことかね?」
「いいえ、狼さん。名声じゃないわーー名声なんかに価値があるでしょうか? それに、どこからみてもほんとうの人間だった人たちが、みんな有名になったり、後世に名を知られていたりするとでも、思っているの?」
「いや、もちろん、そんなことはない」
「そうでしょう? だから名声なんかのことじゃあないわ。名声というのはただ、教養のためにあるものよ。学校の先生のためのものだわ。名声なんかじゃない、ぜんぜんちがうわ! わたしが永遠という名前で呼んだのはーー信心ぶかい人たちは、それを神の国といってるわ。わたしはこんなふうに思っているの。わたしたち人間は、つまりわたしたちのように他人より要求が多くて、あこがれも容積も多すぎる人間が、なんとかそれでも生きてゆこうと思えば、この世界の空気のほかに、なお別な空気を吸えなければならならないし、こんな時代のほかに、なお永遠というものがなくちゃならないはずなんだわ。(…)一つ一つの真実な行為の姿、一つ一つの真実な感情の力は、たとえだれにもそれが知られずに、だれからも見られず、書き記されず、後世のために残されていなくても、それはそのまま永遠の国のものなのよ。永遠には後世なんかないんだわ、あるのはただ、今の世だけよ」(p460)

名声は教養のためにあると書いたということは、ヘッセは教養小説を否定している。学校社会のうっ屈を描いた「車輪の下」は反教養小説である。教養の修得を馬鹿にして向う先は、真正な社会批判、社会に埋もれず生きることとなる。

ハリーは地下のイニシエーションに参加して、ばらばらの自我を一度捨て去って、統一するよう求められる。モーツアルトはハリーに人生の笑い、フモールを理解するよう教えさとす。結局遊びのイニシエーションは失敗するのだが、ハリーは人生の無意味さ、心のなかの地獄を何度でも体験しようと決意して、物語が終わる。
posted by 野尻有希 at 18:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書論(村上春樹) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする